3月17日
明日18日は、いよいよネパールを離れます。
搭乗するエアインディアはリコンファームをした方が良いとガイドブックに記されていたので、宿のオーナーに相談すると、「インターネットで予約したのなら大丈夫でしょう、但し、飛行場には早目に行った方が良いですよ」とのアドバイスでした。
明日早目に飛行場に行けば、トラブルなく搭乗できるのであれば、今日は予定がありません。
そこで、今日は何をして楽しもうか考えました。
バスで古都のバクタブルへ行く案や、エベレストが見えるカカニなども検討しましたが、出発の前日にリスクが想定される行為は止めるべきでしょう。
そこで、カトマンドゥ市内で土産物を探したり、見残した場所などを訪ね歩くことにしました。
その内容は以前のページ「魚は貴重品なのかもしれません」「カトマンドゥB級グルメ」でご紹介しておりますので、興味のある方は、どうぞ、そちらをご覧下さい。
さて、ネパールの旅を終えるに当たって、どうしても書いておくべきことがあります。
それは、私が実践したアンナプルナ トレッキング 単独行動の危険性についてです。
結論から言えば、ヒマラヤ トレッキング での単独行動は絶対に避けるべきです。
このブログを書くに当たって、ネパールの樹木などをネットで
検索した時に、偶然以下のブログに出会いました。
カトマンドゥ日記には、次のようなことが記されていました。
著者の安倍 様に許可を頂きましたので、以下に要旨を引用します。
「有名なトレッキング街道の、アンナプルナベースキャンプへ行く途中に、ガンドルン村はある。道はポカラから始まり、階段状の急斜面を登って行く。茶店や小さなホテルもある。ヨーロッパ人も、アメリカ人も、日本人も、一緒に歩く。この有名すぎる街道で、なぜか行方不明になった人がいる。
アンナプルナBC(ベースキャンプ)へ行く街道で行方不明になったのは、日本人女性、アメリカ人男性、ドイツ人男性、などである。なぜ分かるかといえば、ちゃんと看板が立っていて、「情報は、日本大使館へ」「何か知っている人は、ドイツ大使館へ」「情報提供者は、アメリカ大使館へ」と書いてある。
つまり、あるホテルなり茶店で、その人が目撃されたのに、次の村なり、ホテルでは情報がない。では、どこに消えたのか?
行方不明になった3人には、共通点がある。全員が、一人旅、なのだ。それにしても怖い話だ。
A地点では、確かに生存していた。B地点では、生存が確認できていない。つまり、その間で何か、はっきり言ってしまえば、「殺人」があったに違いないのだ。」
私もこの意見に賛成です。
実際にトレッキングルートを歩きましたが、アンナプルナBCへの一本道を間違えるはずはありません。子供でも歩けます。
帰国後に分かったのは、ネパールの一人当たりのGDPは約6.5万円(日本は380万円)、ネパールの農村の平均年収は3万円以下だそうです。
世界中のトレッカーの財布には、5万Rs以上の現金があるのではないでしょうか。
トレッカーが農村年収以上の現金を持つことを、ネパールの人達は子供まで知っています。
更に、「ネパールでは1996年からの内戦が2006年に終わり、王政廃止後に政治的な混乱が続き、2013年11月には制憲議会選挙でネパール会議派が第一党となり、統一毛沢東主義派が大敗した」そうです。
ウィキペディアには「ネパールは2013年現在、暫定憲法のもとで暫定政府が設けられ、本格的な憲法の制定を目指している」と記されています。
ネパールには、日本の優秀な警察のように、轢逃げ犯をほぼ100%検挙できるだけの治安組織は確立していないと考えるべきです。
ネパールに限らず海外で油断すると、荷物や財産、そして命までもが奪われかねないという事実は認識しておくべきです。
勿論旅行会社が主催するツアーはほぼ安全でしょう。
ツアー料金には安全への対価も含まれているはずです。
もっとも、私はそのようなツアーが面白いとは思いませんが。
ということで、私が次にヒマラヤ へ行くことがあれば、必ず誰かを誘うか、ポーターやガイドを雇うことにします。
そして、このブログを読まれた方が、ヒマラヤに単独で入り、不幸な目に合うことだけは避けて頂きたいと思います
日本の外務省HPの海外安全情報には「西部観光都市ポカラでは,トレッキング・ルートのひと気のない場所で外国人トレッカーを待ち伏せ,現金等を恐喝する事件が発生しています。できるだけ地元のガイドを雇うようにしてください。また,マッサージ店で男性店員からわいせつ行為を受けたという事件も発生しています。」と記載されていました。
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カトマンドゥで、いよいよヒマラヤ・トレッキング花の旅の最後の夜を迎えました。
手持ちの現金も、明日のタクシー代程度を残し殆ど使い切ってしまいました。
夕食はカードが使える、宿の近くのタメル・ハウス(市街図②)へ行くことにしました。
ローソクが灯るテーブルで、今日までの無事に感謝しつつ、一人で祝杯を挙げました。
何だか、毎日祝杯を続けている気も、しないではありませんが。
そして、鱒料理をオーダーしました。
ネパールで魚は貴重です。
諸々を追加注文した最後に、ネパール焼酎のロキシーをオーダーしました。
金属の器に入った酒を、ボーイが目の高さから盃に注ぎ落します。
この店のネパール焼酎が非常に優れものでした。
これを飲む為だけでも、タメル・ハウスで食事をする価値があるだろうと思います。
そして翌18日朝、私は無事にカトマンドゥ・トリブヴァン国際空港を飛び立ち、インドのデリーでJALへ乗り継ぎ、五体満足で日本に帰国することができました。
楽しかった旅を終え、今は次の旅のために、スポーツセンターで汗を流しています。
そういえば、北海道大学で教鞭をとった誰かが
オールドマン ビー アンビシャス と言ってなかったでしょうか。
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さて、これにて「ヒマラヤ・トレッキング 花の旅」を終了とさせて頂きます。
今日まで長い間、駄文にお付き合いを頂きまして本当に有難うございました。
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ヒマラヤトレッキング 花の旅 index 1
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