思いきりサボっています
年度末が近づいてきて忙しいですね。
職場では辞めちゃう人も何人かいて、少々ざわついています。
辞める人や、その影響で不安になっている人のフォローをしています。自分の行動にどれほどの意味があるかわかりませんが、辞める人には少しでもいい気持ちで辞めてもらって、残る人は不安が低減したらいいなと考えています。何かに還元できているのかな。
心理的な援助とは不思議なものです。
自分がサポートしているときは「ああ、支えてもらっているなあ」「助けられているな」という実感を確かに持てるのですが、自分がサポートする側になると、相手から感謝を向けられている場合でも「これ意味あんの?」「もっと他にできたことがあったんじゃないの?」と、内なる自己が私に刃を向けてくるのです。
オッ、出て来たな批判的な超自我。
テメーあんま調子乗んなよ?と思うようにしています。
適切に批判的であることと、過度に自己批判をすることは似ているようでまったく別物ですね。
「私が我慢すれば」とか「全部私のせいだよね」といった過度な自己批判はある種、ナルシシズムや万能感の裏返しでもあります。
人間は脆弱な存在であり、自分1人でできることは限られているので。それをちゃんと認識しないとね。
話を戻します。
職場におけるマネジメント、サポート的介入の研究は、探せばきっとあるのでしょう。
産業領域あんま好きじゃないからなあ~。多分に偏見を含んでいることは承知しているのですが、産業心理学は健康なソルジャーを社会生活に送り出すためのようなイメージを持っているので。資本主義の潮流に乗せるための、ある種のTipsみたいなものというか。それで救われる人もいるでしょうけど、人間病むときはしっかり病んでもいいじゃない、と思ったり。ユングやヘッセのように。
とはいえ。
日本はもはや豊かでないので、実際に病むと生活が破綻したり復帰が難しくなったり、病んでる場合じゃない人も多いでしょうから、社会復帰に対するニーズがあるのも理解できます。高等遊民はもはや昔。しっかり休める余裕がある人が、どのくらいいるのだろう。
産業領域も勉強したら面白く感じる部分もあるんだろうけど、私が不勉強なこともあり、そのへんの論文や研究をちゃんと読んでいないです。ごにょごにょ悩むくらいなら論文を渉猟し、「介入の効果は、ありまーす!!!」と声高に宣言すれば済む話ですよね。やだけど。
ただ、論文で効果があると言われていることと、臨床の手触りというのはなかなか一致しないというか。
いわゆる「客観性」「エビデンス」に重きを置く場合は、それが個々のケースに必ずしも当てはまらないこともあり。臨床の知はぶっちゃけケースバイケースになることが多いので、そこに難しさと面白さがありますね。土居先生がおっしゃられていたような「出たとこ勝負」というか。なんで効果があるのか全然わからないけど、手ごたえを感じる瞬間もあります。
でも臨床の営みで集積した知が、何らかの形になるとそれはそれで面白いよな、と考えたり。
そうなると。
どこからともなく「事例論文を書きなさい」「学会で発表しなさい」という声が聞こえてきます。
うごご、うごごごご。そうなるともっと頑張らなくてはならないじゃないですか...!!
うそです、頑張りたくないわけではないのです。
何かチャレンジして、失敗して傷つくのが怖いのです。去勢を恐れているというか。
情けないね。情けない自分とずいぶん長く付き合ってきたので、失敗して情けない姿を見せても、それはそれでご愛敬です。
今年こそがんばるぞ、と思っています。でもとりあえず、激動の年度末を乗り越えるのです。
辞めていく人が多いのは嫌だなあ、悲しいなあ、という気持ちを嚙み締めつつ。
さて、サボり終了です。
そろそろ労働に戻らなくてはなるまいです。悲しいなあ。
年度末が近づいてきて忙しいですね。
職場では辞めちゃう人も何人かいて、少々ざわついています。
辞める人や、その影響で不安になっている人のフォローをしています。自分の行動にどれほどの意味があるかわかりませんが、辞める人には少しでもいい気持ちで辞めてもらって、残る人は不安が低減したらいいなと考えています。何かに還元できているのかな。
心理的な援助とは不思議なものです。
自分がサポートしているときは「ああ、支えてもらっているなあ」「助けられているな」という実感を確かに持てるのですが、自分がサポートする側になると、相手から感謝を向けられている場合でも「これ意味あんの?」「もっと他にできたことがあったんじゃないの?」と、内なる自己が私に刃を向けてくるのです。
オッ、出て来たな批判的な超自我。
テメーあんま調子乗んなよ?と思うようにしています。
適切に批判的であることと、過度に自己批判をすることは似ているようでまったく別物ですね。
「私が我慢すれば」とか「全部私のせいだよね」といった過度な自己批判はある種、ナルシシズムや万能感の裏返しでもあります。
人間は脆弱な存在であり、自分1人でできることは限られているので。それをちゃんと認識しないとね。
話を戻します。
職場におけるマネジメント、サポート的介入の研究は、探せばきっとあるのでしょう。
産業領域あんま好きじゃないからなあ~。多分に偏見を含んでいることは承知しているのですが、産業心理学は健康なソルジャーを社会生活に送り出すためのようなイメージを持っているので。資本主義の潮流に乗せるための、ある種のTipsみたいなものというか。それで救われる人もいるでしょうけど、人間病むときはしっかり病んでもいいじゃない、と思ったり。ユングやヘッセのように。
とはいえ。
日本はもはや豊かでないので、実際に病むと生活が破綻したり復帰が難しくなったり、病んでる場合じゃない人も多いでしょうから、社会復帰に対するニーズがあるのも理解できます。高等遊民はもはや昔。しっかり休める余裕がある人が、どのくらいいるのだろう。
産業領域も勉強したら面白く感じる部分もあるんだろうけど、私が不勉強なこともあり、そのへんの論文や研究をちゃんと読んでいないです。ごにょごにょ悩むくらいなら論文を渉猟し、「介入の効果は、ありまーす!!!」と声高に宣言すれば済む話ですよね。やだけど。
ただ、論文で効果があると言われていることと、臨床の手触りというのはなかなか一致しないというか。
いわゆる「客観性」「エビデンス」に重きを置く場合は、それが個々のケースに必ずしも当てはまらないこともあり。臨床の知はぶっちゃけケースバイケースになることが多いので、そこに難しさと面白さがありますね。土居先生がおっしゃられていたような「出たとこ勝負」というか。なんで効果があるのか全然わからないけど、手ごたえを感じる瞬間もあります。
でも臨床の営みで集積した知が、何らかの形になるとそれはそれで面白いよな、と考えたり。
そうなると。
どこからともなく「事例論文を書きなさい」「学会で発表しなさい」という声が聞こえてきます。
うごご、うごごごご。そうなるともっと頑張らなくてはならないじゃないですか...!!
うそです、頑張りたくないわけではないのです。
何かチャレンジして、失敗して傷つくのが怖いのです。去勢を恐れているというか。
情けないね。情けない自分とずいぶん長く付き合ってきたので、失敗して情けない姿を見せても、それはそれでご愛敬です。
今年こそがんばるぞ、と思っています。でもとりあえず、激動の年度末を乗り越えるのです。
辞めていく人が多いのは嫌だなあ、悲しいなあ、という気持ちを嚙み締めつつ。
さて、サボり終了です。
そろそろ労働に戻らなくてはなるまいです。悲しいなあ。