博多住吉通信(旧六本松通信)

 ブログ主が2022年12月から居住を始めた福岡市博多区住吉の生活や都市環境をお伝えします。

北東航路

2008年04月26日 | 時事
 一方、北極海を通過しヨーロッパとアジアを結ぶ航路は、シベリア、ユーラシア北極海岸を通る航路もあります。24日のESAの衛星写真の青い線がそれです。こちらはシベリア・タイミル半島の沖合いが氷でふさがっていて青い線が点線になっています。
 こちらは北西航路よりも早く発見されています。
 スウェーデン系フィンランド人で鉱山学者で探検家のニルス・アドルフ・エリク・ノルデンショルドが北ヨーロッパと東アジアを結ぶ最短の航路(北東航路)の開拓を成功させ、明治維新から12年後の日本に来航したことは有名です。
 彼は1878年7月4日にヴェガ号で仲間と共にストックホルムを出航、1年後に北極海を抜けてベーリング海へ出ることに成功しました。ヴェガ号はそのまま太平洋を南下し、カムチャツカ半島沖を通過し、1879年9月2日、日本の横浜港に到着した。明治天皇をはじめ当時の日本人は盛大にノルデンショルドを歓迎しています。
 しかし、その後、やはり北極の氷の壁は厚く北東航路が使われることはありませんでした。
 写真はノルデンショルドの辿った航路です。横浜を出航後は、ユーラシア大陸を今度は南岸沿いに進んでスウェーデンに帰国しました。つまりノルデンショルドはユーラシア大陸をぐるっと周航したわけです。これも世界初だったでしょう。
画像引用元:http://en.wikipedia.org/wiki/Adolf_Erik_Nordenski%C3%B6ld
そこで思ったことは、南北アメリカ大陸でこれと同じ事をした人はいるだろうかということです。北西航路の開拓者アムンゼンは、ヨーア号でアラスカのノームに到着したあと、どのように帰国したかは調べてみましたが、よくわかりませんでした。まさか小さなヨーア号で南米のホーン岬を回って出発って北米に戻るという航海をしたとは思えないので、こちら(南北アメリカ大陸周航)を実現した人はいないのではないでしょうか。

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