大寒桜(東京都江東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「使命感ややり甲斐があるから、辛そうなことも平気です」
「プロだからこの位は当たり前です」
「心の底から好きでやっているのでへっちゃらです」
いわゆるこういった「崇高な理念」とか「素晴らしい気持ち」を持って事に当たっている人を見ると、
自分の動機の幼さやみすぼらしさに、情けなくなってしまうことがあります。
そしてまた、「自分にはそんなこと、なかなか出来ないし踏み出せない」と、
劣等感を持ったり、尻込みしてしまいがちです。
「凄い人」を咄嗟(とっさ)に見たら、誰だってビックリして、
自分の小ささに嫌気がさすのは、本当はごく自然なこと。
ただし、冷静に考えてみると、「凄い意志を持っている、真似できないような技術を持っている人は、最初から凄い人だったのだろうか!?」という疑問が出てきてもよいハズです。
「世のため人のため」と言いますが、
そこは人間、どんなことに対しても成熟した見識を持って、真面目な動機で始めるとは限りません。
逆に言えば、
「カッコをつけるため」
「見栄やお金のため」
「好きな人を魅きつけるため」
こんな理由から厳しいものに取り掛かる人だって、大勢いるのです。
そして、やっているうちに、本質的なおもしろさがわかるようになって、
結果的に「凄腕」と呼ばれるに至る場合もあるのです。
逆に、真面目さ一本槍でいると考え詰めすぎて、
元々の動機やおもしろさを見失ってしまうこともあるのです。
つまり、なにか始める時の「導入部分」はどうだってよいということです。
さらに言えば、動機は多いほどよい。
不純なものと純粋なもの、両方あれば行き詰まりにくいからです。
たとえば食事制限を成功させたい場合、
「健康になりたいから」というだけでは、たまに例外を作りたくなってしまう。
そこで、「シェイプアップをして、多くの人からちやほやされたい」などとという動機もあれば、
踏ん張りが利きやすくもなるというものですよね。
ただし、一つだけ注意したいことがあります。
それは、人を利用しないこと。
「「自分はなんて優しいんだろうと自分に酔いしれたいがためだけに、人に親切をする」という場合、
自分の都合だけで相手を振り回すことになりかねないからです。
多少なりとも偽善は必要なものかもしれませんが、
不純な動機だけで人が絡むことをすると、自分の都合を優先するあまり、気持ちを押し付けることになるからです。
ためらわずに始める。
より長く続けたくなったら、たまに不純な動機で事に当たってみる。
たまにであれば、こんな不真面目な思考をすることで、
開ける道があるのかもしれません。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「使命感ややり甲斐があるから、辛そうなことも平気です」
「プロだからこの位は当たり前です」
「心の底から好きでやっているのでへっちゃらです」
いわゆるこういった「崇高な理念」とか「素晴らしい気持ち」を持って事に当たっている人を見ると、
自分の動機の幼さやみすぼらしさに、情けなくなってしまうことがあります。
そしてまた、「自分にはそんなこと、なかなか出来ないし踏み出せない」と、
劣等感を持ったり、尻込みしてしまいがちです。
「凄い人」を咄嗟(とっさ)に見たら、誰だってビックリして、
自分の小ささに嫌気がさすのは、本当はごく自然なこと。
ただし、冷静に考えてみると、「凄い意志を持っている、真似できないような技術を持っている人は、最初から凄い人だったのだろうか!?」という疑問が出てきてもよいハズです。
「世のため人のため」と言いますが、
そこは人間、どんなことに対しても成熟した見識を持って、真面目な動機で始めるとは限りません。
逆に言えば、
「カッコをつけるため」
「見栄やお金のため」
「好きな人を魅きつけるため」
こんな理由から厳しいものに取り掛かる人だって、大勢いるのです。
そして、やっているうちに、本質的なおもしろさがわかるようになって、
結果的に「凄腕」と呼ばれるに至る場合もあるのです。
逆に、真面目さ一本槍でいると考え詰めすぎて、
元々の動機やおもしろさを見失ってしまうこともあるのです。
つまり、なにか始める時の「導入部分」はどうだってよいということです。
さらに言えば、動機は多いほどよい。
不純なものと純粋なもの、両方あれば行き詰まりにくいからです。
たとえば食事制限を成功させたい場合、
「健康になりたいから」というだけでは、たまに例外を作りたくなってしまう。
そこで、「シェイプアップをして、多くの人からちやほやされたい」などとという動機もあれば、
踏ん張りが利きやすくもなるというものですよね。
ただし、一つだけ注意したいことがあります。
それは、人を利用しないこと。
「「自分はなんて優しいんだろうと自分に酔いしれたいがためだけに、人に親切をする」という場合、
自分の都合だけで相手を振り回すことになりかねないからです。
多少なりとも偽善は必要なものかもしれませんが、
不純な動機だけで人が絡むことをすると、自分の都合を優先するあまり、気持ちを押し付けることになるからです。
ためらわずに始める。
より長く続けたくなったら、たまに不純な動機で事に当たってみる。
たまにであれば、こんな不真面目な思考をすることで、
開ける道があるのかもしれません。