井の頭公園(東京都武蔵野市)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
ブランド物が好きな人がいたとしましょう。
誰と会うにも、どこへ出掛けるにも、必ず全身をブランド物で固める。
別に好きでやっているのなら良いのですが、
「ブランド物がないと自分の意見に説得力がなくなってしまう」とか、
「自分のコミュニケーション力では意思を伝える自信がない」というの場合、
ブランド物はかえって厄介というか、自分を傷つける物になってしまいかねないんです。
世の中、よく人物を見ないで近づいてくる人がいるものです。
学歴があるとか特技があるとか、特別な能力を持っているとか、
こういう人に魅力を感じやすいのはまあ、事実でしょう。
しかし、世の中には同じ学歴の人もいれば、同じようなレベルの能力を持った人もいるわけです。
話はここで終わりません。
まあ、「同じような」というだけだったら話も簡単なんでしょうが、
さらに上のレベルのそれらを持っている人だって、探せばいるかもしれない。
こういった場合、もはや自分を越えたものには歯が立ちませんから、
結局、どんなに「自分のセールスポイント」に訴えても、必ず先を越されてしまうだけというわけです。
「ブランド物を身につけないと自信が持てない」という心理も、実はこれと全く一緒。
「なにかしらの武器や装備」がないと人と向き合えないというやり方で人間関係を築いていくと、
結局、誰だっていいような、自分でなくてもいいような理由でしか人が集まってこないのです。
「性格や生き方、個性が好きだから」というのではなく、
「お金や学歴、ブランド物が好きだから」などと言われて、
そんな理由で近づいてくる人と、誰が付き合いたいと思うでしょうか!?
そんな嫌なことを、わざわざすすんでやることはないのです。
「誰かに受け入れられたい」とか「自分に注目してほしい」からといって外見を固めても、
必ずしも自分の人間性そのものが認められるわけではないのです。
こんなことを言っていると、「ブランド物不要論」とか「学歴や能力は無駄なもの」などと、
勘違いして受け取る人がいます。
私が言いたいのは、ただの見てくれでなく、それを手に入れたり使ったりする時に現れる人間性やセンスこそが、
最も人に見られている部分だということなのです。
写真に感動するのではなく、写真を撮る時の姿勢や気持ちに感動する。
料理に感動するのではなく、味付けや具材選び、工夫を味わう。
卒業証書やなにかしらの身分証明書に感動するのではなく、
それを手に入れたり、そんな能力を使う様を見る。
心を見るんです。
いくら上手いもの、質が高いもの、素晴らしい能力があっても、
気持ちが通っていなければ、それはないと同じなのです。
言い換えれば、気持ちを入れてやっていること、それが生身の自分だということです。
「見てくれだけ小綺麗にすれば人は寄ってくる」なんて、大嘘です。
もちろん、人間性が練れていれば、見てくれだって人が不愉快にならないように気をつかうもの。
すなわち、見てくれだけでなく、人間性や姿勢も磨く、
こうして、本当の意味で自分を必要としてくれる人がやっと目を向けてくれるのです。
見てくれだけでっちあげても、安心はありません。
結局、最後は生身の自分が見られるのです。