睡蓮の千夜一夜

馬はモンゴルの誇り、
馬は草原の風の生まれ変わり。
坂口安吾の言葉「生きよ・堕ちよ」を拝す。

ミサちゃんと編み物

2019-09-28 10:23:35 | ひびつれづれ
10代のころ預けられた親戚んちには住み込みのお手伝いさんがいた。
九州は川内の生まれで名はミサちゃん。
あのころの彼女は50代半ばだけどぼくにはお婆さんに見えた。

行くあてがないミサちゃんは30代半ばで親戚んちに転がり込み、
それからずっとこの家で働き、この家で亡くなった。
親戚んちの大きな墓所の隅にミサちゃんの小さな墓石がある。
よくもわるくもこれがミサちゃんの人生の結末なのだ。

あの頃にしては前衛的な中二階がある小さなCLUBの経営を
任され、ママをしていたのは親戚んちの次女の楓さん。
ミサちゃんは店の裏にある小さな古い一軒家に住んでいた。

CLUBで注文されたオードブル、フルーツ、ツマミなどは
ミサちゃんが調理し、使いっぱしりのぼくが店に届ける。
通用口から営業中の店の中に入れるのはこのときだけ。

一階のカウンターから二階を見るとミラーボールが煌めく
フロアでジルバやチャチャを踊る若い女の子と客がいる。
それがたまにチークだったりして、ぼくもいつかはと思った。

ミサちゃんは家事万端はもとより料理と手芸が得意だった。
その頃やんちゃなぼくはミサちゃんに編み物を教わるハメに
なった。これは母屋にいる仮りの母の差し金だと思うが、
いまとなっては知る由もない。

好奇心いっぱいに尻が落ち着かないぼくへのお仕置きかも、
2本の長い編み針と使い古しの毛糸を渡された。
使い古しといっても敷地内の寮に住む年増から若い娘まで
女の子たちが提供してくれたもの。

この毛糸はあの娘が来ていたセーターか、
もしや年増の毛糸のパンツじゃあるまいな・・・
なんて想像力をふくらませて編み針を手に持った。
そのまま編めばマフラーになるからね、
ミサちゃんに教わった編み方はいまでも憶えている。


今日はYOKOSOビルがよく見える
風がない
どこからかチリンチリンの音が
風がないのに風琴みたいな音がして。

コスモスが咲く土手に座っている
用水路で子供が泥鰌やタニシをとっている
メダカは小川と田んぼを行き来する
嗚呼コンクリートがない用水路。

山の家から持ってきた古い本
古い写真が栞みたいにはさまっていた
おかげでたくさんよみがえった。





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