先日このブログでご紹介したロシア映画「戦火のナージャ」の中で心に残った場面として以下のものがありました。
ナージャは看護師として従軍しており、赤十字の病院船で負傷者の看護をしています。本来国際法で攻撃してはならない赤十字病院船が、実につまらない理由でドイツ戦闘機の攻撃を受けて撃沈されてしまいます(下の写真です)。国際法違反を知られないようにドイツ機は念入りに機銃掃射でおぼれている負傷者を皆殺しにします。
ナージャは爆発で海(ドニエプル河のような大河かもしれません)に放り出されましたが、ドイツ機が投下した機雷につまって九死に一生を得ます。たぶん磁気機雷か何かで金属でないと爆発しない機雷なのでしょう(その描写も後で出てきます)。その機雷には負傷し息も絶え絶えのロシア正教会の従軍司祭も掴っていました。革命後のソ連ではロシア正教会は社会の裏側に遠ざけられていましたが、ドイツの侵略に対抗する国民統合の手段として正教会も戦場に駆り出されていました(ここらへんの事情はミハルコフ監督の個人的な背景にも関係があって興味深い事実があるのですが、それはまた別に紹介します)。
司祭はすでに死にかけているのですが、一緒に機雷に掴まっているナージャにキリスト教の洗礼を授けようと言います。ナージャは「私は共産青年同盟員で無神論者ですから洗礼は受けられません」と断ります。さらに「それに私の父は忠実な共産党員ですから、私が洗礼を受けることを父は望みません。父に叱られます」と言います。実にきっぱりしています。そんなナージャに司祭は「そのような信念のあなた方も神は愛する」と言い、ナージャに洗礼を授けます。そして小さな十字架を彼女の首にかけると、司祭はゆっくりと海に沈んでいきました。最初からそこにはいなかったかのように静かに姿を消します。ナージャもいつ司祭が姿を消したか分からずにとまどっています。
その後、生き延びたナージャは凄惨な戦場で看護活動に奔走します。ある戦場で全身が黒焦げで背中に貫通した弾丸の穴が複数あいている、息があることが不思議な負傷兵を手当てします。負傷兵はナージャの首の十字架を見て、どうすれば今死にかけている自分の心の平安が得られるかとナージャに尋ねます。ナージャは「彼を信じなさい」と言います。負傷兵は「彼って誰のこと?」「ああスターリンのことだね」と言って息を引き取ります。このやりとりも非常に興味深かったです。