中年おじさんの散策part2-3

東京都内・海外の散策を楽しんでいる叔父さん。いろいろなところを散策し記憶として記録しています。よろしかったらご覧ください

散策 「東京南東部-127」  郡代屋敷跡

2015-11-08 06:39:16 | 東京 南東部

このブログは「中年おじさんの散策」3の継続版です

 

20150416 東京南東・史跡
東京都中央区日本橋馬喰町2丁目付近
        郡代屋敷跡
   天正18年(1590年)徳川家康は伊奈忠治を関東八国の郡代(直轄地の支配者)に任命し、徴税、訴訟、勧農などの行政を行わせました。以後、寛政4年(1792年)まで代々伊奈氏がこの職を継ぎました。郡代屋敷は旧馬喰町4丁目の北にあって柳原に接していました。関東郡代を廃したあとは馬喰町御用屋敷と称され、明治初年に諸藩出張所となり、馬場の廃止とともに町屋に変わりました。
 伊奈忠尊が罪を得て失脚した寛政四年(一七九二)以後は、勘定奉行が関東郡代を兼ねてここに居住しました。文化三年(一八〇六)に焼失した後、代官持ちとなって、馬喰町御用屋敷と改称されましたが、江戸の人々はこの地を永く郡代屋敷と呼んでいました。hpより

 

 

 

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散策 「東京南東部-126」  岩本町馬の水飲み広場

2015-11-08 06:36:23 | 東京 南東部

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20150416       東京南東・史跡
東京都千代田区岩本町
岩本町馬の水飲み広場
   この場所は、江戸時代より房総や東北方面からの物資輸送(米・野菜・魚介類・材木等)のために荷車を引く牛馬の水飲み場として、また、街道を往来する人々の休息の場として、重要な役割を果たしてきました。
  広場には「岩本町馬の水飲み広場」なる腰の高さくらいの石碑が建っていて、それには「この場所は、江戸時代より、房総や東北方面からの物資輸送(米・野菜・魚介類・材木等)のために荷車を引く牛馬の水飲み場として、また、街道を往来する人々の休息の場として、重要な役割を果たしてきました」と記されている。
 地元に勤めていて日頃足を止めることすらなかったところに、こんな記念すべき広場があったなんて秋葉原も多彩である。

 

 

 

 

 

 

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散策 「東京南東部-125」  既製服問屋発祥の地   和泉橋近辺  神田川源流付近⑦

2015-11-08 06:31:11 | 東京 南東部

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20150414  東京南東・椿・ツツジ
東京都千代田区岩本町
        和泉橋近辺
  既製服問屋発祥の地
        神田川源流付近⑦
 慶長年間(1595~1615)、 神田川の工事が行われ 川の南側に土手が築かれました。 駿河台東端から 浅草橋までの土手は、 太田道灌が江戸城の鬼門除けに柳を植えたことから「柳原土手」と呼ばれました。
 この土手に沿った地域は、 江戸時代中ごろまでは大名・旗本らが居住する武家地や 火除明地や 籾蔵の設置場所などでした。その後, 次第に商人や職人が住む町地となり, 土手のそばには古着などを扱う露天が設けられ、 江戸市中の 古着マーケットの一つとなりました。 明治6年(1873)になると 土手は崩されますが, 古着を扱う露天は引き続いて営業しました。 さらに, 明治14年(1881)には, 現在の岩本町3丁目10番地 及び神田岩本町1番地の一帯に, 東京市内の古着商業者たちによって「岩本町古着市場」が開設され, 東京の衣類産業の中心地となりました。

 

 

 

 

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