(前日からの続き)
世界が平和であるようにという誰もが
反対出来ない、そういう言葉を祈り言(ごと)
にした。
これはいつも申しますように、こういう
言葉が祈り言になった宗教というのは
他にないんですね。
それは、誰が読んでも誰が見ても誰が
聞いても、子どもが聞いてもお年寄りが
聞いても、そんな馬鹿なとも思わないし、
こんなことを言ってとも思わない。
敵をつくらない、自分の本心にたずねて
みても、ああ本当にそうだなあと思える。
それを私を通して神様が与えて下さった。
ですからこれは、神様の祈(の)り言(ごと)
なんです。
全部結集しているんです。
皆んなが結ばれていく生命であって、
皆んなが引っ掛りのない生命であって、
皆んなが障りのない生命である。
この障りのない生命が、みんな赦し合って
生きていく時に、社会は本当に平和に
なってゆく。
ですから、前にも言ったことがあるん
ですが、自分の家族、一つの家族、この
一つの家族が平和になるように、お隣りの
人が平和になるように、お向かいの人が
平和になるように、これをずっと広げて
ゆくと、世界人類に押し広げなくては
ならない。
一人一人をずっと祈ってゆけばいいん
でしょうが、それを一言で言うと、
世界人類が平和でありますようにという
言葉に集約されて来ますよと、言ったことが
ありますが、実際、この世界人類の中に
自分も入っているんですね。
人も入っているんですね。
そしてこの中には、何の反発も競争心も
起こらない、神様からのひびきが伝えられて
来る。
単なる願いのような弱いものじゃない、理想
でもない。
向こうの世界では、もう現実そのもの、
大調和の世界というものがすでに
出来上がって完成している。
それを今、地上に少しずつ少しずつ確実に
降ろして、本心に植え付けていく。
そういうことを今やっているんです。
(つづく)
世界が平和であるようにという誰もが
反対出来ない、そういう言葉を祈り言(ごと)
にした。
これはいつも申しますように、こういう
言葉が祈り言になった宗教というのは
他にないんですね。
それは、誰が読んでも誰が見ても誰が
聞いても、子どもが聞いてもお年寄りが
聞いても、そんな馬鹿なとも思わないし、
こんなことを言ってとも思わない。
敵をつくらない、自分の本心にたずねて
みても、ああ本当にそうだなあと思える。
それを私を通して神様が与えて下さった。
ですからこれは、神様の祈(の)り言(ごと)
なんです。
全部結集しているんです。
皆んなが結ばれていく生命であって、
皆んなが引っ掛りのない生命であって、
皆んなが障りのない生命である。
この障りのない生命が、みんな赦し合って
生きていく時に、社会は本当に平和に
なってゆく。
ですから、前にも言ったことがあるん
ですが、自分の家族、一つの家族、この
一つの家族が平和になるように、お隣りの
人が平和になるように、お向かいの人が
平和になるように、これをずっと広げて
ゆくと、世界人類に押し広げなくては
ならない。
一人一人をずっと祈ってゆけばいいん
でしょうが、それを一言で言うと、
世界人類が平和でありますようにという
言葉に集約されて来ますよと、言ったことが
ありますが、実際、この世界人類の中に
自分も入っているんですね。
人も入っているんですね。
そしてこの中には、何の反発も競争心も
起こらない、神様からのひびきが伝えられて
来る。
単なる願いのような弱いものじゃない、理想
でもない。
向こうの世界では、もう現実そのもの、
大調和の世界というものがすでに
出来上がって完成している。
それを今、地上に少しずつ少しずつ確実に
降ろして、本心に植え付けていく。
そういうことを今やっているんです。
(つづく)