(前日からの続き)
その習慣を解き放っていくものは何かというと、
やっぱり祈りであって、いつも言いますように、
祈りというものは、自分の生命を宣り出してゆく、
本当の生命を宣り出してゆく、そういう
ものですね。
だから、痛いとか苦しいとか辛いとか、
痛がっている自分がある、肉体の自分がある。
だけども元々の自分は痛みもしなきゃ辛がりも
しない自分がある。
どうかしてそこへ自分の想いを届かせたい。
だけどそれを焦って苦しんで背伸びをして、
そこへ行かなくちゃ行かなくちゃって思うと、
これまた駄目で、これはやっぱり自己完成にも
何にもならない。
自己完成というのは人類愛から始まる
というのは、つまり私どもの世界平和の祈り、
世界人類が平和でありますようにという、
自分(個人)を思うと同時に人類を思う、人類の
中の一人としての自分、人類とつながっている
自分を思う。
そのことが即ち、宇宙とつながる、宇宙の本源の
生命、宇宙神の生命、宇宙神から分かれて来た
生命、そことつながる。
それが本来の人間の姿ですね。
(つづく)
その習慣を解き放っていくものは何かというと、
やっぱり祈りであって、いつも言いますように、
祈りというものは、自分の生命を宣り出してゆく、
本当の生命を宣り出してゆく、そういう
ものですね。
だから、痛いとか苦しいとか辛いとか、
痛がっている自分がある、肉体の自分がある。
だけども元々の自分は痛みもしなきゃ辛がりも
しない自分がある。
どうかしてそこへ自分の想いを届かせたい。
だけどそれを焦って苦しんで背伸びをして、
そこへ行かなくちゃ行かなくちゃって思うと、
これまた駄目で、これはやっぱり自己完成にも
何にもならない。
自己完成というのは人類愛から始まる
というのは、つまり私どもの世界平和の祈り、
世界人類が平和でありますようにという、
自分(個人)を思うと同時に人類を思う、人類の
中の一人としての自分、人類とつながっている
自分を思う。
そのことが即ち、宇宙とつながる、宇宙の本源の
生命、宇宙神の生命、宇宙神から分かれて来た
生命、そことつながる。
それが本来の人間の姿ですね。
(つづく)