砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

Snarky Puppy「We Like It Here」

2020-03-30 23:10:54 | アメリカの音楽



眠い。
街角のモクレンやコブシは白い花をぽとぽと落とし始め、桜はすでに八分から九分咲きの状態になってきて、景色に鮮やかないろどりを与えています。


春になってきました。
とはいえ寒い日と暖かい日の差が大きく、「三寒四温」といった言葉が表すようではありません。暖かい日が来たと思ったら翌日には寒くなっている。昨日なんか雪が降りやがって。この変動の急勾配に、なかなか身体がついていかない。

人間の身体は恒常性を求めます。このシステムのことを「ホメオスタシス」と言うそうです。もとはギリシャ語ですね。我々の自律神経やホルモンは、知らず知らずのうちに体温や脈拍、血糖値を一定に保とうとしてくれます。
しかし周りの環境は待ってくれない。時間は流れることをやめず、季節は着実に通り過ぎていく。一日のなかでも晴れたり曇ったり、雨が降ったりする。自然環境だけではなく、社会的環境の変化もあります。学校や職場は年度末で忙しいし、異動や人の出入りもあり。コロナウイルスも流行るし、オリンピックも中止になれば和牛商品券が配られる。そういった変化は人間に―個人差はあれども―大きなストレスを与えます。

個人内の変化もあります。自分の成長を喜ぶ場合もあれば、年を重ねて老いを感じる瞬間もある。自分の話で恐縮ですが、昔より食べられる量が減りました。でも太りやすくなりました、どうしてなんだろう。コレガワカラナイ。

そんなわけで。
時間は待ってくれない。数日前にワニが死ぬ話が話題になっていましたけれど、我々もいつかは死ぬわけですよね。焦ってどうにかなるわけではないけど、今この文章を書いている自分も読んでいるあなたも、やがて死ぬのだと思うと不思議です。なかなか実感が湧かない。だからこそ、ふだん平穏な気持ちで生きていられるのかもしれません。

前置きが長くなりました。
最近いいなと思った音楽の紹介。
Snarky Puppy「We Like It Here」

何かのラジオで紹介されていて好きになりました。アメリカのはニューヨーク、ブルックリンを拠点とするジャズ・フュージョンバンド。サックスやトランペット、キーボードにシンセにピアノ、ギター3本にベース、ドラムとパーカッション。こうして並べるとかなりの人数が参加しているバンドです。でも不思議なのが、ごちゃごちゃした印象を受けないこと。すごく絶妙なアンサンブルが成り立っている。
ベースの人がリーダーで、作曲編曲の主要な面を担っているようです。彼らは多種多様な音楽に挑戦していて、よりジャズっぽい作品もあれば、モロッコ音楽に傾倒した作品もあったり。それに合わせてか、メンバーも比較的流動性が高い、とラジオでは紹介されていました。

最近新譜を出したのですが、初めて聴くならこの作品がお勧めだと思います。ライブ版なんだけど盛り上がりがはっきりしていて非常に聴きやすい。

好きな曲
What about me?
Snarky Puppy - What About Me? (We Like It Here)


のっけからのドラムに痺れます、めちゃくちゃ上手い。しかしそれがあまりくどくないのが不思議。ギターのフレーズとドラムのフィルがきれいに噛み合っているからでしょうか。ギターソロも格好いい。そしてそこに鍵盤やパーカッションが重なっていくタイミングにカタルシスを感じる。

Lingus
Snarky Puppy - Lingus (We Like It Here)


途中のシンセとドラムがすごいです。拍を崩したフレーズを弾きながらも、要所で噛み合うのは聴いていてとても心地いい。演奏している人たちもすごく気持ちいいだろうな。
関係ないけどベースの人ぜったいねっとりしたセックスしそう、終わった後にねっとりと感想を聞いてきそう。そんな話はどうでもいいか。

彼らの音楽を聴いていると、「きれいに整理されたキング・クリムゾン」って印象を受けます。キング・クリムゾンもある意味では整理されているけど(ディシプリンのあたりとか)、あれとは違うアプローチをしているというか。いろんな音楽を模索し続けている点も似ていますね。求道者のようでもあります。


さてようやく今年度も終わりに近づいてきました。世間はしばらく落ち着かなさそうですね。私も書類仕事や確定申告に魂を圧殺されつつあります。そんなときに音楽を聴いたり本を読んだり、映画を観たり。少しでも落ち着ける時間があることが大事なのだろうなと思います。
大きな不安が渦巻きはじめると、やがてそれは自立的に運動しだして、ものごとがよりややこしくなりがちです。大切なのはまず自分が不安になっていることを自覚することなのでしょう。ブログを読んでくださった皆様が、少しでも早く平穏な生活を取り戻せるよう祈っております、加持祈祷!!

お財布失くすマンの憂鬱

2020-03-17 23:33:42 | 日記
ごく普通の日記

財布を失くしました。
人生で財布を失くすのはこれで6回目です。

1回目は大学生になったとき。
上京して大学に通い始めた私は、Suicaの定期を買おうと思って財布にしこたま金を入れていました。確か入学して1週間経つかどうかの頃でした。
結局電車に落ちていたのを誰かが拾ってくれたみたいで無事交番に届けられていましたが、大都会東京を前に慄いている私にとって、その出来事は強い恐怖として刻み込まれたものです(なぜかその後も財布を落としつづけていますが…)。

2回目は映画館。
「空気人形」という映画を観た時、ズボンから滑り落ちて座席の下に転がしていたようです。あとで思い当たって取りに行ったら無事に見つけることができました。
確か女の子とデートで観に行っていたと思うのですが、私が財布を落としたことによりその後の空気は最悪、株価が大暴落してたいへんな恐慌が押し寄せてきました。その出来事は強い不快感として刻み込まれたものです(以下同文)。

3回目はサークルのキャンプに行ったとき。
バイトがあったのであとから合流する形で向かっていました。はやる気持ちもあってか、お尻のポケットに入れていたところで財布が滑り落ち、電車に置き忘れたようです。
そのあと友達から金を借りて何とか乗り越えましたが、後日キャンプ場近くの駅まで取りに行きました。キャンプでもないのにこんな辺鄙なところまで、どうして行かなくてはならないのか。その出来事は強い虚無感として(中略)

4回目は実家に帰って、戻ってくるときの新幹線。
当時の私は「リスクの分散」という小賢しい考えをもとに、札入れと小銭入れを分けていました。しかし新幹線のなかでビアを飲んでしまったからか、両方とも車内に置き忘れてしまったのです。何がリスク分散だよ、お前がリスクだよ。
翌日友達と山登りに行く予定があったのですが、そこで友達に頭を下げて金を借り、山を登ってすこぶる爽快な気持ちになりました。その出来事は強い(略)

5回目は職場の近く。
職場に着いてから落としたことに気づいたのですが、その後しばらくは落胆した気持ちが充満し、仕事にならず給料泥棒になっていました。
確か警察から連絡が来て、仕事の休憩時間に落胆した気持ちをエネルギーに替え(以下「落胆エネルギー」と呼ぶ)、自転車をすっとばして財布を取りに行きました。しかし財布を取りに行ったときに別のカードを落としてしまい、ふたたび警察署に赴くハメになりました。その時も落胆エネルギーを糧に自転車を漕ぎました。その出来(ry

今回が6回目です。
昨日スーパーに寄って買い物をして、自宅まで向かっている途中に落としたようです。帰宅してしばらく経って財布がないことに気づき、ありとあらゆる場所を探したのですが、どこを見てもない。冷蔵庫も電子レンジも、炊飯器のなかも10回くらい見たけどない。もしや…と思いました。帰り道も辿ったのですが愛しい財布ちゃんの姿は忽然として見えず。
警察に行って、今連絡を待っている状態です。カードの手続き等はあらかた済ませたのですが、とても落ち込んでいます。落ち込みエネルギーを原動力にブログを書いています。
そういえば昨日は財布が出てくる夢を見たなぁ、「なぁんだ、お前こんなところにいたのかよ、ほらそんなところにいないで、早くこっち来いよ!」とにこやかに呼びかける私。目が覚めたら財布はありませんでした、なんでだよ。

これだけ繰り返すのは、もはや才能なのかもしれません。捨てるのは憚られるけど、紛失してもいいもの(例えば友人からもらった謎のオブジェ、奇抜な土産物など)のやり場に困っている方がいたら、私に預けてもらえればごく自然に失くせる自信があります。それで商売でもやろうかな、「レンタルものを失くす人」とか言って。ハハハ、死にたい。

番外編
海外でパスポートを落とした(1回)
電車にPCを置き忘れた(1回)
引っ越しの時に段ボールに鍵を入れていた(1回)

その後思い出したので追記(2020/3/18)
鍵を落とした(2回、音楽スタジオとコンサートホール)
Suicaを落とした(2回、駅と公園)
iPodを落とした(1回、井の頭線の線路上)

どうですか、そろそろ役満が見えてきましたね。海外でパスポートを落とした時は本気で焦りました。再発行するときに向こうの大使館で出してもらった書類は、未だに教訓として持ち歩いています(その教訓が生かされず今回財布を落としました、意味ねえ)。いつか額縁に入れて、家宝として飾ろうかな。
こんな私でも社会人をやれています、皆さま明日も頑張りましょう。私はしばらく給料泥棒にジョブチェンジすることになりそうです。どうもありがとうございました。

日記

2020-03-11 23:16:53 | 日記
日記


また本を買ってしまった。
最近本を読んでいなかったのですが、仕事が少し落ち着いたので読書をしています。ただ読むだけでなく、それをもとに自分が考える行為(いわゆる「能動的」な読書)が重要なのだと思うけど、なかなかじっくり考えることができておらず。読んでいるものが知らず知らずのうちに蓄積され、いつしか自分のなかで形になっている、ということもあるのでしょうか。そう願いたいものです。

電車で読書している人が減ったように思います。
本なんて読まなくてもインターネットで知識(というか情報)が得ることが、ごく一般的になってきました。それでも書店に行くと本が平積みしてありますが、一体どのくらいの人が本を買って読んでいるんだろう、と疑問に思うこともあります。どんどん減ってきているんじゃないか。それが悪いことだとは思いません。本が民衆に届いたのはごく近代になってからですし、明治になって小説が広く普及したときには「最近の若者は小説ばかり読んでけしからん」と言われたそうです。読書という営みが人口に膾炙したのは、本当に歴史の浅いことなのですよね。

今私が書いているブログもそうです。ブログ形式のサイトは、2000年代に入って一気に広がったように思います。多くの人々がインターネットにアクセスできるようになったからでしょう。
でも今や、通信速度やPCスペックの改善があってか、YouTubeなどの動画配信サイトやTwitterやTik Tok、InstagramなどのSNSが席巻し、腰を据えて文章を追ってくブログは落ち目になりつつある。移り変わりが早いものです。もはや揺るぎないのは「移り変わりが早い」という人間の性質だけではないか、と思ったり。祇園精舎の鐘の声…というやつですね。

そういえば。
昔に比べると、よくわからない本とぶつかっても「まぁそのうちわかるか」と思えるようになった気がします。昔はもっと強迫的に読書をしていた気がする、あるいは「わかったつもり」になっていた気がする。わからなかった本を再読しても理解できないこともあるし、「一生わかんないだろうな…」と思う本もあります。それもしょうがない。自分の頭脳の限界を感じたり、「なんでこんなわかりにくくしか書けないんだ、馬鹿なのか?」と著者を罵倒したりして、読書をしています。マゾなんだろうか。

最近面白かったのは三浦雅士の漱石についての本。漱石の思想の変遷を母子関係、内的対象関係をもとに読み解いていく。なるほどと思うことが多かったし、「自分が愛されていないのではないか」といった疑念にとらわれ続ていたのであれば、きっと彼は生涯苦しかったのだろうな、と想像してみたり。だからあれほどの苦悩に満ちた作品を書けたのかもしれません。

とはいえ。
あれこれと本を読んでも「それが何になるんだろう」と思う自分もいます。一生懸命勉強したり、考えたりする行為。人間ができること、成し遂げられることには限界があるし、自分が頑張っても何もならないんじゃないか、ふとそうした虚無感が忍び寄ってくることがあります。飛躍した考えであることは承知しているけど、どうしてもそう思うことがある。

もちろん何かを目指して本を読んでいるだけではなく、純粋に楽しいし面白くて本を読んでいる自分もいます。そのせめぎ合い。きっとそれは読書という営みだけに生ずるのではなく、仕事や対人関係、趣味においても同じことなんでしょう。

さて眠くなってきたから寝るか。明日も頑張ろう、そう思いながら本を携えてベッドに向かいます。皆様今日もお疲れさまでした。

けもの『めたもるシティ』

2020-03-06 17:03:44 | 日本の音楽



忙しい時期を乗り切りました。
残るは確定申告と資格試験の申請、後回しにしていた諸々の手続きと、来年度の勉強会の金を払うだけです。唯一楽しみにしていたライブはコロナウイルスのせいで中止となりました、2月はそれを目標に頑張っていたのに。つらい。



そんなわけでブログ更新が滞っていました、みなさまお元気ですか。確定申告していますか。
私はとにかく書類仕事に追われていました、彼らが憎い。そういう業務が嫌で今の業種を選択したところもあるのに、結局どこまで行っても書類がついてくる。やれ成果を数値化しろだの、集計して統計的手法にかけろだの、テンプレ的文章を書かされるだの…影のように書類がいつまでも付きまとってくる。
影の相手をするのは疲れます、できるけど疲れるんです。そして自分のミスを見つけるたびに落ち込みます、直前で文章を数か所消してしまったり、直したと思った誤字が直っていなかったり…向いていないことをやるのって本当にしんどい。アンパンマンに水泳で金メダルを獲らせるようなもの、とても残酷なことです。


そして現実逃避的に聴いていたのがこのアルバム、けもの『めたもるシティ』です。2017年夏にリリース。ちらほらと評判を目にする機会もあったのですが、なんとなく聴いておらず…しかしこれがすごくいい作品だったのです。癖はあるけど気づいたら繰り返し聞いている、そんな中毒性があります。

ジャンルとしてはシティポップの括りになりますが、ジャズっぽい曲もあれば、打ち込みの曲、90年代を思わせるような曲もあり、とにかくバラエティに富んだ作品です。SpangleとかEGO-WRAPPIN’、キリンジが好きな人は是非。菊地成孔氏がプロデュースし、サックスはもちろんヴォーカルでも参加しています。彼の声も味があって好き。
「フィッシュ京子ちゃんのテーマB」とか「伊勢丹中心世界」など、独自の世界観をもつ癖のある曲もありますが、気づいたら繰り返し聞いている。パクチーのたくさん入ったパッタイみたいなアルバムです、好き嫌いがわかれるけどハマる人はどっぷりハマる、そんな作品。


このアルバムは全体を通じてドラムが良いですね。石若駿さんという方が叩いているのですが、なんとKing Gnuの元メンバーだったとか。その後のディスコグラフィを見ると彼はジャズの道を選んだようですけれど、ロックバンドで演奏していただけあってピリッとしたエイトビートからゆるーいグルーヴ重視の演奏まで、引き出しが多い印象を受けます。なんと言ってもシンバルの音がいい、エンジニアさんの力もあるんでしょうが、聞いていて本当に気持ちいいのです。

以下好きな曲
「夜のドライブ、オレンジのライト」
なんとなくキリンジの「ムラサキ☆サンセット」を思い起こさせる曲。あっちはもう少しにぎやかですが、こちらはタイトルが表すように夜っぽい雰囲気が漂っています。男女のすれ違いみたいなものが歌詞のテーマ、「永遠の愛は約束できない でもいつでも君が必要になる」という箇所が好き。



「第六感コンピューター」
イントロの入りからドラムが本当にいい。Suchmosぽいというか、ポップでダンサブルで歌メロも綺麗で、ここでリスナーの気持ちをつかむぞ!という思いが伝わってくる曲。バスドラが1拍と3泊のオモテで踏んでいたのが、途中から1拍のオモテウラと2拍のウラ、3拍のウラになって、ベースと絡んでくる演出が憎らしいですね。菊池成孔氏の、少しオザケンにも似た声も良い。残念ながら動画は見当たらず。


「River」
このアルバムのベースにはシティポップだけど、この曲はジャズ寄り。Voの青羊氏がもともとジャズシンガーなだけあって、こういう曲は率直に「歌がうまいな~」と思います。深みがある。歌詞も素敵。後ろで淡々と流れるようなピアノが、キリンジの「サイレンの歌」を想起させます。ラストに盛り上がるための布石、といった感じ。残念ながら動画はなし、今作で一番好きな曲。


「Someone that loves you」
これはカヴァー曲ですね。イギリスのHonne(ホーン)という方の曲のようです。美しくオリエンタルなメロディを奏でるピアノがオシャレ。後ろにノリのあるドラムがなんとなく、同じイギリスのバンドであるThe 1975の「Sincerity is scary」に似ている。
けもの Someone That Loves You (Live 2018/7/16)



忙しいのが続くと、楽しいことも楽しくなくなります。
本を読む気が起きず、鞄の中に1ヶ月同じ本が入りっぱなしでした。音楽を聴いても愉しめないし、もちろんブログを書く気持ちにもなれませんでした。2月は本当につらかった、しばしば酒に逃避してしまった。
今月はもう少し生活をあらためていこうと思います、目標は毎週のブログ更新!!ウオオ~やるぞ~~俺は仕事をサボるぞジョジョ~~~ッ!!!
あ、でもその前に確定申告しなきゃ、それから資格試験の申し込みと諸々のry