睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

メダカの命つきるまで

2009-10-12 10:46:32 | 時事・世相・昭和~令和

メダカの命は儚い、たかだか2年か3年の命。
いつもより訪れるのが早い今年の秋、9月1日から今日まで、
すでに4匹の親黒メダカを見送った。

主のいない家、ほったらかしの屋外飼育、天敵のいる厳しい環境、
そのどれにも負けることなく
病気ひとつせず丸々と肥え、
生き生きと水面をジャンプするメダカたちだった。


もう少し手をかけてやれば4年5年と長寿記録を伸ばせたかもしれない。
だけど、ごめんな。これで精一杯なんだ。

今は全部で何匹いるんだろう。
つい最近、飼育放棄されたメダカ29匹(黒・ヒメダカ・白)を引き受けたから
全数にすると60匹ぐらい。

「子供が宿題のメダカ飼育に飽きたから川に放す」なんて話を聞くと、
親の不見識もさることながら
学校での教育はどうなってるんだと怒りを
覚える。採卵~孵化まで"命の芽生えと育む"ことを教えるなら命を全う
することの大切さも教えてほしい。

いや、先生がたはちゃんと教えていると思う。
受け取る側の感受性の不足や現状認識の甘さ、不況下の厳しいご時勢
だというのに、まだ軽佻浮薄な"飽きたらポイ"を引きずっているのかも
しれない。

イケイケドンドンの世相を作ってきた団塊世代の子供が
結婚して親になる。
右肩上がりの自分の子供時代を、わが子の教育の経験則として使っちゃ

いけないよ。時代はいつも流れているのだから。

生き物をオモチャのように扱う子供に罪はない。
子供がバッタの手足をもいだら、子供の手足を引っ張り、その痛みを
教えてあげればいい。虫ケラと同列に自分を置いたとき"無知がなせる
残酷さ"を知ることができる。

これからの時代が必要とする教育は豊かな情操教育とグローバルな
倫理観だろう。都会にはうるおいのあるコミュニティはない。
野良猫にエサを与えるだけで殺人事件の端緒になる。
野良犬だってなりたくてなった訳じゃない、野犬狩りに怯えながら、
哀しい眼をしている。

クマが里に下りてヒトを襲えばその場で射殺される。
クマの生息地を開発の名のもとに奪い取ったニンゲンにはお咎め無し
みんなニンゲンのその場限りのご都合主義で自然も動物もポイ捨て
されてきた。

母の田舎のひとり暮らしを支えてくれたのは「隣組」と呼ばれる
小さなコミュニティだった。
朝8時までに雨戸が開かなければ心配して見に来てくれる。

そりぁいいことばかりじゃないさ、プライバシーなんてものは
無きに等しい。両親が亡くなったときに通夜・告別式までを仕切
ったのは地元の長老で、喪家を守ったのは隣組だった。

台所に割烹着姿の隣組のご婦人たちが勢ぞろい、弔問客へのお茶
だしから通夜振る舞いの料理まで至れり尽くせりのお任せ状態で、
彼女らは引き出しの中身から、米びつのありかまで知っている。


このまま少子化が進めば60歳以上が人口の半分を占める日も近い。
年寄りが縁側に集まり日向ぼっこしながらお茶をすする。

ここには野良猫も野良犬もいない。
おだやかに時間が流れてゆく。
これもひとつの方向性。

裏庭の隅につくった小さな「メダカ塚」、
実家からの帰りがけに手を合わせるのが日課になった。




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