東京新聞のコラム「筆洗」(4月20日のもの)がどうしても気になるので書いておく。
家庭訪問のお茶菓子についてだ。弘兼憲史の「課長島耕作」にこんな場面があったそうだ。貧しい家に育った女の子が家庭訪問を心配する。家は汚いし、お茶菓子も用意できない。母親は、おはぎをこしらえて出す、といってくれる。先生は後でいただくとおはぎを持ち帰ったが、河原に捨ててあったのを女の子が発見する。「母が作ったおはぎが悪いんじゃない。捨てた先生が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」女の子は言ったそうだ。
まる2日考えたのだが、これは「きみはダックス先生がきらいか」に灰谷健次郎が書いていた話ではないか?ダックス先生のモデルは、灰谷の友人の鹿島和夫である。1935年生まれの鹿島は、1945年には、疎開して貧乏で苦しい暮らしをしていた。そのときに、家庭訪問に来た先生に出した羊羹を先生に持たせたが、先生は捨ててしまった。それをみていた鹿島は、拾って持って帰ったという。この話、灰谷は何回か文章にしている。「貧乏がわるい」のだったか、「心無い先生が悪い」のだったか、忘れてしまったが、心にしみる話だった。私は、「先生が悪い」というふうに受け取ったと思う。灰谷も鹿島も、小学校の先生をしていたので、先生に対する、目つきが鋭い。弘兼、もしくは漫画における原作者は、この「ダックス先生」に出てくる話をもとにしたんではないかと、思った。話が似すぎている。
家庭訪問のお茶菓子についてだ。弘兼憲史の「課長島耕作」にこんな場面があったそうだ。貧しい家に育った女の子が家庭訪問を心配する。家は汚いし、お茶菓子も用意できない。母親は、おはぎをこしらえて出す、といってくれる。先生は後でいただくとおはぎを持ち帰ったが、河原に捨ててあったのを女の子が発見する。「母が作ったおはぎが悪いんじゃない。捨てた先生が悪いんじゃない。貧乏が悪いんだ」女の子は言ったそうだ。
まる2日考えたのだが、これは「きみはダックス先生がきらいか」に灰谷健次郎が書いていた話ではないか?ダックス先生のモデルは、灰谷の友人の鹿島和夫である。1935年生まれの鹿島は、1945年には、疎開して貧乏で苦しい暮らしをしていた。そのときに、家庭訪問に来た先生に出した羊羹を先生に持たせたが、先生は捨ててしまった。それをみていた鹿島は、拾って持って帰ったという。この話、灰谷は何回か文章にしている。「貧乏がわるい」のだったか、「心無い先生が悪い」のだったか、忘れてしまったが、心にしみる話だった。私は、「先生が悪い」というふうに受け取ったと思う。灰谷も鹿島も、小学校の先生をしていたので、先生に対する、目つきが鋭い。弘兼、もしくは漫画における原作者は、この「ダックス先生」に出てくる話をもとにしたんではないかと、思った。話が似すぎている。
灰谷さんの本は子供の頃は難しくて、よく理解できなかったけれど、昨年「太陽の子」を読んで、号泣。「コタンの口笛」も衝撃的でした。児童文学じゃないほうのが読んでみたいと思いました。