前回の続き、
現代思想の内田樹は、努力するのは「自分のため」ではなく「他の人のため」の時であるとし、プロ野球の王貞治は、「他の人のため」よりも「自分のため」のほうが努力につながると述べた。
一見正反対だが、どちらも正鵠(せいこく)を得ている感じもする。努力を継続的に駆動する上でどちらが正しいのか、どちらも正しいのか、手がかりとして、心理学でいう『アンダーマイニング効果』が想起される。
『undermine』は、ここでは「‥‥を徐々に衰えさせる。知らぬ間に弱らせる」の意味。意識の内発的動機づけによって行われた行為に対して、報酬などの外発的動機づけを行うことによって、動機づけが低減する現象を「アンダーマイニング効果」と言う。
よく聞く例は、無償のボランティア活動をしている人に僅かながら報酬を渡したところ、かえって作業効率が下がってしまった、という例である。
ボランティアの動機は、自分の意志から出発するので内発的、報酬による動機は、他者からもたらされるので外発的ということになる。内発的な動機によって生じたモチベーションが、外発的な動機づけによって、無意識のうちに損なわれる現象である。
勉強に応用すれば、親が子どもに「○点取ったら○○買ってあげるよ」などと条件を出すのは逆効果ということになる。買ってもらう動機によってしか勉強しなくなってしまう。内発的な勉強する楽しさを見つけられなくなってしまうということ。
内田の言う「自分のため」は「報奨」目的だから外発的動機づけであり、「他の人のため」は無償の行為だから内発的な動機づけといえそうである。つまり、「アンダーマイニング効果」の仕組みが成り立つ。
が、王貞治の言う「自分のため」には、報酬を求める気配がない。外発的な目的意識ではないようなのである。
サッカーJリーグで元全日本代表の宇佐美貴史(ガンバ大阪)が、TBS情熱大陸で、自分を振り返って「サッカーを楽しむことしかしてこなかったんで、努力はしたことがないですし、練習が終わって家に帰って自主練ができるのも、楽しいからやれるだけで努力じゃないんですよ」と話していた。一流の選手が最も充実して努力する精神状態は、そういうもののようである。
イチローは、それを言語化している。
(Number第836号「小久保を赤面させた2冠王の『覚悟』)
小久保は、野球の現役時代は走攻守の揃った名選手だった。ダイエーホークス時代の1995年には、パリーグのホームラン王を獲得した。
名実ともにホークスの4番となった3年目の"96年、小久保はまた長いスランプに陥る。打率も本塁打も伸びない中、オールスターゲームでイチローに再会すると、つい本音を漏らしてしまった。
「去年ホームラン王を取れてしまったやろ。おかげで次の目標がはっきりしないのよ」
「数字を残すためにやってるんですか。ぼくは野球を通じて、『胸の奥にある石を磨き上げたい』、数字だけ残っても意味がないと思う」
小久保は穴があったら入りたいほどの気分だった。あのイチローの一言があったからこそ自分は成長できたのだと今でも思っている。
さあ、長々とたくさんのことを書いた。
内田の言う「他の人のため」と王の言う「自分のため」の深い意味と意味の差異は何となく判明してきたでしょうか。
今度vol.3でまとめをしようと思う。
『胸の奥にある石を磨き上げたい』か‥‥20代前半の若さですご過ぎないか。この延長線上にメジャーリーグでの大金字塔があるのか‥‥究極の内発的動機ではないか。