(前日からの続き)
たださき程申しましたように、お金だけ
欲しいなと思っても、お金来ないんですね。
まずね、魂的なものを求めて、魂をみがいて
低くして下さい。つまり謙虚にして下さい。
謙虚になって祈り求めていく時に、
地上生活に必要なものは全部与えられて来る。
だから、これだけやったのに何で来ないん
だろうなんて思ってる間は来ないんですね。
ウラミツラミに思ってると来ないんです。
そういうふうに出来てる。
だから私をなくすというのはね、誰かが
マナ板の上の鯉ってずっと言ってるんだけど、
マナ板の上の鯉と言うのは、神様が
どういうふうにしようと構わないという覚悟
というか、そういう所まで行ってはじめて
神様というのは道を開いて下さる。
開かれるように出来てるんですね。
その扉をどうやって開けるかというのは、
祈りしかない。
自分が開けようと思っちゃダメなんで、自然に
開いてくるのを待って流れに乗らなくちゃ
いけないし、その流れに乗る時には、任せる
と言っても、自分の中の我というものが
そこで働いては、とても大変なことなんです。
我が働くと後戻りしてしまう。
折角真っすぐ行ってたものが又ジグザグに
なって来る。
迷いが出てくる。
いろんなものが出てくる。
それは消えてゆく姿だから祈りの中へ入れば
いい訳なんですが…。
(つづく)
たださき程申しましたように、お金だけ
欲しいなと思っても、お金来ないんですね。
まずね、魂的なものを求めて、魂をみがいて
低くして下さい。つまり謙虚にして下さい。
謙虚になって祈り求めていく時に、
地上生活に必要なものは全部与えられて来る。
だから、これだけやったのに何で来ないん
だろうなんて思ってる間は来ないんですね。
ウラミツラミに思ってると来ないんです。
そういうふうに出来てる。
だから私をなくすというのはね、誰かが
マナ板の上の鯉ってずっと言ってるんだけど、
マナ板の上の鯉と言うのは、神様が
どういうふうにしようと構わないという覚悟
というか、そういう所まで行ってはじめて
神様というのは道を開いて下さる。
開かれるように出来てるんですね。
その扉をどうやって開けるかというのは、
祈りしかない。
自分が開けようと思っちゃダメなんで、自然に
開いてくるのを待って流れに乗らなくちゃ
いけないし、その流れに乗る時には、任せる
と言っても、自分の中の我というものが
そこで働いては、とても大変なことなんです。
我が働くと後戻りしてしまう。
折角真っすぐ行ってたものが又ジグザグに
なって来る。
迷いが出てくる。
いろんなものが出てくる。
それは消えてゆく姿だから祈りの中へ入れば
いい訳なんですが…。
(つづく)