JR総武本線(千葉県佐倉市)
こんにちは。
嫌気がさしています。
自分の優しさにです。
よく人から、
「優しい人だ」、
「話をよく聞いてくれる」、
「人の気持ちを理解してくれる」、
こう言ってもらうわけですが、
その理由はなんなのか、突き詰めて考えたら嫌になりました。
人に良く思われたいから、ではありません。
人に優しくすることを大切にしすぎているから、でもありません。
結局それはなんなのか。
「優しさ」が「甘さ」に変質してしまっているからです。
自分に対して甘いから、
人に対しても甘いのです。
それを「優しさ」として捉えられてしまうことに、
違和感を感じているわけです。
もちろん、人に優しく出来るのなら優しくしていたい。
優しさと受け取ってもらえて、
それを嬉しく思ってくれている人がいるのなら私も嬉しい。
でも、それは「甘さ」ではないのか?と問われて、
即座に否定できないのであれば、
やはり自分に疑問や猜疑心を持ってしまうわけです。
「優しさ」と「甘さ」。
抽象的なものだけに、
線引きが非常に曖昧で、
難しいものです。
だからこそ、いつもその線引きにはこだわっていたいと思うのです。
もっと自分を磨かなきゃです。
こんにちは。
嫌気がさしています。
自分の優しさにです。
よく人から、
「優しい人だ」、
「話をよく聞いてくれる」、
「人の気持ちを理解してくれる」、
こう言ってもらうわけですが、
その理由はなんなのか、突き詰めて考えたら嫌になりました。
人に良く思われたいから、ではありません。
人に優しくすることを大切にしすぎているから、でもありません。
結局それはなんなのか。
「優しさ」が「甘さ」に変質してしまっているからです。
自分に対して甘いから、
人に対しても甘いのです。
それを「優しさ」として捉えられてしまうことに、
違和感を感じているわけです。
もちろん、人に優しく出来るのなら優しくしていたい。
優しさと受け取ってもらえて、
それを嬉しく思ってくれている人がいるのなら私も嬉しい。
でも、それは「甘さ」ではないのか?と問われて、
即座に否定できないのであれば、
やはり自分に疑問や猜疑心を持ってしまうわけです。
「優しさ」と「甘さ」。
抽象的なものだけに、
線引きが非常に曖昧で、
難しいものです。
だからこそ、いつもその線引きにはこだわっていたいと思うのです。
もっと自分を磨かなきゃです。