羽花山人日記

徒然なるままに

縦・横再び

2021-11-20 17:17:39 | 日記

縦・横再び

昨日,縦書きと横書きについて書いたついでに,ネットサーフィンであれこれ覗いてみた。

縦書き,横書きのそれぞれに,右書き,左書きがあり,縦書きは大体右からだがモンゴル語は左から書くそうだ。縦書きを下から書く言語があり,横書きに牛耕式,つまり右書きの行が終わったら左からと,ジグザグに書くというのがあるのには驚いた。縦横両方あるのは,中国語,朝鮮語,日本語に共通している。

インドヨーロッパ語族は,共通して左横書きであるが,アラビア語は右横でありながら,数字は左から書く。「年2021はしとこ」の文で,右から「は」まで書いて。左から「2021」と書く。どうやって先頭の「2」の位置を決めるのだろう。実際にアラビア語を書くところを何回も見たが,5桁,6桁くらいの数字もきちんと納めていた。

日本語の横書きが本格的になったのは,外国語の辞書からだという。当然左書きだったはずだが,戦争が終わるまで日本語としては右書きにこだわる主張があったらしい。子供のころ右書きが正式だと思っていた記憶がある。この主張は,戦時中右翼・国粋主義者によってなされ,軍隊では左書きが行われていたが,それを一般化することに強硬に反対したとか。書き方にもイデオロギーが反映されていたのだ。

生家の座敷の欄間に飾ってあった額に,四つの漢字が横並びに書かれていた。横書きだと思っていたら,これは1行1字という縦書きだったらしい。

 

ありがとう水原一平君

昨日の大谷翔平選手の記事で,彼のことを書くのをうっかりしていた。翔平君に影のごとく寄り添っていた一平君の存在があったからこそのMVPだ。大谷選手は,記者会見で,一番世話になった人は?ときかれ,「一平さん」と答えていた。

 

薄明のタジマハール

2014年7月撮影

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タテかヨコか

2021-11-19 16:37:55 | 日記

タテかヨコか

AERAの51号に,「”タテ”か”ヨコ”かそれが問題だ」という記事が載っている。

スマホやパソコンの普及によって,日本語の縦の読み書きが少なくなり,われわれは「横書き文化」にどっぷり浸かるようになっているが,そのことについて3人の識者にコメントを求めている。

「地球の歩き方」の宮田編集長は,海外旅行の案内では,現地語やカタカナ表記が多いため,横書き以外の選択肢はないという。国内旅行案内誌「まっぷる」の竹内広報担当は,旅情をかき立てるという目的からすれば,右開きの縦書きの方が落ち着いた雰囲気を作りやすいという。なるほどと感じた。

三省堂国語辞典編集委員の飯岡さんは,「もともと縦書きだったものを横にするのには,かなり違和感があって,私の内部には,縦書きの血が流れている」,そして,「文庫本のクリーム色がかった紙に,昔ながらの明朝体で印刷されている縦書きの文字を読むのは,至福のひと時」という。同感である。

わたしは縦横の併用である。ブログはソフトの制約で横書きにせざるを得ない。論文や専門書を書くときは横書き,啓蒙的なものは縦書きである。手紙は縦書きが多い。はがきは縦書きが主で,絵葉書は外国で求めたものは横書きすることが多い。年賀状はパソコンのWordで作成していて,メールアドレスや電話番号を記入するので,横書きである。

飯岡さんは「文章を書きたくないとき,横書きの方が書けてしまう」,「縦書きで文章を書くときは,〈さあこれから書くぞ〉と身構えちゃう」という。確かに,横書きは気楽で,メモを取るときなどは,横書きにしている。

日本語は,縦書きと横書きができる稀有の言語だそうである。いずれは,縦書きが隅に追いやられる時代が来るだろうが,横書きの源氏物語や枕草子はいただけない気がする。

わたし自身は,稀有な日本語文化の恩恵に浴し,縦横を楽しみたい。

 

おめでとう!大谷君

大谷翔平選手がMLBの最優秀選手に選ばれた。快挙だ。満票とのこと,文字通り文句なしだ。

 

花キャベツ

阿見町にて,11月17日撮影

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こころ旅

2021-11-18 19:56:06 | 日記

一昨日観た『にっぽん縦断こころ旅』だが,ちょっといい話なので,書いておく。

この番組は,視聴者が心に残る風景を手紙に書いて,俳優の火野正平さんが自転車でそこを訪れるというテレビ番組である。

16日は,大分市の池田希美さんという方からのリクエストだった。希美さんは,人工呼吸器の助けを借りて,ベッドに横になってパソコンで絵を描いているという。Facebookで観た,大分県玖珠町の塚脇小学校にある銀杏の木があまりにも素敵だったので,6年間かけてその木の姿を想像しながら,絵を完成した。これは自分の心の風景であり,そっと教えたい。火野さんがそこを訪ねて,テレビにその木がうつるのを見るのが夢なので,是非行って欲しい,ということであった。手紙には絵も添えられていた。

この番組は時々観ているが,リクエストされるのは,自分が行って見たことのある風景であって,そこに行ったことのない場所を希望したのは初めてだった。

火野さんは塚脇小学校を訪ね,絵の構図から目的とする銀杏の木を探し当て,テレビに乗せて池田さんに届けた。

ちょっと残念だったのは,時期的に少し早すぎて,銀杏がまだ黄葉になっていなかったことである。でも,佐藤さんはきっと満足されたことと思う。

写真はいずれもテレビ画面を撮影

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覚え違い

2021-11-17 20:20:33 | 日記

今日の天声人語に,福井県立図書館が編纂した『100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集』から引用した,人名や書名の覚え違いの例が載せられていた。

横山秀夫『半落ち』⇒梶山秀夫 『中落ち』

壇一雄『火宅の人』⇒『ひやけの人』

大佛次郎⇒だいぶつじろう

井伏鱒二⇒いぶくたけし etc.

恥を忍んで告白するが,私はかなり長い間「南方(みなかた)熊楠」をナンポウと読んでいた。親切な友達が直してくれ,感謝している。

父から聞いた実話である。島崎藤村の詩碑の除幕式に出たところ,主賓の方がご挨拶で,藤村のことをフジムラトウソンと呼んで,最後まで押し通したそうだ。その話を聞いた後,わたし自身が,フジムラトウソンと言いそうになって困った。

ちょっと関係ないが,もう一つ実話を。南米の在外公館に務めておられた方から聞いた話だ。日本から偉いさんが視察に来て,夜道を案内していた時に,「あれが南十字星です。」と教えたところ,「ほう。ところで北十字星はどれかね。」と質問された。とっさに反対方向を適当に指さし,「あれが北十字星です。」と答えたそうだ。

熊野古道にて2019年撮影

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COP26

2021-11-16 19:50:32 | 日記

COP26

COP26が閉会した。採択されたグラスゴー合意では,世界の気温上昇を1.5℃に「抑える努力を追求する決意」と記載されているという。

「抑える決意」,「抑える努力をする決意」,「抑える努力を追求する決意」と,「決意」に込められた意図はだんだん薄まっている。しかし,これが現実であり,問題の難しさをあらわしているように思える。

一昨日,テレビのニュース番組を見ていて,COP26における合意採択が報じられたしばらく後で,日光華厳の滝と東照宮ライトアップが報じられていた。わたしはなんとなく違和感を覚えた。この二つのことは,実は関係しているのに,無媒介に並列して報道されている。片やエネルギーの節約を言い,もう一方で電力の消費増が言われている。ちょっとこじつけかもしれないが,こうした「関係の無関係化,あるいは無自覚」とも言うべきことが,CO2・気温上昇問題を考える鍵になるのではないだろうか。

1972年のローマクラブをはじめ,経済成長が気温上昇の動因となっていることが指摘されるようになってから半世紀が経過し,SDGsが設定されるようになった。しかし,どうしたらそれが達成できるかは,まだ明確に示されていないように思う。ベストセラー『人新世の「資本論」』の著者斎藤幸平さんも,脱成長のコミュニズムを謳いながら,そこに至る過程についてはあいまいである。

熱力学の第二法則によれば,すべての動的過程からはエントロピーが生まれ,CO2が発生する。電気自動車や水素エンジンでCO2の発生を抑えても,機械を作り,水素や電気を得る過程ではどうしてもCO2は発生してしまう。それを小さくする努力をしても,生産量が増えればCO2も増大する。

われわれの営為のすべてが,地球の気温につながっているのだ。この関係を正しく自覚することが大切だと思う。「地球にやさしく」という合い言葉で,いろいろなことが提案されるが,実はそれが地球への負荷を新たに起こしていることがしばしば見られる。

喫煙の害が指摘され,公共の場から煙草が追放されるようになり,大手を振って喫煙ができない社会的雰囲気が醸成された。喫煙と癌の関係ほど,営為と地球温暖化との関係は簡単ではないが,個々の営為に二酸化炭素の値札がつけられて,欲求をコントロールし,人々の行動の指標とするようなことはできないだろうか。

 

秋深まる

土浦市乙戸沼公園にて11月15日撮影

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収穫

2021-11-15 16:34:00 | 日記

ダイコン,ネギ,ホウレンソウ,ヤーコンの収穫が始まり,タマネギと絹莢エンドウの植え付けが終わって,今年の家庭菜園のサイクルが閉じた。

今年の収穫物を,早い順から上げると:ネギ,ダイコン,ホウレンソウ,菜花(ノラボウナ),絹莢エンドウ,ジャガイモ,タマネギ,莢インゲン,ナス,トマト,ピーマン,枝豆,小松菜,キュウリ,トウモロコシ,オクラ,春菊,からし菜,ブロッコリー,ヤーコン,以上20品目。比較的病気や虫にやられないものを植えているので,農薬は使わないで済む。

今年は気温が高めに推移したせいか,収穫時期が早くなっていた。タマネギとジャガイモは,1ヶ月早まった。放棄してあった畑再開の一年目としては,まあまあの出来だった。

去年の3分の2に面積を減らしたのは正解だった。この広さなら,来年もまだ頑張れそうである。

今年はヤーコンの当たり年だった。これまでの最高収量である。11月13日撮影。

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ファン

2021-11-14 17:42:29 | 日記

ファン

わたしのメル友に,熱心な阪神タイガースのファンが3人いる。今年は16年ぶりの優勝かと,交換メールをにぎわしていたが,セリーグ2位に終わり,しかもクライマックスシリーズでは宿敵巨人に敗れたとあって,ここのところ沈黙が続いている。

ずいぶん昔,まだ西鉄ライオンズがあったころ,福岡市でタクシーに乗った時,運転手さんが,「タイガースのファンはえらいですね。いくら負けても応援を続ける。わたしら,ライオンズが落ち目になったら見向きもしませんよ。」と言っていた。

カミさんの友達で,とてもしとやかなご夫人がいて,この方は学生時代からの阪神ファンである。ある日カミさんを,神宮球場の阪神の試合見物に誘ってくれた。カミさんは,友人が次から次とグッズを取り出して応援するのを見て,びっくりして帰ってきた。そして,応援の楽しい雰囲気と,まわりの阪神ファンのマナーの良さとから,阪神ファンのファンになっている。

来年は日本シリーズで「六甲おろし」を聴きたいものだ。

 

四    冠

藤井聡太三冠が四冠になった。恐るべき19歳。まだまだ伸びしろを残していることだろう。

羽生善治九段が四冠になったのが23歳で,無冠になったのは25年後の48歳だった。わたしが生きている間,藤井君が位冠を保持し続けるのは確実だ。

ちなみに,わたしは駒の動かし方は知っているが,将棋はからっきし駄目である。大学生のころ,詰め将棋が解けなくて,解答を見たら,わたしが考えた手を「最初に指した人は40級以下」とあり,絶望した。

 

朝日歌壇から

「錠剤を朝昼晩と飲み分けて百薬の長さらに加える」  柏市 藤嶋務様

自分のことを詠まれているかと思った。今日は休肝日なので,加えられない。

 

散歩の途中で

アプチロン(ウキツリボク)いずれも阿見町にて11月撮影。

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クライマックス

2021-11-13 16:50:54 | 日記

クライマックス

プロ野球のテレビ中継はほとんど見ないのだが,11日のヤクルト・巨人戦を見ていた。

0対0,6回の裏,2アウト二・三塁のところで,原監督は8番打者の敬遠を申告した。次の打者は投手の高橋。当然高津監督は代打に川端を起用した。カウント2-2から3-2になった時,菅野の腕は縮んでいた。案の定押し出しの四球。わたしは,ここでセリーグクライマックスシリーズの命運は決まったと思う。

評者によると,原監督は9番に代打が出ることを予測して,それまで巨人打線を沈黙させていた,高橋投手の交代を狙ったのだという。策士策に溺れたか。

日本シリーズは,昨年のビリ同士。両方を応援しよう。

 

箜篌(くご)

テレビの画面を撮影

今週の『おんがく交差点』のゲストは,ハープ協会会長の篠﨑史子さんで,日本の古代ハープ「箜篌(くご)」が紹介された。

箜篌は,1983年に正倉院に残っていた残欠から,木戸敏郎さんが壁画を参照して復元したもので,1986年に鳥養潮さんが初めて演奏し,篠崎さんも翌年演奏した。23本の弦からなり,西洋ハープとは左右が逆になっているそうだ。音の響きは琴を連想させた。

大谷康子さんとのコラボは,篠崎さんのお弟子さんの故佐々木冬彦さんの作曲による,「紫の園に香るは…」。

残欠から,平城京時代の楽器,箜篌を復元した木下さん,古代に思いを寄せて箜篌に乗せる調べを作曲した佐々木さん。そうした方々の思いが,篠崎さんと大谷さんのコラボレーションに込められていた。

感動した。

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ふくまる

2021-11-12 16:22:24 | 日記

ふくまる

近くのスーパーの特売で,カミさんが買ってきた。茨城県が育成した米品種である。

茨城県は新潟,北海道,秋田に次ぐ,全国第4位の米生産県であるにもかかわらず,県独自の特Aクラスで全国展開する米の品種がない。

青森の「青天の霹靂」,秋田の「あきたこまち」,山形の「つや姫」,「はえぬき」,宮城の「ひとめぼれ」と,東北各県はそれぞれ著名な品種育成を誇っている。最近は隣接する埼玉県は「彩のかがやき」,千葉県は「ふさこがね」と有望品種を売り出している。

「コシヒカリ」や「あきたこまち」に頼らずに,県独自の品種で茨城米をというのが,関係者の悲願であった。1996年に,満を持して発表した「ゆめひたち」はブランド化には達することができず,県は「一番星」と並んで,2014年品種登録した「ふくまる」に力を入れている。

「ふくまる」の売りは,粒がやや大きく,ふっくらときれいに炊き上がり,冷めても粘り気が落ちないこととされている。「ふくまる」のネーミングは,その特徴から来ているらしい。早速炊いて賞味したが,なかなかのものである。これからゆっくり楽しもう。

 

瀬戸内寂聴さん

瀬戸内寂聴さんが亡くなった。享年99歳,白寿である。

瀬戸内さんの著書は,単行本で読んだことがない。晴美時代に書いた中編を,文芸誌で2,3読んだが,自らの不倫体験をポルノ的な筆致で描いていて,どうも好きになれなかった。マスコミに流れる風評から,たくさんの煩悩と業を背負った人のように想像し,得度して仏門に入った話を聞いた時は,その救いを仏に求めるのかと感じた。しかし,彼女を追想する記事やテレビ番組を見ると,なかなかそんなものではなく,煩悩と業を仏のフィルターを通過させて僧衣の中に貯め込み,それを発散して多くの人を魅了していたように思える。常人の尺度では測れない方である。

傑出した人が,また一人いなくなった。ご冥福をお祈りする。

 

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読書備忘(10) 中村哲vs.澤地久枝

2021-11-11 17:17:46 | 日記

中村哲・澤地久枝(聞き手) 『人は愛するに足り,真心は信ずるに足る アフガンとの約束』 岩波現代文庫 2021年

 

2019年12月,アフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲さんと,ノンフィクションライターの澤地久枝さんとの対談の記録である。2008年,中村さんの帰国の折に対談は行われ,その記録は,2010年に岩波書店から刊行された。本書はそれを文庫の形にし,内容を補って今年出版されたものである。なお,この本の印税は中村さんのご遺族に支払われる。

この本を読んで,わたしはペシャワール会(中村さんの現地事業を支援するために結成された国際NGO団体)のホームページで,中村さんの事業をあらためて確認した。6年間の医師としての派遣期間の後も,自ら望んでアフガニスタン現地の医療に従事し,さらに農地・農村の回復を目指して,用水路の建築に関わり,24.5㎞の用水路を完成して,16,500haの砂漠を緑地化し,65万人の飢えを救い,農村社会を築いた偉業は,奇跡か神の技かとすら感じられる。しかし,これはアフガニスタンの人々と,日本人ボランティアが成し遂げた事業である。

対談において,澤地さんは根掘り葉掘り,中村さんが刑事の尋問のようだというほどに,生い立ち・家族を含めて,中村さんの本音を聞き出している。ここでは,その内容の紹介というより,わたしの感じたことを記したい。

中村さんは,この事業を始めた動機を訊かれ,「運命というか,さだめによって」と答えている。派遣医師としてアフガニスタンでの医療に従事し,それでは埋められない現地の人々との隔たりを感じ,その隔たりを埋めることを自らに課した。それを運命という。それは重い責任を負うということだったろう。対談の中で,落馬事故で死にそうになった時,このまま死ねば楽になると思ったと,中村さんは述べられている。

中村さんは,アフガニスタンの人々の歴史,習慣,掟を尊重し,人々が何を必要としているかを考慮し,現地の方々と一緒に事業を進められた。ペシャワール会を窓口として送られてくる寄付金はすべて現地の事業に還元し,必要な機器・資材の購入,人件費にあてられた。上から目線で押し付けるのではなく,農民と同じ立場で中村さんはそれを受けとっている。

中村さんは,この対談の時点でアメリカ軍のアフガニスタンからの全面撤退を予言している。撤退に際して,バイデン大統領とアメリカ軍司令官が述べた,「自分たちで自分の国が守れない人たちに,アメリカ人の命をかけることはできない。」に示される姿勢は,中村さんのアフガニスタン人に対するスタンスとは対照的である。

この本を読んで,わたしはタリバンに対する認識を改めさせられた。わたしは,アフガニスタンを題材にした小説(*)を二つ読んでいる。その内容はタリバンに属する人(達)の「悪行」を描いていて,マスコミで伝えられる風評も手伝って,タリバン=悪というイメージを持っていた。中村さんはタリバンに非難すべき点があることは認めつつ,それが一枚岩的な存在ではないと述べられている。

タリバンはアフガニスタン人の農民に基盤を置く組織であり,アルカイダのような国際的な知識人を主体とするテロ組織ではないと指摘する。アフガニスタンの伝統と掟を尊重し,地区の長老会議と話し合って,その地区を治める。外国軍隊の誤爆などによる被害に対する復讐は,アフガニスタンの伝統である。タリバンはアフガニスタン人であり,いくら根絶やしにしようと思っても,決してできるものではない。

わたしには,中村さんが言われることの真偽は分からない。しかし,そうあって欲しいと思うし,そうであることがアフガニスタンの将来への光であって欲しい。

 

*カーレド・ホッセイニ (佐藤耕士訳) 『カイト・ランナー』 アーティストハウス 2006年

*ヤスミナ・カドラ (香川由利子訳) 『カブールの燕たち』 早川書房 2007年

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