千鳥ケ淵緑道(東京都千代田区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
若者と年配者が、口喧嘩をしています。
「だいたいなんだ、近頃の若者はごめんなさいの一言も言えないのか!」
「なんだ偉そうに、歳が上ってだけで威張りくさってる態度、どうにかならないんですか?」
「うるさい、悪いことをしたんだから、素直に謝ればいいじゃないか!」
「「悪いこと」って、ちょっと言葉づかいを間違えただけのことでしょう」
「それがいかんのだ、だいたい近頃の若者は…」
「だから、年上が絶対正しいみたいなを押し付け、やめてほしいんですが…」
……。
はい、口喧嘩はここまで。
皆さんなら、この二人をどう仲裁しますか!?
まあ、わざと同じような言葉を入れてみたのでわかりやすいと思うのですが、
「近頃の〇〇は…」と、あたかもその「〇〇」に分類される人はみんな同じような考え方をしていると決めつけているばかりか、
そうすることによって、相手を必要以上に悪く見たり、問題をこじらせているのが、おかしい点ですね。
なんでもそうですが、怒りのはけ口というか、スケープゴートを作るには、
ある分類の悪いとこ取りをすればよいだけです。
つまり、最低ラインを取っていけば、おのずから「はけ口に打ってつけの人物像」ができるというわけなんですね。
ちょっと気に入らないことがあれば、「近頃の〇〇は」とか「だいたい〇〇というのは…」とあげつらっていれば、
とりあえずもっともらしく聞こえてしまうのです。
…とはいえ、余程の無作為で選んだものでない限り、
集団があるからに、一定の傾向があるのもまた、事実ではあります。
ということは「どんな集団にも良い面も悪い面もある」というのが、公平な見方なのではないでしょうか!?
本当は誰だって、周りにいる人が良い人であって欲しいハズです。
そしてまた、わかり合おうと努力したり、優しくしようと一生懸命になっている人がほとんどだと思います。
しかし、現実はたまに裏切ります。
「よい面を見ていきたい」と思っても、その思いが通じないこともある。
そんな「裏切り」が重なれば、悪く映った面をその集団全ての傾向としてとらえれば、
適応もしやすくなるというもの。
それで楽になるなら、一つの考え方だと思います。
しかし、不満ばかり抱えていても、始まりません。
一人ひとりにいちいち心を砕いていては身が持ちませんが、
誠実にぶつかるに値する相手と接する時くらいは、
なるべく「集団の傾向」よりも「個人の傾向」で考えたいものです。
どうがんばっても集団は集団、個人は個人です。
集団を把握しても、全てを知ったこと、わかったことにはならないのです。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
若者と年配者が、口喧嘩をしています。
「だいたいなんだ、近頃の若者はごめんなさいの一言も言えないのか!」
「なんだ偉そうに、歳が上ってだけで威張りくさってる態度、どうにかならないんですか?」
「うるさい、悪いことをしたんだから、素直に謝ればいいじゃないか!」
「「悪いこと」って、ちょっと言葉づかいを間違えただけのことでしょう」
「それがいかんのだ、だいたい近頃の若者は…」
「だから、年上が絶対正しいみたいなを押し付け、やめてほしいんですが…」
……。
はい、口喧嘩はここまで。
皆さんなら、この二人をどう仲裁しますか!?
まあ、わざと同じような言葉を入れてみたのでわかりやすいと思うのですが、
「近頃の〇〇は…」と、あたかもその「〇〇」に分類される人はみんな同じような考え方をしていると決めつけているばかりか、
そうすることによって、相手を必要以上に悪く見たり、問題をこじらせているのが、おかしい点ですね。
なんでもそうですが、怒りのはけ口というか、スケープゴートを作るには、
ある分類の悪いとこ取りをすればよいだけです。
つまり、最低ラインを取っていけば、おのずから「はけ口に打ってつけの人物像」ができるというわけなんですね。
ちょっと気に入らないことがあれば、「近頃の〇〇は」とか「だいたい〇〇というのは…」とあげつらっていれば、
とりあえずもっともらしく聞こえてしまうのです。
…とはいえ、余程の無作為で選んだものでない限り、
集団があるからに、一定の傾向があるのもまた、事実ではあります。
ということは「どんな集団にも良い面も悪い面もある」というのが、公平な見方なのではないでしょうか!?
本当は誰だって、周りにいる人が良い人であって欲しいハズです。
そしてまた、わかり合おうと努力したり、優しくしようと一生懸命になっている人がほとんどだと思います。
しかし、現実はたまに裏切ります。
「よい面を見ていきたい」と思っても、その思いが通じないこともある。
そんな「裏切り」が重なれば、悪く映った面をその集団全ての傾向としてとらえれば、
適応もしやすくなるというもの。
それで楽になるなら、一つの考え方だと思います。
しかし、不満ばかり抱えていても、始まりません。
一人ひとりにいちいち心を砕いていては身が持ちませんが、
誠実にぶつかるに値する相手と接する時くらいは、
なるべく「集団の傾向」よりも「個人の傾向」で考えたいものです。
どうがんばっても集団は集団、個人は個人です。
集団を把握しても、全てを知ったこと、わかったことにはならないのです。