写真は最近読了した『宇宙をかき乱すべきか』(フリーマン・ダイソン著 ちくま学芸文庫)です。F.ダイソン氏はイギリス生まれの理論物理学者でプリンストン高等研究所名誉教授です。私が初めて著者の名前を知ったのは高校3年の時に当時のSFマガジンに同博士が考案した「ダイソン球(または殻)」の紹介記事を読んだ時でした。それ以来、同氏の『多様化世界』(みすず書房1989年)、『科学の未来』(みすず書房2005年)などを私の人生の節目節目に読んできました。『宇宙をかき乱すべきか』は著者の自伝です。著者は第二次大戦中イギリス空軍のオペレーショナルリサーチ部に勤務し、都市爆撃の合理化の研究をしていました。爆撃機搭乗員の脱出システムの改善に取り組んでいたそうです。同書の中で著者は当時を振り返って戦略無差別爆撃に従事したことを後悔していました。英空軍の無差別爆撃はドイツの一般市民を40万人殺戮したけれども、連合軍の勝利には直接つながらなかったという記述でした(直接の勝利はソ連軍の地上侵攻によるベルリン占領による)。そして40万人のドイツ市民を殺戮するために英空軍は5万人近い戦死者を出したのだそうです。著者はその戦死者を減らすための脱出システムの改良に取り組んだけれども、それもうまくいかなかったのだそうです。
その記述の中で特にぞっとしたのは、英空軍がドイツの都市に火災旋風を発生させることを追求していたという記述でした。火災旋風とは、大規模な火災によって発生するいわば炎の竜巻です。日本では関東大震災で発生した火災旋風で3万8000人が死亡したことが知られていますし、1945年3月10日の東京大空襲でも火災旋風が発生し一晩で約十万人が死亡したことが知られています。ドイツでは1943年のハンブルク空襲と45年のドレスデン空襲で火災旋風が発生し、ハンブルクでは4万人、ドレスデンでは一説によると十万人とも言われる死者を出しています。著者も含めたオペレーショナルリサーチ部はドイツの首都ベルリンで、そのような恐ろしい火災旋風を起こすことを追求していたという記述を読んでぞっとしました。しかしついにベルリンでは火災旋風は起こせなかったのでした(それでも大勢の死者が出ていましたが)。
しかし話はこれで終わらないのです。戦後に結婚した著者の妻はドイツ人で戦争中ベルリンに住んでいたのでした。子供時代の著者の妻は地下に作られた煉瓦と鉄板の防空壕に避難して死を免れていましたが、もし火災旋風が発生していたら防空壕に避難していても酸欠状態で窒息死していたかもしれません。そう考えると恐ろしいことです。しかも戦後30年目に著者は妻と子供たちを連れて、妻が避難していた防空壕を訪問し、自分が英空軍で何をしていたかを家族に話す場面はシュールでさえありました。話を聞いた子供たちは著者に「お父さんのお友達が庭に爆弾を落としていたから、お母さんはここ(防空壕)に座っていたわけなの?」と聞いたそうです。決して著者だけの責任ではありませんが、人間とその組織のマッドさに言葉を失ってしまいます。