宇宙(そら)は家

宇宙(そら)へ還ろう! 
五井先生は、両手を
広げて待って
いらっしゃいます。
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続 さやけき生命(3)

2021-03-01 06:49:52 | 祈り
     (前日からの続き)
こういう誠心とか祈り心とか静か心
というものは、目に見えるようで見えない。
その人がいくら信心深く装(よそお)って
いても、外から見てすごいなあと思って
いても、私たちがこちらから見ているとですね、
すごい虚栄がある人だねと見てしまうことが
ありますよ。
そうすると、ほかの人はごまかせるけれど、
神様はごまかせない。
ふりをすることはいくらでも出来るけれども、
ふりが通らないのが神様です。
神様というのは、例えば、何十万も何百万も
お布施を上げないと、こちらに光を送って
もらえない、振り向いてもらえないとか、
そんなものじゃないんですね。
何故かというと、我々みんな神様から分かれて
来た生命なんだから、その元に向かって自分が
動いてゆく、働いてゆく。
そこに向かって素直に語りかけてゆく。
そういうところを神様は喜ばれる。
「愛(う)い奴じゃ」てな感じでね。
ところが、そういうことというのは、先程
申しましたように、本当に目に見えない地味な
ことなんですね。
           (つづく)