久しぶりに真面目なことでも書くか。
『野の医者は笑う』東畑開人。京大出身の臨床心理士による、心理学的ノンフィクション。今までも書店で何度か見かけたことはありましたが、表紙に若干の抵抗があり購入には至らず。ご覧の通り、笑顔が怖いし、眩しいし。
でも先日先輩たちと酒を飲んでいる時に「あの本面白いよ、確かもう4刷くらいしてるでしょ」とこの本の話題になったのです。「そんなに面白いんすか?じゃあ貸してくださいよ!」と言ったら「持ってないんだよ..」と言われた。4刷もしてるのに?どうしてそんなこと言うの?
そんなわけでホイホイ買ってしまったのです。正直言って1900円もする本をぱぱっと買って大丈夫?あなた低所得だよ?という天の声も聞こえてきたのですが、先輩が面白いって言ってたしamazonのレビューも高いし、ダメだったら先輩に2000円で売りつけよ…!と思っていました。
これがね、面白かった。悔しいけど面白かったよ。ノリとしてはちょっと古い感じがありますが(太陽やエビチリと会話したり、観葉植物になろうとしたり。メタルギアかよ)。随所に面白いエピソードがあり、筆者の就活がうまくいくのかハラハラもあり笑、すらっと読めてしまった。
ざっくりした本の内容。臨床心理士である筆者が「癒されるってどういうこと?」「心の治療って何?」という疑問から出発し、民間のセラピスト、ヒーラー(筆者は彼らを「野の医者」と呼ぶ)の活動が盛んな沖縄で、実際に治療を受けまくったり話を聞きまくったりしています。怪しい人たちがたくさん出てくるのですが、彼らに癒されている人々がいるのもまた事実。ヒーラー自身も、過去に貧困や家庭の不和など、辛い経験をしていることが共通していると語られています。
とにかく、怪しげな治療がどんどん出てきます(アロマや祈祷とかはまだ常識的な方で、前世を見たり、ミルミルイッテンシューチュー、手から金粉出したり。サイババ感が漂う)。しかし読み進めていくと何故か「そんなの科学じゃないよ」「単なるプラセボでしょ」と言い捨てられないようにも感じるのです。
私たちもふだん、神社に行ったり墓参りしたりしてるわけで。別にそれが統計的に有意な効果があるから行くわけじゃないですもんね。でも行ったらなんとなく落ち着いたとか、どこか厳かな気持ちになったり、美しいと思ったり、何か意味があるような気もする。そんなものなんです。人間って騙されやすく、信じやすい生き物なんです。
では、どうして人間はそういう風に進化してきたか、なぜ宗教や迷信を生み出してきたか?私見ですが、人間が大きな物語の中で生きようとしているからではないかな。一人の人間も、膨大なストーリーから成り立っている。いついつ生まれて、父母がどんな人で、どういう友達がいて、どんなことで笑ってどんなことで傷ついて、泣いて、誰とセックスをして…そういったストーリー。
でも死んでしまったらカスになります、無です。それはやっぱりさみしいよね、ということで集積されたものが物語になり、迷信が成立し、やがて神話になり宗教になっていったんじゃないかな。そこにあるのは自分が無になる「不安」や「虚しさ」なのではないかと思うのです。だから何か大きなものに縋りたい、頼りたい。あくまで私見だよ。
本に話を戻します。ここ最近の臨床心理学では、技法の効果研究がいくつか出ています。おおよそ一致しているのは「効果は認められるが、各技法間で大きな差が認められない」こと。そして何故効くのかとか、どういうメカニズムか、そういったことは未だにブラックボックスなわけで。もっともらしい仮説(情動修正体験だったり、認知の修正だったり、新規巻き返しだったり、魂の成長だったり)がいくつも並べられているのです。じゃあそれは、ヒーラーたちと何が違うの?ってことになりますよね。
とはいえ、案外そんなものなのかもしれません。やっぱり自分の価値観とか、相性とか、「自分が何を大切に思うか」「何にときめくか」が大事というか。ユング派のギーゲリッヒ先生も「心がcatch fireしたものを大事にしろ」と仰っていました。それは治療者の側にしても、患者の側にしても言えることでしょう。自分が「これ本当に大丈夫なの?」と不安に思うことは、たいてい長続きしません。
それから、沖縄の社会的な問題(貧困率の高さ、10代での結婚や出産、離婚など)もところどころで浮き彫りになっていて興味深いです。沖縄というと「なんくるないさ」で、おおらかでのんびりしたイメージがあります。でもそれはある意味過酷な日常の反動なんじゃないかな。江戸時代では薩摩の島津藩に搾取されていたし、先の戦争では大量の犠牲者を出し、未だにその名残があります。そういったところも、癒しのニーズの高さに結びついているのかも。もともとユタと呼ばれるシャーマンの文化があるのも確かですが。
面白い場面、気に入った箇所はたくさんあったけれど、「軽薄じゃないとやっていけない」と言うフレーズが一番ぐっと来ました。なぜかというと私が軽薄だからです。そんなことはどうでもいいけれど、現代は「これだ!俺にはこれしかない!」とずっしり腰を据えて、物事を決めるのが難しいようになってきたように思います。それは筆者も語っているようにポストモダンの不安なのでしょうか。難しいことは良く分からんけど。
それから筆者が「自分がやっていることって正しいのだろうか」と真剣に悩むあたり、実にリアルだなあと。心理の人はみんな悩むんじゃないだろうか、というか悩まない人にあんまりカウンセリング受けたいとは思わないけれど。余談ですが京都大学に後から入ってきた精神分析の先生、某松木先生のことだろうか笑 なんだか身につまされる話が多かったな。
もう一つ気になった点。心理療法の技法は次から次へ生み出されています。筆者も述べていますが、技法は時流を映す鏡なのかもしれません。だから、時代に合わせて技法が改変されていく。
心理療法は相手のニード(何を欲しているか)と、モチベーション(そのためにどの程度やる気があるか)を大事にします。それが個人に対してではなく、今の社会を相手にしている、と考えることも出来るでしょう。社会のニードは何か、社会のモチベーションはどの程度あるだろうか。今後どういった技法が発展していくのだろう。やはり「早い、安い、確実」なものが台頭してくる気がする、CBTのような。それは社会全体が不安になっているからなんだろうけど。そういう私も不安だよ、CBT受けようかな。
一度読んだだけでは、沖縄のヒーラーたちのインパクトが強すぎてそちらに目がいってしまいます。それに筆者の書き方が軽妙で伏線も多いから、ついするすると先を急いでしまいました。見落としている部分もたくさんあるはず、時間を置いてまた読みなおそうと思います。
あー話が散漫になってきた。いつもの悪い癖です。それだけたくさんのことを考えさせられた本、ということでご理解ください。同じような心理療法の読み物としては、最相葉月氏の『セラピスト』もお勧め。こちらの方が重いし途中歴史の話がつまらないけれど、読み応えがすごい。文庫化されているので興味のある方は是非。
私が一番好きな考え方はバリントというハンガリー出身の精神分析家のものです。「何が人を癒すのか?」と問われた彼はひとこと、「人間関係」と答えたそうです。ひょえー、めっちゃクール。私の心がcatch fireしたのでした。
内容とは全然関係ないけど、沖縄に行きたくなる本です。友達に一人沖縄出身のやつがいますが、彼もこういう文化の中で育ってきたのかもしれないな。そんな彼と今日これから飲みます。どうにかして手から金粉や石油を出してくれないかな、そうしたら私の不安も一気に解消されるのにな…。