睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

黙して語らない父の戦争記念日① 「碑なき墓標」1970年毎日新聞

2019-08-14 18:15:51 | 時事・世相・昭和~令和
画像はAmazonより拝借

南方の島のジャングルのなか、
苔むしたしゃれこうべに根付く花の写真が載っている
写真集を探している。
(碑なき墓標―ガダルカナル・ラバウル・ニューギニア)

TVでかの地への遺骨収集のニュースを見るたびに、
「俺も行きたかった」の独り言を何度も聞いた。
ヤフオクができて間もない頃、この写真集を手に入れ、
おそるおそる父に渡した。

1枚づつ丹念にページをめくり食い入るように見つめて
目をしょぼつかせ深く溜息をつく父の姿が忘れられない。

父の没後に大切な資料本と一緒に山の家の倉庫に
しまったのだが、大雨で床が抜けた時以来、
行方不明になっている。
泥んこになっても捨てるはずがない本なのに。

終戦記念日が来るたびに思いだして探すのだが、
未だに見つからない。
父があの世に持って行ったと思うことにする。

Amazonで見つけて買うことにした。
ここでgetしないと再び入手できるか分からない。
終戦から74年を迎えた令和元年、ことさら、
昭和は遠くなりにけり。



大正2年3月生まれの父は2000年9月24日、
母の手を握りながら88歳にて永眠。
父の看取り記はカテゴリー「逝ける人々」の
親父part1~part7(Last)に詳細を記してあります。





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4 コメント

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Unknown (reikoh6)
2019-08-14 18:48:50
私の父も満州で負傷し、回復後国内派兵、そして1944年3月私の生まれる1か月前に南方へ送られました。終戦後マラリヤに罹ってようやく帰国しました。
76歳で亡くなるまで戦争のことは一度も話してくれませんでした。
貴方のお父様の気持ちが良く分かります。ご冥福をお祈りします。
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Unknown (suiren2009)
2019-08-14 22:32:59
父はいくら聞いても頑として、特に戦争末期のことは
ひと言も話さずに旅だってしまいました。
よほどのことがあったのだろうと推察するばかりです。

明日にでもつづきをUPします、
よかったらご覧になってください。
お悔やみありがとうございました。
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Unknown (8013sakigleissen2)
2019-08-15 05:58:14
私の父も戦争の事について聞いても一度も話してくれることは無かったです。病院で最後に立ち会った夕方・・・「戦友がむかえに来た・・・」と言って逝ってしまいました。その時、はじめて父にとって、ずっと戦中だったのだ・・と気がつきました。
本当につらい体験をした人にとっては語るという事が出来なかったのでしょうね。言葉以上のものがあった・・・
戦争はいまだに地球から無くならない・・・
人間の欲があるかぎり・・・人間って愚か・・・
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Unknown (suiren2009)
2019-08-15 11:28:57
母から戦友の名前と知らされたとき、
泰平に浮かれるぼくらをよそに父は長きときを戦時中のまま過ごし、
永遠の平和は死ぬことで訪れると分かったとき、自分がしでかした
不明な親不孝を深く恥じた。

父が存命のうちは父の戦時中のことを何一つ教えてくれなかった母は、
酔って軍歌を唄う父の背中をいつも撫でていた。
あれはただ仲睦まじいだけではなかったんだね...。
ぼくの完敗だと思った。
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