びわ湖・勝手気ままな日々!

温故知新!大切ですね、次代に生きる方々の知恵と活力となります。令和時代を健康で楽しみましょう。

跋扈(ばっこ)だね!・・伊庭貞剛から私は学んだ・・

2021年02月04日 | 日記

 国会議員には定年制は無いのか?有る様な・無い様な・・はっきり跋扈ですね!80歳越えは勇退だよね・・若手議員(40歳代50歳代)も、"だらしない" ね多くの国民が思っているが声が出せない、この国の在り方は大問題・・どこかの国では、粛清されますよね!国民が挙って期待・待望する90歳代のリーダーも、これもどこかの国に居られるニュースも耳にする。だけど、なんとマー見苦しいというか多くがブーイングしているのにも関わらず、いつまでも居座る無様さを、何とも修正できない現状に、更に加速を掛けてコロナ難義が立場の弱い大多数の国民を、苦しめ、いじめ、まるで虫けらの様な扱い。私は伊庭貞剛の生き様を学ぶ機会を与えて頂き感謝してます。うまく・わかりやすく、知っていただけますでしょうか?今日のブログとさせていただきます。実は、腹の中が煮えくり返っているのです。これが、民主主義何ですかね?誰のせいなのですかね国民の選んだ政治家のやることなんです。否、私の責任でもあるのですね。

我慢しか手立てはありませんか? それでは伊庭貞剛を学びましょう。

 

貞剛の言葉の数々の紹介

当時、この聞きなれない言葉で・・好奇心いっぱいの小生は、伊庭貞剛の歩まれた業績をつぶさに調べました。これは何としても読者の皆さんと共有させて頂きたい、いくつか有るのです。心落ち着けて、当時の資料も確認しながら拙い出来と思いますが提示したいと思っております。もちろん、既に彼伊庭貞剛氏をよくご存じの方もおれるでしょう。点検も併せてお願いするところです。・・  

次の表現が他に類を見ない考え方というか、この表現を他で触れた事がないのです。彼は確か57歳という年齢で、見込んだ若い人物に自分の立場を譲ったのも驚きでした。滋賀大津市・石山寺近くの活機園へ私も訪問しました。退職後のそれは立派な住居で、愛媛県新居浜での恩返しで、それというのも、別子銅山の煙害によって"はげやま"と化した山々。その銅精錬所を瀬戸内海四阪島に大掛かりの移転をするという決断を成し、新居浜の山に元の緑を取り戻す快挙を成し遂げたのである。【住友林業の始まり】その山を生き返らせた恩返しに新居浜住民は伊庭貞剛が隠居する邸宅の(活機園)建築材料の木材を贈呈したのである。

私が一番彼、伊庭貞剛の偉業は次の決断である。実は、瀬戸内海の四阪島に移転した銅精錬所の煙害はまた次の農作物(米栽培)が犠牲になることとになり、その新たな難題を彼は、田植えから花が咲き米が実る迄、四阪島の銅精錬業務をストップし煙害を及ぼさないとする大胆な決断を実行したのである。トピックスとして貞剛は、多くの住民を苦しめてまでして住友の銅精錬をしようとは思わない。と考え方を会社及び住民たちへ説明したと言われている。自分の企業さえ儲かればいいという。考えで毒物を流して下流住民を苦しめ、その上、毒と知りつつ認めず卑怯な公害問題が多い中で、この住友別子銅山の考え方を見習うべしと、田中正造の生涯を賭けて訴え続けた足尾銅山の話はあまりにも有名で悲劇として語られている。国会議員田中正造は国会での発言で、住友の伊庭貞剛を見習うべしと演説をしたと聞き及ぶ・・・

 

田中正造の演説  検索から引用

2001年を迎え、21世紀は地球環境の世紀といわれる。わが国で、環境問題が公害として認識されたのは、今からおよそ100年前(明治30年前後)のことで、栃木県の足尾鉱毒問題と愛媛県の別子煙害問題が原点とされている。
明治34(1901)年3月23日、足尾鉱毒事件を追及する田中正造※1は第15回帝国議会において、別子銅山では経営者の判断によって製錬所そのものが、新居浜から瀬戸内海の無人島「四阪島(しさかじま)」に移されたことを高く評価し、次のように賞賛している。
伊予ノ国ノ別子銅山ハ、第一鉱業主ハ住友デアル、ソレ故社会ノ事理(ことわり)人情ヲ知ッテ居ル者デ、己ガ金ヲ儲ケサヘスレバ宜イモノダト云フヤフナ、サフ云フ間違ノ考ヲ持タナイ
この四阪島への製錬所移転を断行し、荒れ果てた別子の山々に植林した経営者が、住友二代総理事伊庭貞剛(いばていごう)、後の「幽翁(ゆうおう)」である。

 

 

以上伊庭貞剛の言葉・・・

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伊庭貞剛の検索ページに偶然、こんな言葉がありました。併せて紹介いたします。

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私の感動・伊庭貞剛の経営について・・最後に・・こんな記事を読んだことがある。それは、第何次内閣か?大企業と言う企業を東京へ本社を移すべきというエネルギーが出て大阪本社の住友の実質代表者としての伊庭貞剛は時の近衛文麿総理大臣に対して、東京行きを断ったのだそうです。近畿大阪を中心基盤に住友系列会社が在ったからであろう。

環境問題世界大会が日本・京都にて開催された確か、『 COP3 』排出CO2ガス縮小努力目標等を調整世界会議の中で日本としてのスタンス、つまり【 京都議定書 】たるものが採択されたようですが、 ここから私見を挟みます。100数年前に企業の出す廃棄毒性強いガスを住友銅精錬による煙害の周辺住民へ悪影響や農作物にダメージを及ぼさない為に、伊庭貞剛が決断した方法を拍手を持って讃える。日本政府の懐深い決断が出来なかった・しなかった。心の狭い、誠に情けない事として、私は日本国の一員として無念でならなかった事として強く印象に残っています。

 ※この最後の部分は私個人の見解です。事実誤認が有やも知れません。老前整理実施で関係資料廃棄いたしました。

        反省‼

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【歩きメモ】

3559歩・2.4km・8g・1521kcal

日記風575

「ここにきて 先人憂い マル当り」

「人として という教えは 無き事に」

「大金を 国民血税 フンダクリ」

「ただ笑い それで毎日 生きる国」

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 ※➀ 2023/05/10/wednesday/文字拡大と文字色変化付けました。吉田荘治(78)※2 ②広瀬宰平と伊庭貞剛の軌跡・・から三枚写真追加

 

近江八幡・伊庭邸での親族写真・明治30年(1897)前後

 

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―1年前今日のブログ記事ー

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