砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

くたびれた日記

2020-10-30 17:28:16 | 日記
くたびれたんでブログを書きます。
今月はちょっとばたばたしてので、あっという間に月末になったなあ、という感覚です。
意識を喪失していた可能性もあります。
切実に遊びたい、本気出して遊びたい。
1週間くらい仕事を休んで、自分のことを誰も知らないどこか遠くの場所に行きたい。



ラジオの熱が少しずつ冷めてきて、最近また音楽を聴くようになりました。とはいえ新しい音楽には手が伸びず、相変わらずRadioheadやTool、Mr.Childrenやキリンジなど、昔聴いてたものをよく聴いています。
なかでもRadioheadの「Kid A」をヘビロテしていて、15年前もずっと聴いていたけどやっぱこのアルバムすごくいいよな、至高…なんて思いながら近所を散歩しています。うわあ根暗。友達が少ないはずです。余計なお世話だよ。

ふと、大学院の先輩が言っていたことを思い出します。
「齢を取ってきてからは、今まで聞いていた音楽をローテーションするだけでもう十分」と。
自分も少しずつそのフェーズに差し掛かっているのかもしれません。
積極的に新しい刺激を取り入れなくなりました。音楽好きの友達と会う機会が減ったり、ライブイベントに行けなかったりするのもあるのでしょう。
狂ったようにタワレコを彷徨っていた20代前半。あのころの自分は一体何を探し求めていたのだろう。


でも。
実際TSUTAYAに行くと気持ちがときめきます。あれも借りよう、これも借りようとかやっていると10枚くらいCDを借りちゃう。しかしたいていは早く家に帰りたい気持ちが勝つし、「今携帯に入っているので十分だよな…」とか思って、寄らないまま帰ることもしばしば。
今日は久しぶりに行ってみようかな。

最近はストリーミングサービス(音楽配信サービス)がもっぱらですよね、Apple MusicやSpotifyなど。あれも便利なんだけど、ものすごく便利なんだけど、やっぱり自分はCDを借りてきて、PCに取り込んでさらに携帯に入れたい。iPhoneだとONKYOのアプリで再生した方が断然音がいいし。
好きな音楽はいい音質で聴きたいのです、だから夏でもヘッドフォン。うわあ陰気。友達がいないはずです。うるさいよ、片手で数えられるくらいにはいるよ。

音楽を聴くようになったので、付随して本も読むようになりました。今読んでいるのはカルヴィーノの『むつかしい愛』です。わかるよ、愛って難しいよね。そんな話はどうでもいいか。カルヴィーノのふわっとした短編が、仕事で頭を使ったあとにはちょうど良くて。
少しずつ積読を消化しようと思っています、次は何を読もうかな。海外の小説は途中で挫折したもの、まだ読んでいないものが本棚にたくさん並んでいます。TSUTAYAの棚を見ているように、わくわくするなあ。


今年もあと2ヶ月。
少しずつ前に向かっている人たちを見て焦りつつ、でも自分には自分のペースがあるのだよな、とおのれに言い聞かせつつ。
不安は尽きません、ときどき悲しいこともあります。そんな私をRadioheadが癒してくれるのです、至高…。

漫然とした日記

2020-10-02 17:19:56 | 日記

この画像は記事の内容と一切関係ありません

金曜の午後、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
私は今日の仕事をあらかた終わらせて、ぼんやりしています。今週は忙しかったなあ。このあと勉強会なので、今は省エネモードです(というか労働を放棄しています)。
10月になり、日中は暑いもののすっかり秋になりましたね。夜は冷え込みます。近所を歩くと金木犀の香りが街をにぎわせています、あと秋花粉も。ックショーイ!!秋花粉の野郎、撲滅したいよ。百合子なんとかしてくれ、カイロ大を主席で卒業してんだからそれぐらいできるっしょ…。



近況など。
8月に書いたように、オードリーのラジオにずっとハマっています。職場への往復でオールナイトニッポンを初回からさかのぼって聴いていて、若林のエッセイ『社会人大学 人見知り学部 卒業見込み』も買って読んだし、いずれは番組の構成作家である藤井青銅さんの本『幸せな裏方』も読んでみたいと思っています。その他にもハライチのターン、佐久間さんのANNをときどき聞いています。

その弊害もあって。
ラジオを聞いていると読書に集中できなくて、本を読まなくなりました。ふと数年前の日記を読み返すと、あれこれ本を読んでは感想を残していて。前はもっと本を読んでいたのに、最近あまり読めていません。ラジオ熱が冷めてきたらまた読むようになるかしらん。
音楽も聞いていません。当然だよね、ラジオを聞いているんだから。まあ音楽に対する情熱は昔から強いので、やがて聞くようになるでしょう。


ずっと日記を残しています。
厳密に言うと2016年の8月末から、Google Drive上で日記を書いています。数行しか書かない日もあれば、1日で2000字を超える時もあります。日記といってもその日に書くことは少なくて、翌日とか、ひどい時は4日後や1週間後にまとめて書いています。
長くなってくるとスクロールが大変で、半年ごとにデータを分けています。半年でだいたい7~9万字の量になります。そう考えると、この4年間で約60万字書いている計算になるでしょうか。なんて暇な奴なんだ。

過去の日記を読み返すのが好きです。ここで食べた寿司はうまかった、この映画はハズレだった、旅行が楽しかった、本が面白かった、この時期は仕事が辛かったとか。そういったことを定期的に思い返したくなります。それがしたくて日記を残している面もあると思います。そういうことをしないと、篩にかけられた砂のように、控えめな記憶がぽろぽろとこぼれ落ちてしまいそうで。

読み返していて思うのは、人間ってあまり変わらないなってこと。
深酒して翌日反省したり、同じようなことで落ち込んだり悩んだり、失敗したり人と喧嘩をしたり。新しい体験をすることもあるけど、芯の部分はなかなか変わりません。

でも「あまり変わらない」と書いたように、当然変わったところもあって。
4年前と比べたら齢をとりました。早寝早起きをするようになったし、脂っこいものを避けるようになったし、健康のために運動しているし、なのに太ったし。哀しいことです。季節がめぐり、自分が着実な死に向かっているのを確信します。


人生になかなか長期的な展望が持てません。
やがてはこういう方向に進みたい、こうなりたいという思いはあります。しかし一歩踏み出す勇気がなくて。もちろん自分なりに研鑽を積んだり、勉強をしたりもしていますが、ふと「これでいいのかな」と不安になります。考える時間ができると不安になるから、ラジオを聞いたり酒を飲んだりして、時間の間隙を埋めていく。はて、これでいいのだろうか。そういう不安が影法師のように、私のすぐそばに潜んでいるのです。影法師と違うのは、夜になっても消えず、むしろその存在をますます強めることですが。

ただなんとなく、日々を過ごしています。
それでも人生はなかなか大変です。序盤、中盤、終盤隙がないと思います。でもオイラ負けないよ。