葛西臨海公園の新緑(東京都江戸川区)
こんにちは。
今日もありがとうございます。
世の中には崇高な理想を持った人がいるものです。
「困っている人を助けたい」という人もその一つです。
しかし。
その理想そのものが、
人を不幸に導いてしまう場合があります。
どうしてでしょう!?
☆ ☆ ☆
「困っている人を助けること」が生き甲斐であるならば、
逆に言えば困っている人がいなければ生き甲斐を失ったも同然になってしまうことにも繋がります。
そうなれば、方向は明らかです。
痛くもないお腹を探るように、
なんでもない人、ひいては幸せな人まで「困った人」に仕立て上げようということになるわけです。
そしてまた、善意には変わりないということで、
なんでもない人も一生懸命に問題を探してしまうようになり、
自らのほんの小さな不幸を針小棒大に嘆くはめになるのです。
☆ ☆
人のために自分を捧げるのは尊い行為ですが、
このように、自分の善意それ自体が必ずしも相手の幸せではなく、不幸を拡大してしまう場合がままあることは事実です。
「困っている」にせよなんにせよ、
人の不幸に照準を当てないこと。
困っていようが幸せであろうが、
「もっと幸せにしよう」というような理念を持つ、
つまり、相手の幸せに照準を当てることが、
善意を本当の意味での善意として使う方法と言えるのではないでしょうか。