砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

おう なつだぜ

2021-07-13 17:24:14 | 日記
おう なつだぜ
おれは サボってるぜ
あまり ちかよるな
おれの ブログも ケータイも
どきどきするほど
ひかっているぜ



みなさまこんばんは。4回目の緊急事態宣言ですがいかがお過ごしですか。
緊急事態が何なのか、よくわからなくなってきましたね。

友達に会いたい、旅行に行きたい。
実家の縁側に座ってビールを飲みたいし、入院している祖母を見舞いたいです。
親族で集まって遅くまで酒を飲み、翌日辛い気持ちになって新幹線で東京に戻ってきたりしたい。
不安や恐怖、鬱屈した「非日常」ではなく、楽しみや気晴らしとしての「非日常」が恋しいですね。

学生たちはそろそろ夏休みでしょう。
仕事柄ときどき中学生や高校生に会います。
彼らの話を聞いていると、自分が高校生の頃をふと思い出すことがあって。


夏休みの学校が好きでした。
部活以外の人はいなくて、普段よりも閑散としたピロティ。冷房のよく効いた図書室で勉強する先輩たち。セミの鳴き声と吹奏楽部が個人練する音。演劇部の「あ、え、い、う、え、お、あ、お」という発声練習。
ぬるい空気のなかで、時間の流れが少しゆるやかになった気がして。

学校の夏期講習が終わってから塾に行く前、近所のお店に大盛りのかき氷を食べに行ったり、友達と公園でコンビニのアイスを食べたりしました。オープンキャンパスに行った感想を言い合い、「へー、お前も東京の大学行くんだ」とか他愛のない会話をしました。あの頃はナンバーガールをよく聞いていました。

大学生になってからも、7月は記憶に残ることが多い時期でした。
テスト勉強やレポートの締め切りに追われて、それが終わるとサークルの合宿の準備があって。
それからバイト先で地獄のような夏期講習が始まりました。事前にテキストの問題を解いたり、テキストが早く終わった時の予備教材を作ったりもしました。合間の時間はドトールで時間をつぶして。
大学生のときは背伸びをして、町田康やよしもとばなな、ジョージ・オーウェルやカズオ・イシグロを読んでいた記憶があります。この時期になるとGrapevineやフジファブリックをよく聞いていたなあ。


今の学生はそういったことが出来ないか、あるいはかなり制限が加わっているんでしょうか。
そういえばオンラインで修学旅行をやっているニュースを目にしました。帰省や旅行もしづらいでしょうね。塾の夏期講習はオンラインを併用してやっているのかな。
そう考えると気の毒です。呪術廻戦という漫画で五条先生が「若人から青春を取り上げるなんて許されていないんだよ」と言っていたけれど、事態が事態だけにやむを得ないのかもしれないけれど、やはり気の毒に感じます。

でも人間の「つながる力」はすごいもので。
話を聞く限りではそういった行事が出来ないなりに、友達同士で一緒にぶらぶらしたりオンラインゲームをしたり、SNSでうまくつながったりしているようです。

そう考えると、人間は本質的に対話dialogueを強く求める生物なのかな、と感じます。
乳幼児がお母さんの反応を見て自分のこころの輪郭が形作られるように、子どもが大人になっていく過程でも、他者との対話を通じて他人だけでなく自分のことを理解していく。
そういった営みは、大人になっても―程度の差はあれ―続いていくものなのでしょう。

だからこそなのか。
ツイッターやインスタにいいねがつくと嬉しいし、動画にコメントする人、生配信にスパチャして反応を求める人もいて。対話の仕方は多種多様です。それを単なる「承認欲求」と言って片づけるのは、何か違うというか、もったいない気もします。


話がこんがらがってきました。
まあいいか、もともとサボるために書いている文章なので、一貫性や整合性は二の次です。

今年の夏も暑くなりそうですね。
個人的な宿題として、今年こそちゃんとウィニコットを読もうと思っています。
みなさま生き延びましょう、それではお元気で。