砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

cero「e o」

2023-06-30 17:40:30 | 日本の音楽

このアルバムを聴きながらジョギングしています。


毎年、寒さが落ち着く春先になるとジョギングを再開していたんです。
それで4月、5月と夜に外を走るものの、梅雨の頃になると「今日は雨だし、いいか」と徐々にジョギングしなくなり、そのまま習慣が失われる…という無限ループに至っていました。

しかしながら。
今年の梅雨はあまり雨が降っていないため、習慣が持続しています。
家に帰ってごはんを食べて、ゼルダをやる。それから音楽を聴きながら外を走る、という流れができていて。
『ハイラルを救う』『ジョギングもやる』「両方」やらなくちゃあならないってところがつらいところだよな。覚悟ばいいか?俺はできてる。



さてceroの新作「e o」について。
5月24日リリース、前作からおよそ5年ぶりですね。
リズムだけでなく歌詞、楽曲自体が難解だった前作「Poly Life Multi Soul」に比べると、うんと聴きやすいです。

「Nemesis」「Fuha」「Cupola」などメロディ自体はポップな曲が多く、つい口ずさみたくなります。執拗なまでに重ねられたコーラスによって歌の感触が滑らかになっていて、そこに無機質なサウンドが間隙を埋めるように配置されていて。聴いている感覚としては非常に心地よい、40分があっという間にも(間にも!)過ぎてしまう。
あれだけドラムとベースの絡みが濃厚だった前作から一転し、今作でドラムをきちんと叩いているのは「Fdf」くらいなのではないでしょうか。とはいえ、この曲のバスドラがめちゃくちゃ格好いいのです。これだけでごはんが2杯くらいいけます。

今作の欠点を1つ挙げるとしたら、まさに「短い」ということでしょうか。全曲通して41分(ちなみに前作は54分)。心地よい音の波にもうしばらく身を浸していたいのですが、うすい靄のなかを身体が通り抜けるように40分が過ぎ去っていく。それが少し切ないというか、曲調ともあいまって、どこかわびしい気持ちになるのです。


歌詞について。
今作も難解です。「アポリア」「モナド」みたいな哲学的、抽象的なことばも多く並べられていて、歌詞の意味がよくわからない場合が多いです。
とはいえ、断片を結び付けて解釈できる部分もあって。
たとえばM1「Epigragh」

DNAに書き込まれたバグ
真新しいものが無くなり
ようやく静けさのなかページが開く


ここでは新型コロナウイルスの変異とパンデミックの沈静化、それにともなう日常への回帰に言及しているように読めて。そう考えると、歌い始めの方に出てくる「スローになるカーブの曲線」は、感染者数の減少に触れているのかな、と想像したり。

またM2 「Nemesis」では

空は凪いで 最後の便が発った
あっという間にもう 霞んで
艘は去った 太陽は翳った
「また会おう」お別れの時 響き合う
「また会おう」お別れの時 絡み合う


という歌詞から始まります。ここでもコロナを連想してしまいます。
緊急事態宣言下、人びとが離れ離れになったあの時期。少し遅い雪が降った2020年3月末の原宿、人が全然いなかったのを今でも憶えています。

ちなみにネメシスは古代ギリシャの神で、人間が神に無礼を働いた際に罰をあたえる神のようです。「義憤」という意味が近いらしいのですが「復讐」の意味で捉えられる場合が多いように感じます。某カプコンのバイオハザードのせいかしらん。スタァーズ...とか言いながら追いかけてくる怖い人がいましたよね。


ネットの評判をぱらぱらと見ていたところ「RadioheadのKid Aに近いものを感じる」という人もいました。無機質なホーンの音、断片的なリズムなど、一致する部分はあるかもしれません。ただ、私個人としては「Amnesiac」の方が近いかな、と感じたり。
Kid Aの方が変化に富んだダイナミックな作品だと思っていて、Amnesiacの方がもう少し静的な、美しい作品だという印象です。


それから。
アルバムのタイトル「e o」について。
彼らは以前からも自身のユニット名ceroをもじって

Contemporary Exotica Rock Orchestra
とか
Contemporary Eclectic Replica Orchestra

なんで歌のなかで歌っていたりしたのです。

となると今作の「e o」というタイトルは何を意味、意図、志向しているのか。
cとrがないから、complete remisssion、すなわち「完全寛解」がない、コロナウイルスと共存していくしかないということなのか。あるいはこのeはepidemic(伝染病の)なのか。ここまで来るとほとんど妄想ですが。

とにかく、ものすごくいい作品でした。
気が向いたら是非聴いてみてください。
みなさまも心地よい音に身を委ねつつ、妄想してみてください。
こんなにいい作品だしてくるなら、ライブ申し込んでおけばよかったな...。

めくるめく妄想を広げつつ、現実から目を背けつつ。
いくら現実から目を背けても、この3年間で大きく世の中は変わりましたね。
私もここ最近、友人と飲みに行く機会が少しずつ戻ってきて。
本当に嬉しいです。友人と会えること自体も嬉しいですし、ああ自分はこんなに人を求めていたんだな、と認識できたことも、私にとっては大きな喜びなのでした。
『友人と飲む』『嫁を大事にする』『ハイラルも救う』「全部」やらなくちゃあならないってところがつらいところだよな。覚悟ばいいか?俺はできてる。

ポップしなないで「美しく生きていたいだけ」ツアー@リキッドルーム

2022-03-28 10:36:20 | 日本の音楽


おはようございます、ご覧の通り仕事をサボっています。
この前まですごく忙しくて、4月になったら再び忙しくなります。
現在は凪の時間です、だからサボってもいいんです!
今だけ!今だけだから!!



さてポップしなないでのライブに行きました。
ご存知ない方のために紹介しますと、歌と鍵盤担当の亀谷さんと、作詞作曲ドラム担当のかわむら氏による音楽ユニットです。鍵盤、歌、ドラムだけの曲もあれば、ギターやベースが入っているバンドっぽい曲もあります。
昨今活動している人たちのなかでも、かなり好きなユニットです。

場所は恵比寿、リキッドルームです。ワンマンライブです。すごいね。
今月はGrapevineのライブに行ったりオケを聴きに行ったり、まあまあ音楽を楽しんでいます。
ようやくコロナも落ち着いてきたので、今まで失ってきた分を取り戻す所存です。


というわけで感想を。
第一に、リキッドルームがほとんど埋まっているのに感動しました。
ソールドアウトではなかったんですが、見た感じ8~9割埋まっていたと思います。蔓延防止が解除されたのにみんな観覧マナーを守っていて、声は出せないけれどそのぶん大きな拍手が鳴り響いていました。とても美しい光景でした。

それから、サポートメンバーがすごく上手でした。
昨年12月にリリースされた「美しく生きていたいだけ」を聴いたとき、#1「支離滅裂に愛し愛されようじゃないか」のギター、#2「クラヤミライダー」のベースライン、それから#7「Sunset」の打ち込みがいいなぁ、と思っていたのです。それを生で聞くと、やはり痺れました。「夢見る熱帯夜」よかった、新曲もよかった。ギターのフレーズや演奏中の前の出方に、山本精一氏に似たものを感じました。空気公団の「夜はそのまなざしの先に流れる」の頃のような。演奏している姿が格好よかったな。
そして「city pops」の間奏のベース、ゆら帝の「発光体」がちらつくのは私だけでしょうか笑 「美しく生きていたいだけ」というアルバムタイトルも、「昆虫ロック」の歌詞を彷彿とさせます。

そしてなによりも。
この2人はどこまで行くんだろうなぁ…と思わせる熱が昨日のライブにはありました。
演奏している彼らの姿は力強くて、それでいて心底楽しそうで。亀谷さんの声はかわいらしくもあり迫力があったし、かわむら氏のマジックザギャザリングのトークも抱腹絶倒でした。観客もすごく引き込まれるライブでした。
あと後半のMCがよかったです。「自分たちは音楽が得意なんですけど、それ以外のことがすごく苦手で...」という2人の話にぐっと来ました。人によっては、それが文学だったり絵画、スポーツだったりするんでしょうが、自分の得意なこと、好きなことを突き詰めようとしている彼らの姿が、本当に素敵だなと思えて。「SG」の歌詞とも重なって「それなら自分は、何が得意で何を頑張っているんだろう...」とライブ中に考えたり。彼らを応援する気持ちと、自分自身を振り返ったときの少し寂しい気持ちが重なりあって、なんとも不思議な感覚でした。
ともかく、本当にいいライブだったなあ。


次は夏に渋谷でライブをやってくれるみたいです。そこにも足を運ぼうかな。
去年の12月にアルバムを出したのに、もう次の作品が待ち遠しいですね。


余談。
これは私の人生における数少ない自慢なんですが、実は彼らと知り合いなんです。まだ小さいライブハウスでやってたときも、何回か足を運びました。彼らのグッズでは「ヨルハアソバナイト」Tシャツがお気に入りです。

だるい古参アピはこのへんにしときますが。
でも昨日のライブを見て、そうやって自慢するのがなんだか「ダサいな」と感じられる地点まで、彼らが歩みを進めているんだなと感じて。私が自慢するのもおこがましいと。そう思うくらい昨日のライブに圧倒されました。
彼らの活躍が嬉しいけど、ちょっぴり悔しいというか。ずいぶん遠いところに行ってしまった。

でもオイラ負けないよ、という気持ちです。
自分は自分の得意なこと、好きなことを突き詰めたいと思います。得意なことは...そうですね、仕事をサボってブログを書くことです。対戦よろしくお願いします。どうもありがとうございました。

ナンバーガール「我々は逆噴射である」@Zepp Tokyo

2021-12-27 11:19:29 | 日本の音楽
みなさまこんにちは、いよいよ年の瀬ですね。
今更ですがひとつ疑問に思うことがあって。
年の瀬の「瀬」ってどういう意味なんでしょうか。
切羽詰まっているような、ぎりぎりな様子が連想されるのですが、どうなんでしょうか。

というわけで調べてみました。
「瀬」とは川の流れが速い箇所のことを表す言葉のようです。確かに「浅瀬」とか言いますよね。
つまり年の瀬というのは、年末でばたばたとしていること、慌ただしくて時間の流れが速いさまを表しているようです。なるほど、勉強になりました。



余談が長くなりました。
今日はナンバーガールのライブレポートを。
昨日12月26日、鉄のような風が吹きすさぶなか行ってまいりました。
場所はお台場シティのZepp Tokyo、海沿いだから風が強いのなんの。猫でも飛んできそうでした。

今回のライブは感染症対策のため、声を出すのはおろか立つことも禁止。
完全着席で無発声、さながらクラシックのコンサートです。
そんな今回のライブですが、正直言って楽しめるのかどうか不安でした。
だって折角のライブじゃん。大声出したいし動きたいじゃん、声援送りたいじゃん。
それがダメなんて…ヘドバン禁止のラウドパークかよ…。

でもね。
ものすごく良かったんです。
もう1回観たい、いやあと3回は観たい。明日もライブやってくれ…!と思わせる仕上がりでした。配信チケットもあとで買おうと心に決めました。
向井の謎MCはさておき、最初から最後まで本当に良くて。最後のイギーポップファンクラブでうるっときて、ちらっと隣を見たらその人も泣いてました。観客がみなOMOIDE IN MY HEAD状態になっていました。


彼らのライブを見るのは2年ぶりになります。
そのときは広島で、向井の喉の調子も良くなさそうで、アヒトのドラムにもキレがなくて…。
すごく期待していたぶん、なんだか落胆する気持ちにもなったのです。

しかしながら。
今回はバンドとしてのアンサンブルがすごく良かった。
大きめの会場だったし着席だったから音楽に集中できたってのもありますが、ひさ子氏や向井がギターソロを弾くときに中尾憲太郎47歳が指を差したり、キメの部分でお互い視線を合わせたりと「みんなで一緒にやっている感」が以前見た時よりぐっと強くなっていて。

4人の演奏でそれが見られてテンションがぶちあがったし、初期~後期までの曲をまんべんなくやってくれていたのも嬉しかったです。
終盤に「福岡市博多区からやってまいりました、ナンバーガールです」というお決まりのMC後にやった「タッチ」、アンコール1曲目の「はいから狂い」がすごく良かった。「桜のダンス」も良かったし、「U-REI」のベースラインが原曲と違っていたのも格好良かった、痺れた。


だからこそ、ですよ。
目の前でこんなにいい演奏されたら、動きたくて仕方なくて。
フラストレーションインマイブラッド状態になってしまったのです。
次こそはちゃんとスタンディングで観たいなあ。押し合いへし合いしたい。
あと「排水管」音源化されないかな、欲を言えばアルバム作ってくれないかな、と思ったり。


クリスマスには「ポップしなないで」というユニットのライブも配信で見て。
こちらもすごくよかった、次ライブに行くとしたら彼らのリキッドルームです。当たりますように。
さて年の瀬です。
私はばたばたせずに仕事をさぼっており「瀬」とは無縁ですが、どうかみなさまお元気で。


以前ナンバーガールについて書いたもの
「NUM-HEAVYMETALLIC」
「ライブレポ 逆噴射バンド@広島クラブクアトロ」

フィッシュマンズ「Long Season」

2021-08-25 17:03:27 | 日本の音楽


8月も終わりそうなのに、いまだ暑いですね。
暑さでやる気が蒸発してしまったのでブログを書きます。

上旬にceroのライブに行く予定だったのですが、サポートメンバーの厚海さんがコロナ陽性になってしまい急遽延期になりました。楽しみにしていただけに大変残念ですけれども、こればかりは致し方ありません。
でも、やはりとても悲しいです、よよよ。

感染拡大に伴い今年も帰省を断念しました。
お盆はお酒を飲んだり勉強したりして、だらだら過ごしていました。
何のために生きているんだか。オレ…ナンノタメニ…


さて今日はフィッシュマンズを。
世田谷三部作の2つ目の作品である『Long Season』です。1996年発売。
彼らの作品で特別に好きなのは『Orange』と『空中キャンプ』なんだけど、ときどきじっくり聞き返したくなるのはこの『Long Season』だったりします。

この作品について。
とびきりポップで少しダークな面がある『Orange』、それをもっと洗練させてセンチメンタルさが前面に出た『空中キャンプ』、どこか悲壮感や虚無感がある、果てのない空間をさまようような『宇宙 日本 世田谷』。
その合間に存在する本作は、「異質」な作品であると同時に「通過点」でもあるわけです。

異質に思える点を3つ。
1つ目。アルバムに1曲しか入っていないこと。「Long Season」1曲のみ。
便宜的に5つのパートにわけられていますが、交響曲のようにすべてのパートを合わせて1曲というつくりになっています。プログレの作品みたいです。

2つ目。歌のパートがほとんどありません。
フィッシュマンズはその歌詞も魅力的です。繊細で不思議と寂しくなる歌詞。
でも本作は意味があるんだかないんだかといったくらいに断片的な歌詞です。歌が入るまでも長いし。
パート1で東京の街をさまよう、半分夢のなか…と歌われますが、パート2~4では歌がほとんどなく、パート5になってようやく冒頭に出てきた歌詞がリフレインされる構造になっています。
「ぼくら 半分夢のなか」というフレーズが出てくるように、レム睡眠とノンレム睡眠を行き来しているような内容です。

3つ目。
曲のつくりが今までと全然違います。
これまでの曲、例えば「感謝(驚)」や「Baby Blue」「Night Cruising」では、安定したリズム隊の上にいい感じのギター、そして線の細いヴォーカルが乗って彼ら特有の雰囲気を生み出していたわけです。

でも今作はわけがわかんないです。アンビエントのような電子音がたくさん入っていて、水の流れる音やタヒチアンのようなパーカッションも盛り込まれて。パッチワークのようでもあるし、曼荼羅を見ているような気持ち、ジャングルで迷子になっている気持ちにもなります。
もちろんいい感じのギターやベースが入る部分もありますが、それ以外のよくわからんパートの割合が多いです。

とはいえ。
不思議なのは、わけがわからないけど聴いていて心地いいこと。
繰り返し聴きたくなるような魅力がこの作品にはあります。
それはどうしてか?今回の記事で上手く言葉にしようと思ったけど駄目でした。私の手に負える作品ではありませんでした。気になった人はとにかく聞いてみてください(敗北宣言)。


本作が「通過点」であることについて。
この作品を経て、彼らの最後のアルバム『宇宙 日本 世田谷』ができあがったわけです。
あの作品が良くも悪くも空っぽに感じられるのは、本作にかなりのエネルギーやアイデアを注ぎ込んだからなのかもしれません。あるいは、作品発表後にメンバーの脱退が予定されていたから、そういったことも影響していたのでしょうか(これは邪推に過ぎないのですが)


何かを得るということは何かを失うということなのだな、と月並みなことを思いつつ。
今年も過ぎていく夏をただ切ない気持ちで眺めています。島に行きたい。

私の頭の中の江戸川コナン

2020-06-15 00:29:25 | 日本の音楽
順調にブログ更新が滞っています。
一応言い訳をしておくと、書こうと思っているネタはいくつかあるんです。Radioheadとかブラジル音楽、あるいは東畑開人氏の『居るのはつらいよ』や最近読んでいた『オデュッセイア』とか。でもまだ自分のなかで納得がいかない中途半端な出来になっていて、公開は先になりそうです。
賢明な読者の皆様は「ブログなんてお金が入ってくるわけじゃないんだし、気軽に書けばいいじゃん」って思いますよね。私もそう思います。しかしそれが妥協できない。自分が凝り性だからなのかな。損な性格、ゴミみたい。



さて、恒例の自虐ネタ(?)も済んだので本題へ。今日の表題は頭の中の「江戸川コナン」です。
これはどういうことかというと。自分のなかで「まぁそういうもんか」「しょうがないよね」と思うことがあったとします。例えば居酒屋に行って、店員がとても忙しそうにしていて、麻婆春雨を頼んだのに麻婆豆腐を持ってきたとき、あるいはハヤシライスを頼んだのにカレーライスが出てきたとき、ハイボールを頼んだのに瓶ビールが出てきたとき。みなさんはどうしますか?キレますか?ビール瓶で殴りますか?高等裁判所に訴えて出ますか?


私だったら「まぁそれでいいか」「忙しそうだもんね」と思っちゃうのです。
心の底からそう思えるかは別として、そう考えるように努力をします。しょうがないよね、別にそれで自分がそんなに困るわけじゃないもんね、店員にだって事情があるもんね、今自分が声をかけたら迷惑かも...。

そこに颯爽と登場するのが頭の中の「江戸川コナン」です、バーロォ。
彼は少しでも不自然な点があると「あれれ~?」と言いながら世の中の疑問や不条理を問うていきます。それに対して頭の中の毛利小五郎が「ガキはすっこんでろ!」とか、服部平次が「せやかて工藤…!!」と反論するのですが、コナン君の意見は正鵠を射ている。

「店員さんが忙しくても、お金を払ったんだったらカレーを頼んだことは言ってもいいんじゃない?」とか「おじさんはカレーを食べたかったから注文したんじゃないの?」「春雨と豆腐だと全然違うけど、それでいいの?」「ハイボールと瓶ビールは響きが似てるしどっちも5文字だけど、全然違うよ?頭大丈夫?」とか。そういう高山みなみの声が聞こえてくるのです。
コナン君の問いかけはぶっちゃけイライラします。そういう葛藤がない方が楽なのです。諦めた方が、しょうがないと考える方が楽なのです、それが正しいがどうかは別として。


でも当然、自分が大事にされていないことへの憤りもあって。
怒鳴ったり瓶ビールで殴ったり、まして高等裁判所に行ったりするのも違う気がするけれど(まずは地方裁判所!)言うことはちゃんと言わないとね、と思うわけです。そういうことを、この年にしてようやく気付けてきた気がします。サンキューコナン。サンキュー高山みなみ。サンキューバーロー。
おかしいなと思うことをおかしいと言うことは―それが店員でも上司でも政治家でも家族でも―大事だよね。世の中には「怒りをコントロールする」という本がたくさん出回っているわけだけど、怒りってそんなに簡単にコントロールできないです。どうしたってそれぞれに趣味嗜好、考え方や自分自身があって。そういう自分を大事にしてほしくて。でもそれが大事にされないとき、憤るのは当たり前のことです。生きるために怒るわけです。それが必要じゃなかったら、こんな厄介な感情は備わってないと思う。


crystal-z Sai no Kawara


そんなわけで今日は最後にこの曲、crystal-z氏の「Sai no Kawara」を。
すごくいい歌詞、すごくいい曲、泣けるリリック。そんなわけで聞き起こした歌詞を下に記載しています、間違えてたらすみません。
正直、聴いていてめちゃくちゃ悔しくなる。自分は当事者じゃないけど、すごく悔しくなる。腹が立つ。
ぜひ最後まで耳を傾けてください。


あの頃はクルーもまだ活発で セルフパッケージのシングル自主で出して
出したら速攻でオンエアされて 日に日に感じた両手に確かな手応えを
でもそれぞれにそれぞれの家族が増えた
幸せな家庭 別の道歩きだし
定職と制作 終わる共同生活
シェアハウス解約してクルーは解散した
もうない行先も 機材も意味ない
ためたBeats and Rhymesじゃ 腹は満たされない
32歳 あてのないほの暗い未来
その先に光当てんのは自分次第
目指してみようか 医学の道へ
それはいばらの道へ だけど欲しいのは日々 
何かに打ち込めるゆるぎない意思
俺が生きている この命の意味

そのころのバイト先の塾には辞表
最後のお別れは英語の授業でかけた”i used to love H E R”
和訳したプリント 配ったらめちゃくちゃに怒った塾長
毎月御茶ノ水で受けるテスト 塗り変えていく先月の自己ベスト
進む今日も明日も明後日も日々前に
知識蓄えた 寿命と引き換えに
開館から閉館 図書館の最上階
毎晩救われた彼女の晩御飯
なまった頭のバンドマンもなんとか
青から赤に変わっていったチャートが
Daydream Believer そう呼ばれるのを聞いた
でも研がれた牙 携えて前進した
怠け者の俺はもう死んだ
矢のように時は過ぎ迎えた 初めてのWinter

順調じゃなくていいから
天才じゃなくていいから
堂々巡り 巡り
繰り返し 東京 偉大なこの街
順調じゃなくていいから
天才じゃなくていいから
堂々巡り 巡り
繰り返し 東京じゃ春は来ないし

悪くない手応え ゴールはもう目の前
高校の頃の点も抜いた センター試験
だけど前だけを見て 次の壁は別次元
そして今の俺の持てるすべて出した二次試験
だけど まったく結果は出ず
目標の東京の学校は全部
その年も その次の年も全滅
ペーパーができても 越えられない面接
模試の結果はいつもA判定 でも合格発表では「え、なんで?」
年齢のハンデ 夢にさえ思わねえ ゴールテープごとずらされるなんて
東京にこだわれば確実に落ちる 地方を受ければ彼女とは離れる
身も心も引き裂く 究極の選択
俺は後者を選んで飛行機に乗り込んだ

合格発表のページにはついに 俺の番号があった間違いじゃない
シャワー浴びてた彼女にプロポーズをして
びしょ濡れのまま 泣きながら抱き合った
友達に両親 そしてこの街に
愛すべき人たちと 過ごせた日々に
遠くてもたまに 来てよ遊びに
感謝を残し 訪れた旅立ちへ

順調じゃなくていいから
天才じゃなくていいから
堂々巡り 巡り
繰り返し 東京 偉大なこの街
順調じゃなくていいから
天才じゃなくていいから
堂々巡り 巡り
繰り返し 東京じゃ春は来ないし

再の河原...




余談
この方は大学のサークルの先輩でした。自分はサークルに2つ入っていたのもあって、そんなに交流があったわけではないけれど。
でもすごく印象に残っている記憶があって。緊張しながら初めて部室に行ったとき、当時部長のcrystal-z氏にナンバーガールが好きですと言ったら「へーナンバガ好きなんだ、超いいじゃん!」と言ってくれて。それがすごく嬉しかったし、いい人なんだなと思ったのです。自分は高校の時からナンバーガールが好きだったけど、周りには趣味が合う人がほとんどいなくて。だからこそ「超いいじゃん!」と言ってくれた先輩がとても頼もしく、嬉しく思えたのでした。
そのあとは、合宿所の階段で布団滑らせたり他サークルも交えた音楽祭で寸劇をしたり、変な人だなと思ったけど(笑)先輩が4年生の時にライブでやっていたブッチャーズは、あのJack Nicolsonはものすごく格好良かった。なにより、他人の趣味嗜好をすっと認めてくれる姿勢がすごくいいなと思いました(小並感)。


あの一言が無かったら入部しなかった、とまでは言いません。でも私にとってはすごくあこがれの人だった。一緒にバンドを組んだこともないし、絡んだことは少なかったけれど、あこがれの人だった。そういう人が―複雑な事情、壮絶な思いがあってのことだけれど―今回また音楽を作ってくれたことが嬉しい、とも思うわけです。私は今このブログを書きながら泣いています、何故かはわかりません。何故でしょうね。