染物屋生活

神奈川県の住宅地(でも片田舎)の染物屋日記と、電気代が月1500円(原発反対なので)の節約生活を紹介「染め吉」と言います

2018-05-02 02:06:57

2018-05-02 02:06:57 | 日々の政治・哲学
「解放の最初の日」は、ベトナム戦争の終了した日の話じゃなかった〜〜。
すみません。

ベトナム戦争が終結したのは、1975年4月30日。

その前日、大統領になったズオン・バン・ミンが、戦闘の終結、南ベトナムの無条件降伏を告げたのだそうだ。(ウィキペディア君による)
有力な指導者は、さっさと逃げ出した。

当時、産経新聞記者だった近藤紘一が、急遽、ベトナムに呼び戻され、(それまでも何年か、彼はベトナムにいたのだが)

3月から5月までサイゴンにいて、敗戦の都市の様子をみていた。そして「サイゴンのいちばん長い日」を書いた。

近藤紘一の
「サイゴンからきた妻と娘」「戦火と混迷の日々」「ブッダを買う(すみません、ブッダは漢字)」「したたかな敗者たち」は、高校生のころ読んだ。

ベトナム戦争が終わった意味なんて、1970年の中学生の私には解らなかった。

樹村みのりはまったくすごい人で、その、ベトナム戦争が終わりかけていたころ(
でなく。今やっている映画、「ペンタゴンペーパーズ」のころ。ベトナム戦争末期だ)のころだと思う。、

1970年のCOM5月6月合併号に、「解放の最初の日」をかいてたんだなあ…。。

ベトナム戦争ではなく、アウシュビッツみたいな収容所だが、間違いなく、樹村は、ベトナム戦争も視野にいれていた。

そのころ樹村は、20才の大学生だった、と、
「COM傑作選、下、1970〜1971」にある。

大学生で、20才でなあ。

この「COM傑作選」は中条省平編、ちくま文庫2015年刊だ。
(諸星大二郎の「ジュン子・恐喝」も久しぶりに読んだ。良かった。)


だいじなとこを間違えた。すみません。ごっちゃにしてた。

ベトナム戦争が終わったのは、1975年4月30日だ。

今、70代の友人田代にきいたら、戦車が次々と南ベトナムの中心部に入ってくる映像を、テレビでやっていたと思う、とのこと。

「サイゴンのいちばん長い日」では、戦闘停止、無条件降伏の発表があったのち、うかうかと外を歩いていた近藤紘一は、カメラをバイクの二人組にかっぱわれた。

樹村みのりは、一人の兵士が南ベトナムに入る様子を、テレビでみたことを、かいていたと思うのだ。


樹村みのりが「解放の最初の日」をかいた1970年は、おそろしく事件が多かった。3月に「よど号ハイジャック事件」があった。友人田代(70代)によると、福岡空港だったという。そこからソウル。そして北朝鮮に飛んだんだなあ…。調べてみると、福岡空港は、「板付け空港」と言ったんだね。
48年前だ。

このあと、田代さんとの話は、アポロの月着陸、三島の切腹、浅間山荘事件、にいくのだが、そのようなものが、どんなふうにマンガに影響を与えたのか、年表に書き込みつつ、考えてみる。


「おお、ガロとCOMだ!」

5月1日の東京新聞4面に「岡田さん、楢葉で古書店を経営」という記事が載った。福島の楢葉町で、古本屋を始めた「岡田書店」さんの写真がでている。絶版もののマンガ多いのが、が商品の特徴なのだ。。雑誌「COM」が並んでいるぞ〜。ネット販売もしているらしい。買ってみようかな。

1970年にあったことについては、また、書く。たくさんたくさんあったんだね。