イサーン見聞記 東北タイ 断想
木村滋世 (日タイ教育交流協会)
タイの人々、ラオスの人々は東北タイのこ とを 「イサーン」とか「イーサーン」といい ます。 これは古代インドのイサナという 「東北」 の意味をあらわす語からきているそ うです。
タイの人々、ラオスの人々は東北タイのこ とを 「イサーン」とか「イーサーン」といい ます。 これは古代インドのイサナという 「東北」 の意味をあらわす語からきているそ うです。
タイ国は地理的に、行政的に、あるいは歴 史的、文化的に四つの地域に区分されていま す。 チャオプラヤー川を中心とする平野を中 部タイ、マレー半島部分の南部タイ、古都チェンマイを中心とする北部タイ、それにラオ スとはメコン川をはさんで対峙する「イサー ン」 いわゆる東北タイ、の合計四つの地域で す。 日本における北海道、東北、関東、とい った区分とは意味合いが少々異なっています。
それぞれが長い歴史の経過の中で、民 伝売、さらには宗教においても異なった 推移を持っており、近代、現代国家のタイ政 治家たちが、産業、行政を中心に水平・統合 化しようと努力しているにもかかわらずそれ その独自性は今なお根強く残っているようです。 特に、私がこれから述べようとする 「イサーン」はその独自性という点では頂点 にある地域ではないかと思います。
首都に住む人々が「イサーン」と聞く時、どんなイメージを頭に浮かべるのか私にはよ くわかりませんが、一種特別の意味合いを持 っているように感じられます。このことは北 部の人たち、南部の人たちもそれぞれニュア ンスが違ったとしても同じような感じを持っ ていると思われます。
それはまた「イサーン」に住んでいる人た ちにもいえるようです。 彼らの話す時の語気 の中にもなにか他の方とは違った文化を 形成しているんだといわんばかりの堂々たる誇りがほとばしっていることも確かです。
私がこのイサーンについて確実な知識とし て知っていることはほとんどありません。 で すから、これから書き進んでいく中でのイサ ーンは多くは研究書、史料などからの引用で やっていくよりしかたがありません。 その中今回の私の見聞をもり込んでいき いと思っています。
正直なところ、なんともタイに旅してい て「イサーンにも一度は行っておかんと話の にもならん」 と思ったのが、イサーンへの旅 立ちの直接の動機であります。 私自身最初の 頃はタイといえばチャオプラヤー平野の稲作 くらいしか頭に浮かんでこなかったのです が、タイにかかわっているうちにいろんな機会にふっとイサーンが無視できない形で登場 してくるのです。 そうしたことをこまごまと 触れることはできませんが、そうした断片か らくる想念が私をしてイサーンに旅立たせた 間接的動機であると思います。
「ここはコンケーン、 私はあなたが帰って くるのを待っている・・・・・」 私が長居させても らっている中部タイの若奥さんソングシーか 美しくも哀感をこめてうたってくれたイサー ンのバラード。なんともいえない麗しく哀し い調べでした。 コンケーンとはイサーン を一つの州とすれば、その州都です。 この歌 で嘆きこの女性に会ってみたいものだ、なんて秘 かにコンケーンを想ったことでした。
もっとリアリステックに私の脳裏に刻み まれたのは、京都でみた 「クルー・パン・ノーク」(田舎の先生)という映画からなのです。
もっとリアリステックに私の脳裏に刻み まれたのは、京都でみた 「クルー・パン・ノーク」(田舎の先生)という映画からなのです。
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