こんにちは。
今日もありがとうございます。
「縁結びの神社」として知られる東京大神宮。
私はここに強い思い入れがあります。
1年前。
私はある人間関係で大失敗をして、
苦しい思いをしていました。
いや、自分が苦しいだけならまだ楽ですが、
人を苦しめてしまい、どれだけ傷つけてしまったのだろうと思うと、
その傷の深さなど知る術もなく、
夜も眠れませんでした。
そしてまた、どう責任を取ればよいのかもわからず、
しかも人を苦しめた分際なのに、
少しでも自分を嫌わないでほしいという余計な欲を持ったこともあって、
いろいろ動き回った末に、余計に苦しい思いをさせてしまっていたのです。
悪気がなかったとかは関係ありません。
悪気がなくても、たとえよかれと思っていたにしても、
結果的に相手を苦しめてしまえばそれはやった方が悪い。
それに加えて、
・20年以上生きていながら、人間関係の基本がわかっていない
・過去、似たような過ちを犯していながらまたやってしまった
・ご縁を大切にしようという気持ちがなかった
他にもたくさんありますが、
こうした有象無象の思いを、
どうしたら前向きに転換できるかと考え、
そして去年の今日、ここ東京大神宮がご縁の神社ということで、
参拝し始めたというわけです。
それで少しでも心が空くのなら、というより、
そうでもしなければ苦しさに押し潰されそうだったからです。
それだけに私は、少なくとも自分の力が及ぶ限りは、
「人を大切にしよう」
「人を幸せにしよう」
「そしてそのやり方を考えよう」
こういうことに強いこだわりを持って、人と接することにしているんですね。
だからこそ、
・人を平気で傷つける人
・人に迷惑をかけても、そこから学ぼうとできない人
・人間関係やご縁を大切にできない人
・相手の気持ちを考えられない人
こんな人には厳しくなってしまいます。
価値観の押し付けはいけないとは言えど、
与えられた環境、ご縁、人間関係に不必要な傷を付けることは、
人を苦しめた身としてはどうしても我慢ならないんですね。
できるなら私を知る人はみんな、当時のことは私を怨んでおしまいにして欲しいなと思います。
そしてまた、当時の教訓を、これから私が生きる上で最大限に糧にしていきたいな、
こんな思いでもいます。
こういう経緯もあって、
これからも参拝し続けていくことに変わりはありません。
「ご縁を大切にしたいです」と言うのは簡単です。
しかし、言葉ではなく、
実際にどうしていくか考えて行動するようにしなければ、
全ては嘘になってしまいます。
その一歩が参拝だと思っているのです。