総合レクリエーション公園の藤(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
自分の至らなさに情けなくなることは、
誰にでもあります。
そればかりか、自分の圧倒的な至らなさを前に、
自分をダメな奴としか思えなくなってしまうことも、
長い人生、意外と多くあるものです。
しかし、自分のことを悪く思うだけならよいのですが、
「自分はダメだ」
「私は人に悪い影響しか与えられない」
こう思っていると、実際の行動も、自己概念とイコールとなるべく、
悪く悪くなっていきます。
言葉を選べる場面で自分の評価が下がるようなものをあえて選んでしまう。
格好や服装が無頓着なっていく。
どんどん捨て鉢になっていく。
そして、こう言うのです。
「私はダメな奴だからこんな悪い結果を招くしかないんだ」。
…本当にそうなのでしょうか!?
☆ ☆ ☆
私はいろいろな意味で、「自分はダメだ」と言うことを支持したいと思うのです。
自己批判ができないというのは重大な欠陥です。
逆に言えば、「自分をダメだ」と言えるということは人間として正常だし、
だからこそ反省し、成長ができるわけです。
ただし、問題がひとつ。
しかし、「自分はダメだ」とばかり言い続けるのは、その自己批判という行為そのものを否定することにもなります。
その折り合いがついている人だけは「自分はダメだ」と言い続ければよいのだと思います。
☆ ☆
…というよりも。
ゴチャゴチャとわかりにくい話をしておいてすいませんが、
そんな複雑なことを理解しながら生きていくなんて、
狂気の沙汰なのです。
現実には「自分はダメだ」という人はその気持ちが心の大部分を占めていて、
苦しみと虚しさ、無価値感でギリギリ一杯のはずです。
そしてまた、それが悪循環を生むから苦しいわけです。
私が思うに、そんな状態に追い込まれた人に難しい話は要らないし、
むしろ簡単な考えこそ、そんな精一杯な人を救うのだと思います。
そこで、よい循環を呼び込むためにも、
ほんの少しだけ自己概念を加えてみては、と私は思うのです。
具体的にはこうです。
「私はダメな奴だ」のあとに、
「でも、〇〇がしたい人間だ」
「でも、私は〇〇でありたい人間だ」
という見方を付け加えてみるのです。
「自分はダメだ」でなく、
「でも、〇〇に向かいたい」と思っていれば、
周りに悪影響を与えてしまう選択がグッと減ります。
悪い結果が出れば落ち込む。
なんらかの悪いことをすれば責任を取る。
当然のことです。
しかし、そのままにしないことも、
責任を取る内のひとつです。
自分を責めても構わない。
ないものねだりは出来ないからダメな奴はダメな奴かもしれない。
しかし、どんなに「ダメな奴」でも、
そこから前を向くことくらいは出来ます。
自分のためにも、誰かのためにも。
よりよい影響を与えることもできる自分になっていきたいものですよね。
こんにちは。
今日もありがとうございます。
自分の至らなさに情けなくなることは、
誰にでもあります。
そればかりか、自分の圧倒的な至らなさを前に、
自分をダメな奴としか思えなくなってしまうことも、
長い人生、意外と多くあるものです。
しかし、自分のことを悪く思うだけならよいのですが、
「自分はダメだ」
「私は人に悪い影響しか与えられない」
こう思っていると、実際の行動も、自己概念とイコールとなるべく、
悪く悪くなっていきます。
言葉を選べる場面で自分の評価が下がるようなものをあえて選んでしまう。
格好や服装が無頓着なっていく。
どんどん捨て鉢になっていく。
そして、こう言うのです。
「私はダメな奴だからこんな悪い結果を招くしかないんだ」。
…本当にそうなのでしょうか!?
☆ ☆ ☆
私はいろいろな意味で、「自分はダメだ」と言うことを支持したいと思うのです。
自己批判ができないというのは重大な欠陥です。
逆に言えば、「自分をダメだ」と言えるということは人間として正常だし、
だからこそ反省し、成長ができるわけです。
ただし、問題がひとつ。
しかし、「自分はダメだ」とばかり言い続けるのは、その自己批判という行為そのものを否定することにもなります。
その折り合いがついている人だけは「自分はダメだ」と言い続ければよいのだと思います。
☆ ☆
…というよりも。
ゴチャゴチャとわかりにくい話をしておいてすいませんが、
そんな複雑なことを理解しながら生きていくなんて、
狂気の沙汰なのです。
現実には「自分はダメだ」という人はその気持ちが心の大部分を占めていて、
苦しみと虚しさ、無価値感でギリギリ一杯のはずです。
そしてまた、それが悪循環を生むから苦しいわけです。
私が思うに、そんな状態に追い込まれた人に難しい話は要らないし、
むしろ簡単な考えこそ、そんな精一杯な人を救うのだと思います。
そこで、よい循環を呼び込むためにも、
ほんの少しだけ自己概念を加えてみては、と私は思うのです。
具体的にはこうです。
「私はダメな奴だ」のあとに、
「でも、〇〇がしたい人間だ」
「でも、私は〇〇でありたい人間だ」
という見方を付け加えてみるのです。
「自分はダメだ」でなく、
「でも、〇〇に向かいたい」と思っていれば、
周りに悪影響を与えてしまう選択がグッと減ります。
悪い結果が出れば落ち込む。
なんらかの悪いことをすれば責任を取る。
当然のことです。
しかし、そのままにしないことも、
責任を取る内のひとつです。
自分を責めても構わない。
ないものねだりは出来ないからダメな奴はダメな奴かもしれない。
しかし、どんなに「ダメな奴」でも、
そこから前を向くことくらいは出来ます。
自分のためにも、誰かのためにも。
よりよい影響を与えることもできる自分になっていきたいものですよね。