にゃんこと黒ラブ

猫達と黒ラブラドール、チワックスとの生活、ラーメン探索、日常について語ります

八村塁いよいよNBAか

2019-07-05 16:37:00 | 日常
 
学生時代、バスケットボールに明け暮れた。
全国に出るようなチームではなかったが
県大会ベスト16くらいの力はあった。
大学でも何を血迷ったか
競技としての部活でバスケ🏀に関わった。
 
日本で衛星放送が始まりNBAのゲームが
観れるようになったのが80年代後半。
1990年にパラボナアンテナとチューナー
手に入れてNBAを見始めたものだ。
 
ちょうどシカゴブルズが因縁の相手ピストンズ
をカンファレンス決勝でスイープして
ファイナルがマジックジョンソン率いるレイカーズ
と対戦、感動的なブルズ初優勝だった。
私も例にもれなくマイケルジョーダンに
魅了され興奮した一人だった。
 
それから10年くらいはNBAマニアに負けない
くらいよくゲーム観て情報通でもあった。
今ではもう知られていないのだがジョーダンが
最後にプレイした球団がワシントンウィザーズ。
彼の引退とともにNBAからも離れた。
しかし、この10年くらいは昔ほどではないが
たまにNBAをPCで観たりダイジェスト版の
ニュース動画で見たりする。
 
数年前まで日本バスケット界には絶望していた。
1994年サッカーのJリーグが発足した前後
バスケもプロ化の話は出ていた。
サッカーもバスケもその当時は
世界からはもちろん、アジアからも置いて
いかれていてアマチュアレベルのチーム状況。
 
サッカーは今や世界の有名クラブチームに
何十人もの選手たちが所属し活躍してる。
サッカーに遅れること30年近く
やっと一応のプロ化、Bリーグが始まり
いい選手も育ってきた。
 
 
そんな中で、八村塁が凄いことをやってくれた。
だいたいアメリカの全米大学バスケ1部の世界で
ベンチにエントリーされるだけで凄い事なのに
強豪チームのスタメンで中心選手として
とてつもない活躍と結果(数字)を出して
しまった。
 
 
八村が明成高校時代の一年のときの写真。
彼はこの明成高校でウィンターカップ3連覇
を果たす原動力となった。
日本生まれの日本育ちだったことや
お父さんがアフリカのベナン人
お母さんは日本人のハーフで
英語は全く話せなかったので
アメリカ留学は大丈夫かと周囲からみられていた。
 
 
いろいろな困難を乗り越えて
凄いスタートラインに立った。
すでにウィザーズの練習に参加して
夏のNBAサマーリーグに参加するみたいだ。
NBAの若手の登竜門だから頑張ってほしい。
ゴンザガ大の3年間でシュート力やディフェンス力
リバウンド力など凄まじくスキルアップ
してるので必ずや通用する部分があると思う。
 
 
 
今年の夏の終わり9月から中国で
バスケの世界選手権がある。
日本はアジア予選を大逆転の末
切符をものにした。
二次予選リーグで4連敗から
世界ランク9位のオーストラリアに
この試合から参加した八村と渡邊(NBAグリズリーズ)
、帰化したばかりのファジーカスの3人で
チームはまるで異なる強いチームに変貌した。
 
もうそれはミラクルみたいな展開で
際どい接戦をものにして
残り5ゲームを圧勝してのいい勝ち方だった。
この3人のコンディション良ければ
今の全日本はアジア1位のレベルまで到達しつつある。
 
八村のNBA挑戦の前に
2ヶ月後の世界選手権に注目してほしい。
奇しくもその予選リーグでアメリカNBA軍団と
同組になるとは。
八村は凄い洗礼を浴びると思うが
どこまで強いプレイを見せてくれるか
楽しみである。