たぶん祖父がアル中だった話
先日親族で集まる機会があった。私が生まれるよりも早くに亡くなった、会ったこともない祖父の法事だ。
そこで親戚のおばさんから、いかに祖父が酒乱だったか、酒にまつわるエピソードをいくつも聞いた。
自分としては、それを聞いて非常に得心する気持ちになった。
なるほど。
だから祖母は性格がひねくれて吝嗇になり、父があんなに短気で寂しがり屋になったのだろうな、と。
クリストファー・ノーランの映画「TENET」で何が起きているのか、すべて理解できた時のような気持ちだった(ちなみにあの映画で途中から何が起きているのか、いまだに理解できていない)。
もちろん、祖父の酒乱ぶりをこの目で確かめたわけではない。
だからこの話は仮説に過ぎない。
でもそう考えると、いろんなことのつじつまが合うのだ。
アル中、いわゆるアルコール中毒。正式名称ではアルコール依存症である。
この依存症の怖いところは、お酒が大麻と違って平気な顔をして店で売られていることだ。
手に入りやすいし、安価である(もちろん手に入りにくくて高価な大麻や覚せい剤も怖いけど)。
しかも大麻や薬物は「ダメ、ゼッタイ!」と言われるくらい、最初に使用するハードルが高い。
でもお酒は、一昔前なら「大学に入ったらみんな飲むっしょ?ウェイwwwww」くらいのノリだった。
そこからアル中にたどり着くには、それなりの道のりがあるとは思うものの、博士論文を書いたり直木賞を取ったりするような険しいものではない。
ただ飲み続ければよいのだ。
坂道を転がるようなものである。ライクアローリングストーン。
思えば有名人のなかでも、アルコール依存になっている人がたくさんいる。
中島らも、元TOKIOの山口メンバー、ジェームズ・ヘッドフィールド(メタリカのGt/Vo)、スラッシュ(ガンズアンドローゼスのGt)、アレキシ・ライホ(チルドレンオブボドムのGt/Vo)。私が知っている範囲に偏りがあるが、きっとまだたくさんいるのだろう。
厚生労働省の情報。
アルコール依存症の生涯罹患率は1%と言われており、日本には100万人程度の患者がいると推定されている(ちなみに近い罹患率の疾患は統合失調症で、0.7%である)。
ただし、アルコール依存症ででちゃんと治療につながっているのは5万人程度、つまり依存症患者の5%に過ぎない。このように、「このままじゃまずい」と思って治療に結びつきにくいことも、この依存症の怖いところだ。
また、依存症とは言えないまでも、健康を損なったり他者を傷つけたりと、お酒にまつわる問題を抱えた人は1000万人程度いると言われている。恐ろしい話である。私も酒をわんわん飲むときがあるので、全然他人事ではないのだが。
祖父の話に戻る。
行きつけの飲み屋で、よく遅くまで飲んだくれていたという。それだけなら昭和のよくある話だが、なんとそこから乗り物的な手段で帰っていた。今だったら即刻免停である。あまつさえ家の近くの溝に車のタイヤをはめ、クラクションを鳴らしまくって寝ている家族を起こしては、車を溝から挙げてもらったようである。いい迷惑だ。
そんなに飲んでいては当然金がかかる。祖母は非常に家計で苦労したらしい。
私の知っている祖母は、よく物をため込み、整理整頓が苦手だった。
また、幼い私にやれ勉強を頑張れだの、成功しろだの的なことを話していた。それが嫌でしかたなかった。
でもそれは、お金の苦労が身に沁みついていたからなんじゃないかと、祖父の話を聞いて思いを馳せた。
父は感情的な人間でよく怒鳴っていた。
職場では評判がよかったらしいが、自分はにわかに信じられなかった。
齢を重ねて丸くなってきた部分もあったが、それでもかっとなって物を投げたりすることもあった。弟が入試の年の正月にそういうことがあったものだから、たまたま帰省していた私は辟易し、弟を連れてひっそり親戚宅に行ったこともある。
ちなみにその年、弟は入試に失敗した。たぶんそれは勉強不足だと思います。
父が怒るパターンはだいたい似ていて。
みんなで一緒に食事を摂ろうとしているのに、母が片づけを済ませたくてばたばたしていたときに多かった。待ちきれず、かっとなって「もういい!」と言ったあと、寝室に籠っていた。少し時間をおいて機嫌が直った頃、私が呼びに行っていた。自発的に行っていたのか、行かされていたのか、今となっては定かではない。
小さい時は父に対して「そんなことでいちいち怒るなよ」と思っていた。でも今思うと、きっと父は家族全員で食事を摂ることに憧れがあったし、小さい頃は祖父が不在で寂しかったんだろうなと思う。そんな短気な父だが、子どもと遊ぶ時間は大事にしてくれていた。祖父のようにはなるまい、という思いがどこかにあったのかもしれない。
お酒は楽である。
飲めば嫌なことを忘れられる、平易な手段である。
ロマネなんとかとか、高いウイスキーを飲まなければある程度安価でもある。
私も頑張った日や疲れた日は、ついつい酒を飲んでしまう。
でも。
自分が忘れたい嫌なことから目を背け続けると、傷が悪化したり、虚しさが領地を拡大したりする。
お酒をたくさん飲みたくなる背後には、お酒で穴埋めをしたい、もやもやした思いがその人の中にあるのだろう。それが常態化していくと、あと戻りがどんどん難しくなるのだと思う。ライクアローリングストーン。
人はみな孤独に弱い生き物だな、と思う今日この頃である。
先日親族で集まる機会があった。私が生まれるよりも早くに亡くなった、会ったこともない祖父の法事だ。
そこで親戚のおばさんから、いかに祖父が酒乱だったか、酒にまつわるエピソードをいくつも聞いた。
自分としては、それを聞いて非常に得心する気持ちになった。
なるほど。
だから祖母は性格がひねくれて吝嗇になり、父があんなに短気で寂しがり屋になったのだろうな、と。
クリストファー・ノーランの映画「TENET」で何が起きているのか、すべて理解できた時のような気持ちだった(ちなみにあの映画で途中から何が起きているのか、いまだに理解できていない)。
もちろん、祖父の酒乱ぶりをこの目で確かめたわけではない。
だからこの話は仮説に過ぎない。
でもそう考えると、いろんなことのつじつまが合うのだ。
アル中、いわゆるアルコール中毒。正式名称ではアルコール依存症である。
この依存症の怖いところは、お酒が大麻と違って平気な顔をして店で売られていることだ。
手に入りやすいし、安価である(もちろん手に入りにくくて高価な大麻や覚せい剤も怖いけど)。
しかも大麻や薬物は「ダメ、ゼッタイ!」と言われるくらい、最初に使用するハードルが高い。
でもお酒は、一昔前なら「大学に入ったらみんな飲むっしょ?ウェイwwwww」くらいのノリだった。
そこからアル中にたどり着くには、それなりの道のりがあるとは思うものの、博士論文を書いたり直木賞を取ったりするような険しいものではない。
ただ飲み続ければよいのだ。
坂道を転がるようなものである。ライクアローリングストーン。
思えば有名人のなかでも、アルコール依存になっている人がたくさんいる。
中島らも、元TOKIOの山口メンバー、ジェームズ・ヘッドフィールド(メタリカのGt/Vo)、スラッシュ(ガンズアンドローゼスのGt)、アレキシ・ライホ(チルドレンオブボドムのGt/Vo)。私が知っている範囲に偏りがあるが、きっとまだたくさんいるのだろう。
厚生労働省の情報。
アルコール依存症の生涯罹患率は1%と言われており、日本には100万人程度の患者がいると推定されている(ちなみに近い罹患率の疾患は統合失調症で、0.7%である)。
ただし、アルコール依存症ででちゃんと治療につながっているのは5万人程度、つまり依存症患者の5%に過ぎない。このように、「このままじゃまずい」と思って治療に結びつきにくいことも、この依存症の怖いところだ。
また、依存症とは言えないまでも、健康を損なったり他者を傷つけたりと、お酒にまつわる問題を抱えた人は1000万人程度いると言われている。恐ろしい話である。私も酒をわんわん飲むときがあるので、全然他人事ではないのだが。
祖父の話に戻る。
行きつけの飲み屋で、よく遅くまで飲んだくれていたという。それだけなら昭和のよくある話だが、なんとそこから乗り物的な手段で帰っていた。今だったら即刻免停である。あまつさえ家の近くの溝に車のタイヤをはめ、クラクションを鳴らしまくって寝ている家族を起こしては、車を溝から挙げてもらったようである。いい迷惑だ。
そんなに飲んでいては当然金がかかる。祖母は非常に家計で苦労したらしい。
私の知っている祖母は、よく物をため込み、整理整頓が苦手だった。
また、幼い私にやれ勉強を頑張れだの、成功しろだの的なことを話していた。それが嫌でしかたなかった。
でもそれは、お金の苦労が身に沁みついていたからなんじゃないかと、祖父の話を聞いて思いを馳せた。
父は感情的な人間でよく怒鳴っていた。
職場では評判がよかったらしいが、自分はにわかに信じられなかった。
齢を重ねて丸くなってきた部分もあったが、それでもかっとなって物を投げたりすることもあった。弟が入試の年の正月にそういうことがあったものだから、たまたま帰省していた私は辟易し、弟を連れてひっそり親戚宅に行ったこともある。
ちなみにその年、弟は入試に失敗した。たぶんそれは勉強不足だと思います。
父が怒るパターンはだいたい似ていて。
みんなで一緒に食事を摂ろうとしているのに、母が片づけを済ませたくてばたばたしていたときに多かった。待ちきれず、かっとなって「もういい!」と言ったあと、寝室に籠っていた。少し時間をおいて機嫌が直った頃、私が呼びに行っていた。自発的に行っていたのか、行かされていたのか、今となっては定かではない。
小さい時は父に対して「そんなことでいちいち怒るなよ」と思っていた。でも今思うと、きっと父は家族全員で食事を摂ることに憧れがあったし、小さい頃は祖父が不在で寂しかったんだろうなと思う。そんな短気な父だが、子どもと遊ぶ時間は大事にしてくれていた。祖父のようにはなるまい、という思いがどこかにあったのかもしれない。
お酒は楽である。
飲めば嫌なことを忘れられる、平易な手段である。
ロマネなんとかとか、高いウイスキーを飲まなければある程度安価でもある。
私も頑張った日や疲れた日は、ついつい酒を飲んでしまう。
でも。
自分が忘れたい嫌なことから目を背け続けると、傷が悪化したり、虚しさが領地を拡大したりする。
お酒をたくさん飲みたくなる背後には、お酒で穴埋めをしたい、もやもやした思いがその人の中にあるのだろう。それが常態化していくと、あと戻りがどんどん難しくなるのだと思う。ライクアローリングストーン。
人はみな孤独に弱い生き物だな、と思う今日この頃である。