以前、都会の真ん中で月に1万円払って1年間だけ駐車場ほどのスペースの畑を借りていました。
その時はすごく忙しかったので、もう命からがらお世話をして、やっとキャベツ・ブロッコリー・大根・枝豆(全部虫に食べられてしまった)・いちごなどなど収穫しました。葉が柔らかくてとっても美味しかった。
自分のことは自分でできるようになりたいと、いつからか強く思うようになり
幸い現在の住まいではささやかな家庭菜園ができるのをとても嬉しく思っています。
先日、企業に支払われる雇用調整助成金の政府の財源が尽きたということで6月末で打ち切られるという話を聞きました。
平和なようでも少しずつ何かが迫っていて、やっぱり自分のことは自分でできるようになりたいと、また強く思うこの頃です。
笑っちゃうくらい可愛い野菜たちです。
スナップエンドウ。こんなふうにできるんだ!
花が咲き終わったナス。ここにおナスができるのが待ち遠しいです。
小さなブロッコリーが顔を出す。葉っぱはニンニクと塩で炒めてフェジョアーダに添えたりペペロンチーノにしたり、すでに恩恵にあずかっています。葉っぱ美味しいので虫に食べられてしまった。クヤシイ。
最後のバラが咲き始めました。パープルハート。きれいです。
実は、実家は祖父の頃植木屋をしていて、父は会社員でしたが造園業だったので、よく考えてみたら私には遺伝的にも土の要素がいっぱいあるのでした。
乙女座も「土」の星座だし。
土の特性である、忍耐強く日々着々と淡々と時を待つというのが、野菜や花を見ているとよくわかります。
今、私の友人たちの年代は、親世代にワクチン接種のお知らせが届いていて意見の食い違いに悩む人がとても多いです。
私たちの世代はテレビ離れでインターネットでの情報が主流なので、どうしても親世代とは認識や情報源に大きなズレが出て、家族同士で決別してしまったりという話も聞きます。
とってもデリケートな話です。みんな幸せに平穏に暮らしたいのにどうしてこうなってしまうんだろうと思ってしまいます。
気になって、父に「うつの?」とLINEで聞いてみたら、「どういう意味だ」って電話がかかってきた。
別にそれしか言ってないけど。
「お知らせが来たから申し込みの電話をしてるけど全然つながらない」とのこと。「これは、うつなってことかな」と、ネイティブの甲州弁で言ってました。
厚生労働省のHPにもある通り、接種は任意の自己責任であるので
いくら親と言えども一方的に事情も聞かないで反対はできないと思うのですが、
自己責任というからには、
せめてどのような成分でできているのか、接種開始してこの短期間の間にどれだけの方が亡くなっているのか、何かあれば政府が補償してくれるという内容や条件は理解しているのか、接種することによる不利益は本当にないのか
一応自分で調べてからにしたほうが後々後悔しないんじゃないかとだけ伝えておきました。そして私が入っている「考える会」のメーリングリストに届く情報や、厚労省のHPの内容などを送っておきました。
野菜など口に入れるものはできるだけ無農薬を選んだり、遺伝子組換えは避けるのに、直接身体に入れるのは全然気にしなくて良いのかなとか、
例えば年が明けてから販売開始した車が、数ヶ月の間にすでに約40件の死亡事故を起こしていると聞いてもその車を買うのかな?とか、私のはめちゃくちゃ素朴な疑問ばかりなのですが。
一部の病院や歯科医院では、逆に「接種した方の診察をお断りします(接種した人から接種していない人へ感染させる危険があるという報告があり、その真偽が現時点で不明のため)」と掲げているところもあるそうで(どこかは分からないけれど、その張り紙は写真で見ました。)、
接種することが本当に自由を獲得することに繋がるのか、生命全体の生態系として考えた時になにも問題はないのか
と、全部現段階では「まだ分からない」のではないかと思っています。
でも、数年、数十年してあらゆる世代の多くの人が接種し終わったあとにやっぱり本当に良いものと分かるのかもしれないし、その逆かもしれないと、「今はまだ分からない」という見解は真実であるとも考えます。
現在は高齢者のみですが、将来決して自分の子どもには接種させたくないと、自費で情報を世の中へ伝えたり、行政や医薬品メーカーに何度も質問して真実を知ろうと頑張っている世の中のお父さんたち(ほぼ私と同世代です)が知り合いにはいらして、
経済的に追い詰めらる中、時間とも戦いながら命がけで活動している人もいます。
自分の中では答えは決まっているので、家族となるとどうしても止めたくなりますが、それがこちらのエゴなのかもしれないし、何かあった時に「あの時何がなんでも止めておけば良かった」と思うのかもしれないし、ものすごい選択を迫られているような気がします。
何より大切にしなくてはいけないのは、子どもたち若い世代です。
花の世話をしていると、咲き終わった花がらを摘んであげないと株に負担がかかるので、かわいそうだなと思いながらも摘んだり切り戻したりします。
1本1本の単位で花を見ているとかわいそうなのですが、その咲き終わった花の後ろには小さな蕾のついた茎が1cmほど控えていて、
株全体の単位で考えると、この花を切ってあげることでこの株全体が健やかに繁栄して行くということがだんだん理解できるようになりました。
それが自然の仕組みなんだなと、毎日花たちを見ていて思います。
自然であるにまさる美しさはないなぁと思います。