昭和20年(1945)8月14日、
時の政府はポツダム宣言を受諾し、翌8月15日正午、天皇陛下みずからの
ラジオ放送(玉音放送)により、日本が米・英・中・ソの連合国に無条件降伏を
したことを国民に知らしめた。
これにより昭和20年8月15日は第二次世界大戦終結の日となった。
晩年の父は遺骨収集のニュースを見るたびに遠い目をして寡黙になった。
命からがら引揚船に乗り、ようやく故国に戻った父は、小部隊中ただ一人の
生き残りを恥じていた。道なき道のジャングルをさまよい、友の亡骸を足蹴に
退路を切り開いたことを、いつまでも、いつまでも悔やんでいた。
アフリカの荒地に地雷除去のボランティアが活躍している。
「象を助けたい一心で活動に参加した」とTVインタビューに応える人の横を、
地雷で片足を失くした現地の人が、地を這いずりながら通り過ぎた。
真実は残酷だ。
終戦の前日、永井荷風と谷崎潤一郎は疎開先の岡山県津山で豪華な
晩餐を食す。戦争末期の終末感にとらわれた二人の文士は今生の名残の
晩餐に牛肉のスキ焼きをたらふく喰らひ、二升の地酒に酔いしれた。
戦後、筆が衰えた荷風は晩年を吝嗇と孤独のうちに過ごし看取る者なく
独死した。「細雪」のベストセラーで意気軒昂な谷崎は、健啖な美食家で
鳴らし、官能的エロスを乱反射させるが如く耽美で妖怪な作品を著わし、
家族に看取られる最後を迎えた。
戦争はさまざまな人の生き様に光となり影となりて寄り添う。
懺 悔 (さんげ)
無始(むし)よりこのかた 瞋痴(とんじんち)の煩悩にまつわれて
身と口と意(こころ)とに造るところの もろもろの つみとがを
みな悉(ことごと)く懺悔したてまつる
我昔所造諸悪業 がしゃくしょぞうしょあくごう
皆由無始貧瞋痴 かいゆむしとんじんち
従身語意之所生 じゅうしんごいししょしょう
一切我今皆懺悔 いっさいがこんかいさんげ
8月は1年でもっとも忙しい月
風邪ぎみで、だるくて、熱っぽい
セキを我慢してせきこむ状態。
夏休みは12日~16日の5日間
風邪をこじらせてlongvacation
なんて不埒なことを考えている。
露天のイカ焼きを食べ
浴びるほど本を読み
絵の具をぶちまけ極彩色の
奔放なマーブル模様を造りたい。
庭に小さな池を造りメダカとミナミの楽園を、
裏山から水を引いて天然ビオトープもいい。
あ、全部妄想ね。
何事もなく一日が過ぎる幸せ、
平和な日本。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます