私の高校時代は美術部でほとんどの時間、デッサンをして過ごしました。
おかしな言い方だと思いますが、実は私は美術部に入部したという気持ちはなかったのです。
こう言うと不思議に思われるかもしれませんが、私はバスケットをしながら美大に行くつもりもあったので、
美術室に通うのは、部活にとってはよそ者がデッサンだけ描かせてもらうために、お邪魔しているという
感覚でした。
だから、本来の美術部の活動は、ほとんどすることもなく、そのため暫くは美術部の他の生徒をあまり知らないでいました。
しかし、批評会があると参加して絵を見てもらったり、美術部でバレーボールをしようというと参加したりしている内に
段々と他の部員を知るようになり、ある時先生から「お前はもう美術部員なんだから、授業が終わったら黒板の文字を消すことくらいはしなさい」と言われました。
そうなのか、俺、美術部員なのか?と言われて初めてそれを意識しました。
私が毎日通うのは美術準備室です。大きな美術室は美術部の他の部員が使っていました。
デッサンをするのは、美大受験を考えている人たちだけなので、私はその人たちとだけつきあっていたのです。
だから、私は本来の美術部員がやるべき文化祭の準備だとか、展覧会の準備だとかはほとんどやっていませんでした。
それよりも、生徒会活動に参加したくなり、美術室よりも生徒会室へ通う事が多かったように思います。
デッサンが上手くいかない分、他で張り合いを持ちたかったということもありました。
学校では、行事委員というものがあり、期末試験の後の球技大会などを運営します。
その副委員長になり、委員長があまり出てこなかったために、2年の三学期の球技大会はほとんど一人で全校生徒を動かしたのです。これは、遣り甲斐がありました。
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私の美術部での活動、美術部員としての意識、とてもみなさんに胸を張って言えるものでは、ありませんでした。
しかし、どういうわけか、美術部の仲間はみんな親切で、私を暖かく迎えてくれていました。
それは、他ではあまり感じない物でした。だから、人間関係においては、美術室に通うのがとても楽しく、段々と自分の居場所になっていきました。
この当時の美術部は、他の子は絵を描いていたのですが、私はデッサンだけだったので、絵は家で描きました。
だから、夜の台所の絵になったりもしたのです。
この当時描いた花の絵をご紹介します。
どちらも20号です。
どちらもアトリエで夜描いたものだと思います。
左は、バックとテーブルの右が明るさが似ていて、落ち着きません。右の方が捉え方が上手くいっています。
右の方が後に描いた物です。その違いがわかりますか?
デッサンを勉強して、空間を意識するようになると、このように絵が変わりました。
高校生としては、なかなかですね。