田中久重(ひさしげ)
彼は通称 "からくり儀右衛門"(ぎえもん)とよばれていた。
[1799~1881]幕末・明治初期の技術者。久留米の人。からくり人形を製作してからくり儀右衛門とよばれた。万年時計や日本最初の機関車模型を製作。明治8年(1875)日本最初の民間機械工場を作り、今日の東芝の基礎を築いた。しかし久重にとって、そんな発展ができたのもすべて、「人との出会い」であった。その最大の出会いが、肥前佐賀藩土佐野栄寿左衛門(のちの佐野常民)と知り合ったことであり、さらに佐野を通して佐賀藩主鍋島斉正(のちの直正・号は閑叟)の知己を得た事である。
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万 年 時 計
田中久重のモノづくりSPIRITが凝縮された最高傑作!
万年時計(正式名称:万年自鳴鐘)は、嘉永3年(1850年)から翌年にかけて、東芝の創業者「からくり儀右衛門」こと久重が設計・製作した機械式和時計。久重の生来の技術である金属細工と、からくりの才を素地として、高度の天文暦学と西洋の時計技術の精髄を取り込んだ最高傑作です。
機構の精巧さもさることながら、優美さと気品を漂わす伝統工芸品としても高い精度を誇っており、2006年には国の重要文化財に指定されました。
からくり儀右衛門の技
2004年5月17日、千葉県習志野市のセイコープレシジョン株式会社で解体作業がスタートした。
からくり儀右衛門の、江戸時代の最高傑作、万年時計が解体された。創意工夫。先端の技術。精巧の極み。製造から百五十余年。からくり儀右衛門の飽くなき探究心と熱い情熱が、静かに解明される。
万年時計復活プロジェクト
万年時計復活プロジェクト体制
国家プロジェクト「江戸のモノづくり」 文部科学省 特定領域研究 事務局 国立科学博物館・主任研究官 鈴木一義
プロジェクト長:東京大学先端科学技術研究センター・教授 橋本毅彦
構造分析担当:東京文化財研究所・協力調整官(元保存科学部部長) 三浦定俊
全体とりまとめ:国立科学博物館・主任研究官 鈴木一義
材料分析担当:京都大学大学院エネルギー科学研究科助教授 冨井洋一
時計部担当:セイコープレシジョン株式会社 土屋榮夫ほか
機構分析担当:株式会社 東芝 研究開発センター
外装部担当:東京文化財研究所・修復技術部長、東京芸術大学教授 加藤寛、京都の工芸職人(伝統工芸士・経師)の皆さんほか ※敬称略
時計部担当 土屋榮夫のコメント
時空を越えて、からくり儀右衛門と対話をした。時計部担当 土屋榮夫さん
プロフィール
機械時計技術の第一人者として、「万年時計」時計部の解体・復元、複製を担当。株式会社精工舎、セイコープレシジョン株式会社OB。「デジタル時計」「アナログ時計」の命名者。
久重さんは、とにかく妥協をしない人だったと思います。せいぜい1日、2日しか動かない時計が当たり前だった時代に、さまざまな時刻表示で1年間動く時計を作ろうとしたコンセプトはとても意欲的なものです。 図面や部品を見ていると、久重さんが苦労して万年時計をつくっている姿が浮かんでくるんです。「この部品は、こう組んだほうが良かったんじゃないか」などと、彼と時空を超えて対話をしていましたね。
万年時計のレプリカは、京都の伝統工芸士たちによって作られた。
磨き抜かれた匠の技。京都の伝統工芸士たちが、万年時計の復刻に挑んだ。京指物、木彫、七宝、蒔絵、螺鈿、金属工芸。それは、時を越えて、からくり儀右衛門と、対話することだった。気品と優美さ、輝きをまして、万年時計が現代に蘇った。
(参考)
https://toshiba-mirai-kagakukan.jp/history/toshiba_history/clock.htm
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【歩きメモ】6904歩・4.8km・19g・1548kcal
日記風575
「提示して 次代に学ぶ 若者へ」「教えより たましい感じ 何よりも」
「何年も 費やし出来た 万年時計」「心に火 つける番組 NHK!」
儲けは(商売)・娯楽・スポーツは民放へ・・
人づくり・百年の計・災害対策・緊急時・国会審議・・NHKで
ー1年前のブログ参照ー
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