砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

くりかえされる諸行無常、よみがえるビワコ一周

2024-11-22 16:37:44 | 音楽

またしても、琵琶湖を自転車で1周してきました。
しかも1人で。
来週は友人と山手線RTAをします。
どんだけ回るのが好きやねん、あたしゃハムスターかい。



琵琶湖1周を2回やった印象。
走っていて楽しいエリア、危ないエリア、つまんないエリアがあると感じました。

拙い字で申し訳ないですが、ざっくりこんな感じです。

楽しいエリアは、まずスタートしてすぐの米原~長浜にかけて。
左手に湖を眺めながら走れるので気持ちがよいですね。それから賤ケ岳を上ってから降りていくあたりと、古いトンネルをたくさん通るあたりが楽しいです。
あとは海津(かいづ)のあたりも、古い町並みが残っていて趣があります。


賤ケ岳のトンネル。ここまで登るのは大変ですが、トンネルを抜けた先の展望が素晴らしい。


海津。古い民家が立ち並んでおりよい雰囲気。


危ないのは志賀~大津にかけてのエリア。
自転車用のルートが確保されておらず、交通量の多い車道を走らなくてはなりません。
あとは近江舞子の手前で国道を渡るのですが、横断歩道はあっても信号機がない箇所があり。
昨年、夜間にここを渡ろうとした際に妻が轢かれそうになりました。日中に通ることをお勧めします。


恐らくビワイチで最も危険な横断歩道。

しんどいエリアは主に2ヶ所、近江高島~近江舞子にかけてと、草津~近江八幡にかけてです。
片側はほぼ田んぼ、もう片側は藪になっていて湖も見えず。
ただ走るだけの道で、面白味に欠けます。しかも結構距離があるんだな、これが。


この辺が本当につらく、「ッカ~、つまんね~道!」と独り言をたくさん呟きながら走行していました。

そんなわけで琵琶湖を1周してきました。
昨年は妻と一緒に回ったのですが、先月から彼女が海外におりまして。
彼女との記憶に思いを馳せつつも、ひいひい自転車を漕ぎました。
しかも1日目も2日目も途中で雨に降られるし。
2日目と3日目は、風は強いし急に気温が下がるし、さんざんでした。
そのぶん、終わった後の達成感はとても大きかったです。

今回は宿の位置が微妙でした。
前回は近江舞子の付近に宿泊したため、1日目が本当に大変で。
到着が遅くなり、近江高島を過ぎた頃から真っ暗になってしまって。
暗いなか自転車を漕いだことを反省し、今回はマキノの付近に宿を取りました。

端的に言って、かなり日和ってしまいまして。
1日目の宿をわりあい手前のほうで予約しました。
10時に出発して、のんびり漕いでいたのに15時50分頃には着きました。
走行距離は60㎞、「こんな初日で大丈夫か…?」と不安におののきつつ。
付近には店もないので、風呂に入ってビールを飲みながら『進撃の巨人』を読みました。
『進撃の巨人』面白かったなあ、ようやく最後まで読みました。いい作品でした。

さて2日目は5時半に起き、朝6時半にスタート。
途中で三井寺を観光しましたが、大津で近江ちゃんぽんを食べた以外ほぼ寄り道せず。
それでも宿に着いたのは17時頃でした。走行距離は120㎞、昨日の倍走りました。
バランスおかしいよね。誰がこんなプラン組んだのよ。すみません、私が始めた物語です。

それでも。
宿の雰囲気が良かったです。場所は近江八幡の先の、伊庭(いば)という集落にありました。
ゲストハウスで、店の人に送ってスーパーに買い物に行き、肉うどんを作って食べました。
滋賀県の日本酒も飲みました、美味かったな。

最終日はのんびり9時頃に出発しました。
時間に余裕があったので、長命寺の温泉に入ろうかなとも思ったんですが、「昨日必死に走った道を戻りたくない」という思いが強く、断念しました。
信長の城があった安土に行こうかとも考えたものの「→安土 9.8km」と書かれていて、往復20㎞弱か…と思いながら直進しました。諦めることも大事。

途中で彦根に寄って城に入ったり、お濠で屋形船に乗ったり、ゆったり過ごしました。
そのあと米原に帰ってきて、お土産とビールを買って帰りました。


最終日、道端に落ちていた松ぼっくり、日を浴びてまぶしそうでした。



さらば、米原。


完走した感想です。
今回のビワイチでは、妻の「不在」を、彼女が「いまここにいないこと」を強く感じました。
雨に降られ、心が折れそうになりながら走った道。一緒にパンを食べた公園。空を見上げた天守閣。
そこかしこに、前回のビワイチの思い出が残っていて。
また彼女と一緒に回りたいような、もう走らなくてもいいような、そんな気持ちになりました。

思えば「寂しい」という気持ちを痛感する1年でした。
夏には祖父が亡くなって、心の芯から悲しみを味わいました。
秋には妻が海外に行って、しばらくはなんてことがなかったのです。
それが、今回の旅では本当に寂しく感じられて。
こんなにも自分が寂しがり屋なのだな、と痛感しました。

思えば幼少期のころから、参観日に母親が来なかったことを恨んだり、ピアノの先生が病気になってレッスンが終わるときに泣いたり。
『あさきゆめみし』を読んで、紫の上が亡くなる場面で号泣したりと、その片鱗があったと思うのです。
でも長く中二病を患っていた私は「寂しさ?そんな感情忘れちまったなァ…」と嘯いていたのです。

しかしながら。
やっぱりそんなの嘘だドンドコド-ンでした。
寂しくて泣くなんて3ヶ月の赤子でもすることなのです、人間に深く根差した感情なのです、簡単に消えるはずないのです。
本当は寂しい気持ちを感じると苦しくて、それを認めたくなくて、目を背けていただけだったのですね。
今回のでそれがよくわかったよ。いい巡礼の旅でした。


とはいえ。
おいおい妻のもとを訪問する予定です。再会したら、ポプテピピックごっこでもしようかな。
“A dingo!!”
”Don’t care.”
みたいにね。ハハハハハ。

サボ山サボ太郎

2024-01-30 13:48:14 | 音楽
思いきりサボっています


年度末が近づいてきて忙しいですね。
職場では辞めちゃう人も何人かいて、少々ざわついています。
辞める人や、その影響で不安になっている人のフォローをしています。自分の行動にどれほどの意味があるかわかりませんが、辞める人には少しでもいい気持ちで辞めてもらって、残る人は不安が低減したらいいなと考えています。何かに還元できているのかな。


心理的な援助とは不思議なものです。
自分がサポートしているときは「ああ、支えてもらっているなあ」「助けられているな」という実感を確かに持てるのですが、自分がサポートする側になると、相手から感謝を向けられている場合でも「これ意味あんの?」「もっと他にできたことがあったんじゃないの?」と、内なる自己が私に刃を向けてくるのです。
オッ、出て来たな批判的な超自我。
テメーあんま調子乗んなよ?と思うようにしています。

適切に批判的であることと、過度に自己批判をすることは似ているようでまったく別物ですね。
「私が我慢すれば」とか「全部私のせいだよね」といった過度な自己批判はある種、ナルシシズムや万能感の裏返しでもあります。
人間は脆弱な存在であり、自分1人でできることは限られているので。それをちゃんと認識しないとね。


話を戻します。
職場におけるマネジメント、サポート的介入の研究は、探せばきっとあるのでしょう。
産業領域あんま好きじゃないからなあ~。多分に偏見を含んでいることは承知しているのですが、産業心理学は健康なソルジャーを社会生活に送り出すためのようなイメージを持っているので。資本主義の潮流に乗せるための、ある種のTipsみたいなものというか。それで救われる人もいるでしょうけど、人間病むときはしっかり病んでもいいじゃない、と思ったり。ユングやヘッセのように。

とはいえ。
日本はもはや豊かでないので、実際に病むと生活が破綻したり復帰が難しくなったり、病んでる場合じゃない人も多いでしょうから、社会復帰に対するニーズがあるのも理解できます。高等遊民はもはや昔。しっかり休める余裕がある人が、どのくらいいるのだろう。
産業領域も勉強したら面白く感じる部分もあるんだろうけど、私が不勉強なこともあり、そのへんの論文や研究をちゃんと読んでいないです。ごにょごにょ悩むくらいなら論文を渉猟し、「介入の効果は、ありまーす!!!」と声高に宣言すれば済む話ですよね。やだけど。

ただ、論文で効果があると言われていることと、臨床の手触りというのはなかなか一致しないというか。
いわゆる「客観性」「エビデンス」に重きを置く場合は、それが個々のケースに必ずしも当てはまらないこともあり。臨床の知はぶっちゃけケースバイケースになることが多いので、そこに難しさと面白さがありますね。土居先生がおっしゃられていたような「出たとこ勝負」というか。なんで効果があるのか全然わからないけど、手ごたえを感じる瞬間もあります。
でも臨床の営みで集積した知が、何らかの形になるとそれはそれで面白いよな、と考えたり。

そうなると。
どこからともなく「事例論文を書きなさい」「学会で発表しなさい」という声が聞こえてきます。
うごご、うごごごご。そうなるともっと頑張らなくてはならないじゃないですか...!!

うそです、頑張りたくないわけではないのです。
何かチャレンジして、失敗して傷つくのが怖いのです。去勢を恐れているというか。
情けないね。情けない自分とずいぶん長く付き合ってきたので、失敗して情けない姿を見せても、それはそれでご愛敬です。
今年こそがんばるぞ、と思っています。でもとりあえず、激動の年度末を乗り越えるのです。
辞めていく人が多いのは嫌だなあ、悲しいなあ、という気持ちを嚙み締めつつ。


さて、サボり終了です。
そろそろ労働に戻らなくてはなるまいです。悲しいなあ。

ロイヤルフィル&辻井伸行コンサートに金払って行ってきた件

2023-06-09 16:56:51 | 音楽

このあと飲み会なのでブログを書きます。

関東は梅雨入りしたようです、いやだなあ。
過ごしやすい時期、心地よい季節はあっという間に過ぎ去ってしまいますね、悲しい。
人生も同じです。食べられる量、飲める量が顕著に減ってきています。
いつまでも若いつもりではいられません、切ない。



さて。
先日クラシックのコンサートを聴きに行きました。
イギリスのロイヤルフィルと辻井伸行さんの演奏、場所は文京シビックホール。
ちなみにシビックホールの上には展望台があって、そこから眺める夕日がたいへん美しかったです。
ベタな表現ですが、東京の街並みがぐっと小さく見えたりして。

プログラム
グリエール スラブの主題による序曲
ラフマニノフ ピアノ協奏曲3番
チャイコフスキー 交響曲6番「悲愴」

昨年からハマっているラフマニノフのピアノ協奏曲3番と、前から好きで一度は生で聴きたいと思っていたチャイコの6番です。A席で13000円して慄いたのですが、どうしても聴きたくて、えいやと断腸の思いで購入しました。今年は2月にメガデスのライブにも行きましたが、そのときもチケットが1万円を超えすこぶる慄いたものの、マーティがゲストで出るというので、おどりゃあと断腸の思いで購入しました。

小賢しい真似をして恐縮なのですが、ラフマニノフ3番は昨年から聴き比べていて。
好きなのがマルタ・アルゲリッチと、なんと読むのか分からないジョージア出身の方、Khatia Buniatishviliさんの演奏です。
アルゲリッチの演奏は内にこもった熱が溢れるような演奏、なんと読むのか分からないKhatia Buniatishviliさんは美しい川の流れのような演奏で、どちらも本当に好きです。その時の気分にあわせて、繰り返し聴いています。

コンサートの感想を少しばかり。
グリエール スラブの主題による序曲
この曲はあんまり予習をしていかなかったこともあり、そこまで胸に響かず。朴訥な感じの主題が展開していく、という曲だったと思います。間違っていたらすみません。完全に予習不足です。

ラフマニノフ ピアノ協奏曲3番
辻井さんの演奏は、いい意味で「野蛮」に感じられるような力強さがありました。ラフマニノフは、協奏曲2番でもそうですが途中で大陸的なフレーズが流れる箇所があって(3番だと3楽章のクライマックスのあたり)。そういう箇所だと力強いピアノとの相性がいいですね。とても良かったです。
あとは生で聴くと2楽章のピアノが際立って聞こえて、CDで聴くよりもずっと存在感がありました。途中の速くて美しいパッセージがたまらんでしたわ。ワハハハハ。

チャイコ 交響曲6番
この曲はかれこれ10年くらい前から聴いていた気がします。チャイコの交響曲を初めてちゃんと聞いたのは5番でしたが、その後6番→4番とはまっていって。今では6番が一番好きですかね、ベタですが。あ、ロミジュリとかも好きですよ、裏拍でシンバルがちゃかちゃかなるところとか好きです。
生で聴くと、うーん、期待値が大きすぎたのもあって少し拍子抜けしたというか…まあ自分の座席が1番前だったので、もう少し後ろの方だったら聞こえ方も変わったかなと思うのですが…思っていたよりも心に響かず。
好きすぎる、期待が高すぎるのも問題だったかもしれません。下世話な話で恐縮ですが、銀杏BOYZのヴォーカル峯田氏も、初めて女の子と性的な行為をしたときに「あれっ、こんなもんか?」と思ったと、15年前くらいのインタビューで語っていた気がします。比べるのもどうかと思うけど、正直そんな感じでした。


でもまあ、アンコールでサティのジムノペディをオケでやってくれて。それがすごくよかったんですよね。
オケを生で聴くのはいいですね~オケに限らずメガデスでも落語でも、生で聴くのはいいですね。
その体験が人生に刻み付けられる気がします。リスカみたいですね、違うか。


ライブでもコンサートでも、こういった「生」のイベントを体験することは、あっという間に失われてしまう時間にわずかながらに抗っている感じがして。
このまますり減っていくだけの人生は嫌なので、私は労働に抗ってブログを書き、時の流れに抗ってまたライブやコンサートに足を運ぼうと思います。みなさまも湿度に抗って、どうかお元気で。

センチメンタル・ショパン

2022-09-17 16:06:52 | 音楽

9月17日なのでブログを書きます。
調べたところ、本日はなかやまきんにくんの誕生日のようです。
おめでとうございます、パワー。


さて。
本日も労働環境に身を置いているのですが、作業がひと段落したのでブログに着手します。
ああ~働きたくない~。お金の心配をしないですむ人生を歩みたい~。
ぼんやりと温泉に浸かりながら、明日の天気はどうかなとか、今日は星がきれいに見えるかなとか、そういう心配だけしていたいのです。

もちろん無理なのはわかっているんだけどね。
人生は苦しみ、釈迦もそう説いています。
そしてそのありきたりの不幸に力強く立ち向かうのです、フロイトも『ヒステリー研究』でそう述べています。
そう、不幸に立ち向かうために私はブログを書くのです…!!


最近ピアノでショパンの練習をしています。
ノクターンの2番(変ホ長調 Op.9-2)です。展開は少ないものの、メロディラインがきれいでよい曲ですよね。
以前はずっとルービンシュタインの演奏を聴いていましたが、最近はポリーニの演奏をよく聴いています。

ショパン/夜想曲(ノクターン)第2番/アルトゥール・ルービンシュタイン(1965年録音)

こちらがルービンシュタイン

Chopin: Nocturne No. 2 In E Flat, Op. 9 No. 2

こちらがポリーニ

この前家で練習していたら「これ、下校のときに流れる曲だった」と彼女が言っていました。
オシャレか!

私の学校では、朝の時間にヴィヴァルディの「四季」が、掃除の時間にサティの「ジムノペディ」と坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」が流れていました。今でもサティを聴くと掃除したくなります、パブロフの犬みたいです。

きっと学校によっていろんな差があるんでしょう。
そういうのを聞いて回りたいというか。ほかの人の学校でどんな曲が流れていたのか知りたいです。学校のような教育の場だとあまり変な曲は流せないから、ばらつきが少ないかもしれませんが。ストラヴィンスキーとかは絶対流れないだろうし。「春の祭典」とか聴きながら掃除したくないもんね。ダッダッダッダッダ…(異様な服装をした人たちが突如として踊りだす)


ポリーニの演奏を聴いてふと思い出したことがひとつ。
大学のときに仲良かった人から「ポリーニ、いいよ」と勧められたのを覚えています。
それでショパンのエチュードとポロネーズのCDをTSUTAYAで借りました。
勧めてくれた友人もピアノを弾く人で、自身の結婚式でピアノを披露していました。
その人とも長く会っていないけれども、はて元気かしらん。


久しく会っていない友達がちらほらいます。
なんとなく、友人と疎遠になっていく。
そのこと自体はしょうがないというか。
みんな家庭を持ったり仕事が忙しかったりして、それぞれに別離をしていくものだと思います。

でも。
人生のとある瞬間が重なりあったというか、似たような体験―学びであったり、部活やサークルなどの活動であったり、遊びだったり―をともにした人がいることは、人生の重層性を増すように感じていて。
そういう人とまた会いたいな、ことばを交わしたいな、と思います。
そうすることで自分の一部を取り戻すというか…。
平野啓一郎氏の言うような、ある種の「分人」を立ち上げる作業が、ときどき必要なのです。少なくとも自分にとっては。


やれやれ。なんだか雑然とした内容になってしまいました。
最近忙しくて疲れているのもありますし、ショパンのせいで少し感傷的になっているのかもしれません。
自分に何かが足りていない気がします。
うーん、なんだろうな…。
…わかりました、今日という日付にヒントがありました。
パワー。

ポニーのヒサミツ「9のミューザック」@青山月見ル君想フ

2022-06-07 14:20:19 | 音楽

ポニーのヒサミツ 9周年ライブ「9のミューザック」

梅雨入りしたのでブログを書きます。
最近入ってきた人たちが真面目に仕事をしている手前、サボりづらい日々が続いていました。
みんな、どうしてそんなに一生懸命仕事ができるのでしょう。不思議でなりません。
一刻も早く家に帰ってだらだらしたいのに…!!!!!



さて。
さる6月4日、ポニーのヒサミツ氏のワンマンライブに行きました。
会場は青山、月見ル君思フです。こぢんまりしていていい会場です。

その日は夕方まで仕事だったので、信濃町から歩いていきました。
ちょうど交流戦のデイゲームが終わった頃で、駅のエスカレーターを上るさい、ニッコニコのスワローズファンと浮かない顔のライオンズファンに遭遇しました。そういえば信濃町は神宮球場が近いのですね。
改札を出て左に曲がってしばらく歩き、権田原の交差点で秩父宮ラグビー場の方に向かい、青山霊園を抜けて会場に向かいました。傾きつつある陽の光を浴びながら、人のまばらな広めの並木道を歩いて。さすが港区だけあって、道路にはオープンカーやらベンツやらポルシェが多かったです。この人たちは一体どういう仕事をしているんだろうな。

話が横に逸れるのですが、信濃町のあたりの景色が懐かしくて。
その昔、論文のテーマを考えるのに-いえ、論文から逃避するために-このへんをよく練り歩いていました。
あのときはよくキリンジのBUOYANCYを聴いていた気がします。あのアルバムを聴くと苦しかった時期を思い出し、アナフィラキシーを起こしそうになります。時計仕掛けのオレンジみたいですね。


それはそうと。
会場についたのは18時40分頃でした。
とりあえずドリンクチケットでビールを頼み、ついでにカレーを頼みました。このカレーがスパイシーで美味しかったです。
客の入りはぼちぼちといったところで、後ろの方に陣取ってカレーをむしゃむしゃ食べていると、あとから結構お客さんがやってきていて。スタッフの方が椅子を追加していました。当日券の方が多かったのかしらん。


カレー情報です。
ヴィンダルカレー、1000円です。


ギターの方が調整でファームに入っているのと、ゲストの中川さんが体調不良でお休みとのこと。いつもと違う編成での演奏となりました。ですが、それでも演奏がたいへん心地よかったです。私はカレーをむしゃむしゃ食べたあと、にこにこしながら音楽に耳を傾けていました。「休日」「タイフーンマンボ」「散歩娘」良かったなぁ。あと2回目のアンコール曲でふいにうるっとしてしまいました。
ということでお聞き下さい、最新アルバムから「散歩娘」です。

ポニーのヒサミツ - 散歩娘 (Official Music Video) Hisamitsu the Pony - Sampo Girl

優しい音楽にちょっと怖いPVが印象的


バックの方々の演奏も良くて。
谷口さんは終始楽しそうに演奏していたし、普段はバンジョーやマンドリンを担当しているサボテン楽団さんのギターが素敵でした。それとギターの人が不在だったのもあって、いつもよりバンジョーの存在感があって。音数が多いとバンジョーやマンドリンはどうしたって目立ちづらいのですが、この日はよく聞こえました。もちろん、いつものギターの方の演奏も好きですよ!(絶対読まないと思うけど一応のフォロー)

ヒサミツ氏のMCは終始てんぱっている感じがして、それもそれでよかったです。こんないい音楽やっているのにMCになった途端、おぼつかないというか…笑

今回のライブは、近所の公園で思いがけずにきれいな花を見た感覚に近くて。季節の花の展示会です!ジャーン!!みたいに、ものすごくインパクトがあるわけではないのです。
でもその場所にすっと身体が「馴染む」ような、ずっとそこにいたくなる、そんな音楽だなと思っています。10周年があるならば、また足を運びたいなあ。久しぶりに会う友達もいて、それも嬉しかったです。


余談。
ライブまで時間があったので、青山霊園を少しうろうろしました。大久保利通の墓を見ました。
大学入試で東京に泊まったときも、ちょうどこの辺に宿がありまして。そのときは墓地の中に入らなかったけれど、周囲をうろうろしていた記憶があります。そのへんのドトールで赤本を眺めながらミラノサンドを食べました、懐かしいです。

ふと考えると、東京のそこここに思い出が散らばっています。
荻窪のラーメン屋、武蔵小山の居酒屋、八王子の飲み屋。井の頭公園に下北沢のカフェおーるど、練馬区の美術館。
人間の記憶は直線的な連続体というよりも、パッチワークのように、あるいはオナモミ(通称ひっつき虫)のように、思い出が身体という自己にいっぱいくっついているイメージです。ヒサミツ氏のライブも、そういう思い出のひとつになりそうです。良い夜をありがとうございました。