砂漠の音楽

本と音楽について淡々と思いをぶつけるブログ。

キリンジ「ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック」

2017-09-23 00:44:46 | 日本の音楽

どういう訳だか画像がでかい

疲れたんでブログ書きます。
人生いいこともあれば悪いこともあるものですが、最近わりにいいことが続いていて前向きです。こういう気分のときは、アクティブになれるし本を読んでも面白い、人と会っても楽しい、音楽を聴いているともう最高!みたいになれます。とはいえそれがいつまでも続くわけでもなく、やがて後ろ向きになるフェーズがやってくるのですが、年をとったせいかそういったアップダウンが小さくなってきた気もします。それはそれで良いんだけど、なんだかちょっと寂しく感じるのは私だけでしょうか。まあいいか。


秋ですね、お彼岸も近い。この時期にぴったりな1枚と言えば、やはりキリンジの1stアルバム『ペイパー・ドライヴァーズ・ミュージック(以下PDM)』でしょう。以前キリンジの『For Beautiful Human Life』に触れたとき、この『PDM』もタイトルが不思議だと言及しました。『3』『Ten』みたいに数字ではない、あるいは4枚目の『Fine』や8枚目の『Buoyancy』みたいに文字数が関係してないからです。当然疑問が生じてきます、このタイトルはいったいどういう思いでつけられたのか、と。

この作品が彼らにとってはメジャーデビューして1作目になるわけですが、彼らは度重なるライブを経て這い上がってきたというより、緻密な計算と試行錯誤を経た宅録派でした。そんななか、メジャーデビューというライセンスはもらったものの、表舞台に出て行くのはこれから。不安もあったでしょうが、前途洋々たる思いだったのでは。そういった意味での「ペイパー・ドライヴァーズ」と解釈できるのではないでしょうか。そしてdriversと複数になっているのは、ヤスと兄の二人のことなのかもしれません。ん?このsは所有格のsなんじゃないかって?細かいことはいいんだよ!
そしてこの「ペイパー」は、「1枚目なんで大目に見てね」という意図ではなく「1枚目だけどこんないいもの作りました!」といった野心的な思いがあるように感じられるのです、だって完成度が1枚目とは思えないほど高いんだもの。

しかしながら、ギター、ベース、ドラム、ピアノという基本的な編成があまり変わらないのもあってか、他のアルバムと比較するとそこまで際立ったアレンジはありません。でもその素朴さ、素直さが却っていいというか。純粋に曲の良さで勝負していて、安心して聴ける気がします。
それから曲が中期~後期ほどひねくれていないぶん、歌詞のひねくれ具合がひっかかる、面白いなと思います。この頃から兄の作詞センスは光っていたんだな。ときどきびっくりするような歌詞が出てくるんですよね、「口づけで攻めてみてみても カエルの面にシャンパンか」とか「七曲りなセックスを楽しんだものさ」とか。どんなやねん、どんなセックスやねん。

特に好きなのがM5「雨を見くびるな」これはもう初期の名曲中の名曲と言っていいでしょう。演奏、歌のメロディ、歌詞が描く世界、そのどれもがすごく素敵です。歌詞の内容はおそらく男女間のトラブルを暗に示しているのだと思いますが(「悪意の波長は雨模様」「二人は諍いのポーズのまま」など)、とにかく並べられている言葉が美しい。ラスサビ前の「鈍い温度でゆっくりとぼくらは火傷をしたんだ」の部分と繰り返される「街の灯が水ににじんでいく」のところが最高。ちなみに動画はニコ動。

キリンジ 「雨を見くびるな」


続くM6「甘やかな身体」は乳幼児の心持、最早期の記憶を歌ったものでしょう。「寝つきの良い子を起こすな」「僕らは夕食も待てない」みたいなことを言っているし。地味だけど好きな曲です。キリンジにもこんなことを歌っている時期があったんだな、と。

甘やかな身体 - キリンジ


それから最後の曲、M11の「かどわかされて」はデパートの風景を洒落た言葉で表現しながらも、ちょっと醒めた目で見ている、そんな曲です。でも歌詞の中に「あばずれ」とか「手癖の悪い女の」と言ったきわどい言葉が出てくるので、本当は風俗街の話なのでは、という気もします。「デパートメント」という単語に「部門、区画」の意味があるように。そういった一画を歌っているのでは。兄貴ならやりかねない、乳房の勾配の良さを歌っているわけだし。こちらは動画は無し、悲しい。

そういえばこの曲のイントロは、Jiao Gilbertの名曲「Wave」のイントロを彷彿とさせますね、歌の中でもボサノバについて触れられています(凡庸なボサノバって歌っているけど)。M9「汗染みは淡いブルース」のイントロもSteely Danの「Do it again」に似ているし。このあたりに兄の音楽的な素養の高さを感じられます。きっと音楽オタクだったんだろうな、友達いたのかな。この曲のバッキングはもちろんのこと、アルバム全体を通じて兄のギターフレーズにも感動します、ギターソロを弾いているのは「冬のオルカ」しかないけれど、「野良の虹」や「五月病」とか、職人的に良い仕事をしている。ときどき聞こえてくるコーラスもお茶目。

このアルバムに限らず、キリンジは捨て曲が少ないのもいいですね。アルバムを通して聴かれることをかなり意識して曲を作っているのでしょう。大抵最後の曲がものすごくいいです、「千年紀末に降る雪は」「新しい友だち」とか「小さな大人たち」とかもそうです。
本作、もったいなく感じるところを強いて挙げるなら、ドラムがやや単調でグルーヴが薄いところ、ヤスの声がまだ安定していないところでしょうか。でもそれを補って余りあるほど、個々の曲の持つ魅力が大きなアルバムだと思います。きっと当時の彼らが持つ全力で作った作品なのでしょう。リリースから約20年経つけど、これだけオリジナリティに満ち、かつ耳に心地よい処女作というのはそうないだろう、と個人的には思うのです。


この『PDM』は大学生の頃、電車でひとり長野を旅しているときに聴いて「ウオァッ!!なんていいアルバムなんやこれは…」と痺れた記憶があります。それまでにも『3』や『Fine』は聴いていましたが、キリンジにドはまりしたのはこのアルバムがきっかけでした。秋の田園風景を電車が駆けていくなかで、このアルバムの乾いた孤独がぐっときたのでした、それ以降ずっと聴いている作品。自分がキリンジを人に勧めるとしたら、おそらく代表作『3』、そして以前紹介した『For Beautiful Human Life』とこの『PDM』かなと思います。

高橋和巳「消えたい」

2017-09-14 16:55:15 | 新書


これは本のタイトルです。私の現在の気持ちではありません、誤解なきよう...。
以前どこかで書いたようにちょっとずつ仕事が忙しくなってきて、それはそれでいいんだけど頑張っても嫌な思いをすることも時々あって、それが「ああ、前もこんなことあったよな」と古傷がうずくように懐かしく思うし、暇だったころが大変恋しくもあります。ないものねだりなんだな、結局。あっでも、ブログを書ける程度には暇です笑


さて本日紹介するのは、電車で読んでいると周囲から目をひそめられること請け合いの新書『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』。タイトルがすでにものものしいし、表紙に大きく「消えたい」とある。
でも内容はとてもよかった、橋本治の解説もぐっときた。さすがちくま文庫。とはいえ、わかりやすく描かれ過ぎていて少し物足りないというか、もっと読みたい、詳しく知りたい気持ちになったけど、まあ新書だしな。続きは専門書で、ということなのだろう。

本書は精神科医によって執筆されている。筆者が臨床を通じて、虐待を受けた人の人間としてのあり方、いわゆる「通常の家庭」で育ってきた人とどう違うのか、どんな痛みや苦しみがあるのか、世界をどんなふうに「認識」しているのか、症例に触れながら語られている。それがひとつの物語になっているため、読みやすいしわかりやすい。文体も簡素で飾ったところがないためするする読める(精神科医にありがちなのだが、もってまわった書き方をする人も結構いる。それが必要な表現であれば構わないけれど、そうでない場合も多々ある、残念)。
じゃあ内容もするする入ってくるかと言うと全然そんなことはなく。当たり前だけど「ひとりの人」の虐待の体験がいくつも描かれているわけだから、読んでいるとかなり苦しくなる。重松清の『疾走』とまでは言わないけれど、ある種の救いがたさ、「なにか他の方法はなかったんだろうか...」といったもどかしさ、「どうしてそうなってしまったんだろう?」という憤りや諦観の思い、そんな気持ちが自然と湧き上がってくる。でも残念ながら、自分にはどうしようもないことである。この「どうしようもなさ」を、虐待されていた人も無意識のうちに感じていたのかもしれない。
それから、こういう言い方が誰かを傷つけるかもしれないことは重々承知しているのだが、自分は幸福に育ってきたのだろうな、ということに思い至る。そりゃ多少なりとも傷つくことはあったけれど、爪を剥がれたり冬に外に出されて水をかけられたりすることはなかったから。自分の今の生活はどうなんだろうか?そういったことを振り返って考えるきっかけにもなる本だと思う。

全部ハッピーエンドに終わらないあたりもリアルだ。治療が進むにつれて今までの対人関係の持ち方を見直し立ち直っていく人もいれば、せっかく治療に結びついたかと思うと、人を信じることが出来なくて去っていく人もいる。結局、今まで身に着けたパターンを繰り返してしまっているのだ。それくらい虐待という行為が人間の根幹を揺るがす行為なのだろう。簡単に治るものではない。


日本の貧困が進むにつれて、たぶん虐待は少しずつ増えていくような気がする。経済的に不利な家庭ほど虐待のリスクが高まることが研究で示されている。その一方で、日本の子どもに対する手当などは先進国でも最低レベルらしい(阿部 2008)。オリンピックもいいけれど、そんなことしている場合なんだろうか。昔やってうまくいったことにしがみついている気がするのは私だけだろうか。


そういえば個人的に大変尊敬している児童精神科医が「子どもを大事にしない国に将来はない」と講演で話していたのが印象に残っている。少年の犯罪は減っているかもしれないけれど、そして「自己責任論」が大手を振って歩いているけれど、本当にそれでいいのだろうか。ある時期から急にはやり始めたけど、個人的に自己責任論は大嫌いである。人間ってそんな簡単に一人で生きていけない存在なんだから、完全に自分の責任だけで生きていけるわけないだろっていう。そういう風な考えが広まると、結局社会的弱者が野放しになるだけだと思うのだが。そうやって生きていく人が大半を占める社会は、なんだか寂しい気もする。こんな世の中でも人々は幸せになっていると言えるのだろうか。

Steely Dan「Aja」

2017-09-04 15:13:16 | アメリカの音楽


悲しいのでブログを書きます。追悼の思いも込めて。
好きなアーティストが亡くなるのは決して珍しいことではありません。特にミュージシャンは、フジファブリックの志村やミッシェルのアベフトシのように、若くして亡くなる人も多いですよね。当然、年をとれば亡くなる人も増えていくものです。
そういえば百人一首にこんな歌があります。

誰をかもしる人にせむ高砂の
松も昔の友ならなくに


現代語訳すると「いったい誰を知る人(友人)にしようか、(長寿で有名な)高砂の松も、昔からの友人ではないのに」という歌になります。これをさらに補足して解釈すると「年をとって知り合いと呼べる人はずいぶん亡くなってしまった。今の私はいったい誰を友人としたらいいんだろう。長寿の高砂の松、お前くらいしかいないのだろうか。お前もきっと孤独なことだろう。ああ、独りになっていくのは本当に悲しくて寂しいことだなぁ…」といった具合でしょうか、古典は苦手なのであてになりませんが…(苦笑)

たとえ一方的にでも知っている人が亡くなるのは、どんなに相手との距離があっても心にちくりとくるものです。長生きするとそのぶん好きな人たちがどんどん死んでしまうのだよな、いやだなあ。
そんな前置きはいいとして。今日紹介するのはSteely Dan(スティーリー・ダン)というアメリカのジャズ、ロックバンド。最初は複数のメンバーがいたのですが、途中からはドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーの2人組となります。そして昨日、ギターのウォルター・ベッカーが亡くなりました、67歳でした。悲しい…。

彼らは一言でいうと「職人」です。そんじょそこらの職人ではありません。「いかん!!」「ちがう!!」とか言いながら、納得いくものができるまで何度も壺を壊すような職人です。人間国宝です、世界遺産です、国連事務総長です、最後のは違います。
この『Aja』を出したあたりから、曲の完成度に対するこだわりが特に強い気がします。前作の『Royal Scam』もギターにラリー・カールトンを筆頭に多くのプロ・ミュージシャンが参加し、非常に良い作品でした。しかしこの『Aja』は段違いです。曲の展開はすごいし、音のひとつひとつが綺麗だし、アルバム全体のバランスも完璧と言っていいくらいでしょう。
きっと、時間も精神力も費やしてストイックに作りこんでいたのだと思います。そうなると強いストレスがかかり、酒やドラッグにおぼれていくもの。ということで彼らはこのあと『Gaucho』という、これまたすごい名盤を作り上げたのち長い休止期間に入りました。ウォルター・ベッカーは薬物におぼれていましたが、それを克服するためにハワイに移住し、以後はプロデューサーとして活動していくことになります。

本作について。個人的に一番好きで聴きこんだのは『Gaucho』なんですが、思い入れの深さで言うと『Aja』の方が強いです。自分が彼らを好きになったアルバムなので。というわけで恒例の好きな曲紹介。

2曲目「Aja」

Steely Dan - Aja


タイトルトラック。魅力的だけど力強いというか、静と動のバランスのとれた不思議な曲。途中の展開の部分では、ドラムもすごいですけど曲の進行もすごいです。何回転調してるんだろ。キリンジの「奴のシャツ」のアウトロは、きっとこの曲を意識しているはず。

3曲目「Deacon Blues」

Steely Dan - Deacon Blues


世界でもっともコード進行が美しい曲のひとつ。曲の美しさとは対照的に、歌詞の内容はややハードボイルド感があります。サックスの手ほどきを受け、自分が感じるままに演奏し、スコッチウイスキーを一晩中飲み…そんな世界観を描いているようです。歌詞の詳しい内容についてはこちらのサイトが詳しいかと。

4曲目「Peg」

Steely Dan - Peg - HQ Audio


ベースラインが格好いいノリの曲。Gauchoにも「Time out of mind」という似た感じの曲が入っています。「Peg」の方がギターの主張が強いかな。最後すごくいいギターのフレーズを弾きつつフェイドアウトしていきます、もったいない気もする。


このアルバムに唯一欠点があるとすれば「短い」ということです。38分があっという間に過ぎてしまう。もっともっと聴いていたいのに、という感じですね。これはあれか、そうやって物足りなさを感じさせることで次のアルバムも買わせる作戦なのかな、おのれスティーリー・ダン。
曲の端々から溢れ出る「マジでニューヨークっすわー」「超ブルックリンですわー」みたいな雰囲気(文章から溢れ出る筆者の深刻な語彙力不足)。日本で言うと麻布とか六本木のようなお洒落感が満載なのです。麻布も六本木も人生で2回くらいしか行ったことないけれど。ああいうお洒落なところに行くと身体が灰になる病気なので。

上述したように、初期~中期のキリンジもきっと彼らの影響を強く受けていますね。複雑なコード進行にしかり、曲の展開にしかり。スティーリー・ダン通である冨田恵一氏がプロデューサーだった影響もあるのでしょう。それから小沢健二も「天使たちのシーン」の中で「真夜中に流れるラジオからのスティーリー・ダン 遠い街の物語 話してる」と歌っています。数々のアーティストに影響を与えた人たちであることは間違いないでしょう。そういった点では偉大な人たちだと思います。作品の数はそこまで多くないし、何年も活動を停止していたけれど、一生通して繰り返し聴けるくらい濃密な作品を作っています。音楽界の冨樫みたいな人たちなのです、違うか。
他のミュージシャンが亡くなったとき、ここまで悲しく思うことはありませんでした。ここ数年で活動を再開していたから、というのもあるのでしょう。長い沈黙のあとにリリースされた『Two Against Nature』を聴いたとき、またいい作品を世に生み出してくれるんだなと、本当に喜ばしく、そして頼もしく思ったものです。でも2003年のアルバム『Everything Must Go』(閉店売り尽くし、の意味)が文字通り最後のアルバムになってしまったのですね。一度でもいいから、ライブで観たかったなあ。


あまりにも悲しかったせいか、昨日「ちゃんこ鍋屋の店長のおばあさんが亡くなって、店の葬式に参列して泣く」という夢を見ました。ウォルターの訃報のせいかしら。それにしても「ちゃんこ鍋屋」という絶妙な(あるいは微妙な)チョイス。お洒落なバーでも夜景の見えるレストランでもないあたりが自分の限界を感じました。いくらお洒落な音楽を聴いたところで聴いている人がお洒落になるわけではないんですね、どうもありがとうございました。

Nona Reeves「3×3」

2017-09-01 14:21:15 | 日本の音楽


少しずつ忙しくなってきたのでブログを書く時間が減退しそう、本当に悲しいことです。
それでも、それでもなんとか合間を縫ってブログを書こうと思っています。更新頻度をキープしたい。しかしここまで忙しくなるとは…Damn it!! いったいどうしたらいいんだ…(ヒント:ブログを書かない)


9月になったので今日は日本のポップバンドの重鎮、Nona Reeves(ノーナ・リーヴス)の「3×3」を。9月と何の関連があるかって?それは「3×3」=「9」になるからだし、そもそも彼らのバンド名のNonaがラテン語で「9」を意味するからだ。なんつって。本当は書きたくなったから書くだけなんだけど。

彼らはVo、Gt、Drのスリーピースバンド。ライブではサポートにキリンジのベースを務める千ヶ崎学やクチロロの村田シゲ、コーラスに真城めぐみさんが入ったりする。ライブが非常に映えるバンドだ。
活動開始は1996年、もとは早稲田の音楽サークル出身。余談だが早稲田は恩田陸、村上春樹、堀江敏幸など小説家の輩出も多いが、cymbalsやキリンジ兄、大瀧詠一や亀田誠二、ダミアン浜田といったミュージシャンの輩出も多い。学生の数が多いのもあると思うけれど、クリエイティブなものを良しとする校風があるのかもしれない。そういえば知り合いの早稲田出身者も、卒業後にバーテンになったり徹夜で仕事して明け方にサムギョプサルを食べたりと、変な人たちが多い気がする。彼らもまたある意味クリエイティブなのだろう、たぶん。

バンドに話を戻そう。初期はシンプルなネオアコ系の曲の比率が多かったが、途中からはソウル、ファンクなどのダンスミュージックやアシッドジャズなどの要素を積極的に取り入れた、より洗練された音楽になっていく。ただ初期のシンプルさが好きな人たちにとっては、あまり好ましい変化ではなかったかもしれない。
そして曲が洗練されればされるほど、彼らの大きな特徴というか、短所と呼べるものが目につくようになっているようにも思う。もし関係者の人が見ていたら大変申し訳ないのだけれど、嘘をついたら閻魔様に舌を切られるっておばあちゃんに言われたので率直に書くことにする。

曲はものすごくいいのだが、歌詞にあまり中身がないのだ

ああ、言ってしまった。でも残念ながらそうなのだ、少なくとも自分にとっては。大体はパーティの話とか音楽の話とか愛の話とか、時々片思いのラブソングが出てくる程度である。「ダンスフロア」とか「メロウ」とかそれっぽい言葉は並べられているし、韻を踏んだり言葉遊びをしたり、それが彼らの世界観なのだろうと思う。だけどそこに重点を置きすぎているせいか、歌詞に「葛藤」や「深み」があまり見いだせないのだ。だから、自分にとって彼らの歌詞の持つ意味が薄く感じられてしまう。思春期に彼らを繰り返し聴いたとき、物足りなく思ったのは事実だ。洋楽を聴いていると思えばいいのだろうけど、歌詞を重視する聞き手にとっては勿体ないのではないだろうか、これだけ曲がいいのに、と。
それから彼らの曲は、Voの西寺が尊敬するマイケル、プリンス、スティービー・ワンダーなどの洋楽に大きく影響を受けていて、曲のクオリティも高く本家にも近いノリを出せていると思うのだけど、そんならいっそ本家を聴けばいいんちゃう?と思ってしまう。もちろん、キリンジやレキシなど数々のバンドでサポートをこなす2人、Gtの奥田健介やDrの小松シゲルの演奏はレベルが高く、時に目を瞠るものがあるのだが。

しかし、だ。ここまでが前置き。2006年にリリースされた「3×3」はそんなことが気にならないくらい、いい曲が多いのである。まず全体的に歌メロがすごくいいし、それぞれの曲のバランスやアレンジがしっかりしている、飽きないように練りに練られている。それに肝心な曲の作詞は元スーパーカーのいしわたり淳治だったりする。このあたりの人選に「なんだ、わかってるじゃん」と思うのだ。そして彼がまたいい仕事をしているんだな。ノーナの表現したい世界観を壊さない程度に遊んでいるというか、ノーナの良さを引き出していると思う。なんだか上から目線になってしまって大変恐縮なのだけど。


といったところで曲紹介。
まず1曲目の「NNRブレイクダウン~サニーに捧ぐ~」。80年代のようなイントロにプリンスの曲っぽいギターで始まる。相変わらず歌メロがめちゃくちゃポップ。ベースも格好いい。リンクはライブ盤のもの。

NNR ブレイクダウン ~サニーに捧ぐ~



そして2曲目の「透明ガール」、これは上述したようにいしわたり淳治の作詞。Love Together以降の一番の名曲だと思う。Bメロのベースラインが好き、そして2回目のAメロ「ボルテージ」という歌詞の「ジ」をぎりぎりまで引っ張っているのが良い。ドラムは複雑なフィルを入れていないのだけど、スネアだけでここまで表現できるのはすごいと思う、さすが小松さん。コーラスには同じく早稲田出身の土岐麻子が参加している、相変わらず美しい声。
PVは中学生男子と、にこやかに行進する綺麗なお姉さんたちが登場する、なんだか童貞臭いPVな気がするのは私だけだろうか。ちなみにこのお姉さんたちと同じテンポで歩こうとすると相当疲れる。

Nona Reeves 透明ガール



「狛犬の詩」は珍しくDrの小松さんが歌っている。これがまたいい声なんだな。素朴というか純朴というか。以前このブログで紹介した□□□(くちろろ)の三浦さんに近い、少し鼻にかかった伸びのある声。スカっぽい曲、今までのノーナにはなかった雰囲気だ。

NONA REEVES 狛犬の詩 HiPPY CHRiSTMAS



ほかにもいい曲があるんだけどまあこんなもんにしとこう。とりあえず、彼らのアルバムを初めて聞くならこれが一番いい気がする。アルバム全体がとてもうまくまとまっているから。ちなみに初期の『Destiny』もいい作品なので気になった方はこちらもぜひ。

『3×3』は、以前に比べて素直というか、浮足立っていたのが落ち着いたように思う。前作では「あ、これパクリや…」みたいな曲もあったけど、今作ではちゃんとカヴァーしているし。カヴァーしているのはスティービーの「Too High」、これはまた別の機会に書くと思うけど『Innervisions』は歴史に残る名盤だ。
それからほかの人の作詞が増えてきたのもいい影響を与えているのだろう。あるいは歌詞にあまり内容がないにも関わらず(しつこいかな笑)ここまでずっと活動を続けてこられたのは、やはりVoの西寺郷太がいい曲を作るからなんだよなあ...(注 褒めてます)だけどいい曲を作れば作るほど、歌詞が曲の良さ釣り合っていかない気がしてしまう。どこまで歌詞を重視するか、この辺は完全に好みの問題なんだろうけど。

彼らは今年の10月に新譜を出すらしいのだが、最近のノーナがどんな音楽になっているのか楽しみである。11月にはクラムボンと2マンやるみたいだし、そちらにもぜひ行きたい。


ちなみに私が生まれて初めて買ったバンドTシャツは彼らNona Reevesである。アニメ「パラッパラッパー」の主題歌でLove Togetherを聴いた私は頭のてっぺんから上あごまでしびれるような感覚を覚えたものだ。「こんなにかっこいいバンドが日本にいるのか!」と思った。それからなんやかんやあって今でも好きなのだから、「歌詞に中身がない」とか言いながらも、実はずっと好きなのである。色々あるけど長年同棲している女、みたいな感じか。お互いのあらは見えるしつい文句を言って喧嘩になるけど、心底嫌いなわけじゃない、本当はむしろ大好き、みたいなね。何言ってんだ俺。