線路際の菜の花と桜(東京都中野区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「無駄をなくそう!」という言葉は、魅力的に聞こえるものです。
無駄がなければ全てのことが効率よく回る、
こんな素晴らしい話はないからです。
こういうわけで、「無駄のない〇〇」と耳に入るほど、
ある種の憧れを抱いてしまうのは、無理もないことかもしれません。
さて。
もちろん「無駄」なんてないほうがよいに決まっていますが、
「無駄がない」ことにこだわりがあるほど、、
「無駄がない状態」とは一体なんなのか、きちんと頭でわかっておく必要があります。
実は「無駄がないということとは!?」と考えること自体が、
すなわち「必要なもの」と「必要でないもの」を分ける線を引くことと同じことになるんですね。
少し話が抽象的になってしまったので、例を出しましょう。
醤油が1リットルあるとします。
これを全て1丁のお豆腐に掛けて食べようというという人がいたら、
誰だって過剰な量だと思うし、本当にやったら食べ物を粗末にするようなとんでもない話として、
おそらく誰かしらが忠告しますよね。
しかし、同じ量をレストランの仕込みで使うとか、
よく使うから買い溜めして少しずつ使っていくなら、
誰も咎めたりはしません。
この差がおわかりになったでしょうか!?
「無駄がない」というのは、つまりは使い道(使途)や目的が決まっていることを言うのだと、私は思うんですね。
もちろん人間のすることですから、多少は予備など余裕や保険は必要でしょう。
しかし、その「余裕」だとか「保険」の度が過ぎている場合、
言い換えると、抱えているものが「生きていない」ほど、
それは「無駄」と判断される可能性が高くなるわけです。
自分で使い道を把握できていたり、目的がハッキリしていれば、
必要のないむのを無駄に溜め込むこともないのです。
「欲深い人」が嫌われるのも、このためです。
なんらかの目的や向上心があって「あれもこれも」と言うなら、
すすんで応援したくなるし、むしろ清々しさや可愛げすら感じられるものです。
あるいは、「目的がある」ということで無茶をしなくなり、
幸せに成長できるという側面もあります。
しかし、無節操に「あれもこれも」と言って欲ばかりが先走る場合、
人が去っていくわ、足りないものに目が行くわで、
終いには不幸まみれになってしまいます。
「無駄がない」ということばかり考えるあまり、「無駄」という言葉ばかりが独り歩きしているようでは、
結局は本末転倒になりかねません。
「なんのために無駄をなくすのか」
「無駄があるとしたら、それを活かす方法はないか」
などと、一度振り返ってみたほうがいい。
目的さえあれば、そう簡単に「無駄」は出ないものなのですから。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「無駄をなくそう!」という言葉は、魅力的に聞こえるものです。
無駄がなければ全てのことが効率よく回る、
こんな素晴らしい話はないからです。
こういうわけで、「無駄のない〇〇」と耳に入るほど、
ある種の憧れを抱いてしまうのは、無理もないことかもしれません。
さて。
もちろん「無駄」なんてないほうがよいに決まっていますが、
「無駄がない」ことにこだわりがあるほど、、
「無駄がない状態」とは一体なんなのか、きちんと頭でわかっておく必要があります。
実は「無駄がないということとは!?」と考えること自体が、
すなわち「必要なもの」と「必要でないもの」を分ける線を引くことと同じことになるんですね。
少し話が抽象的になってしまったので、例を出しましょう。
醤油が1リットルあるとします。
これを全て1丁のお豆腐に掛けて食べようというという人がいたら、
誰だって過剰な量だと思うし、本当にやったら食べ物を粗末にするようなとんでもない話として、
おそらく誰かしらが忠告しますよね。
しかし、同じ量をレストランの仕込みで使うとか、
よく使うから買い溜めして少しずつ使っていくなら、
誰も咎めたりはしません。
この差がおわかりになったでしょうか!?
「無駄がない」というのは、つまりは使い道(使途)や目的が決まっていることを言うのだと、私は思うんですね。
もちろん人間のすることですから、多少は予備など余裕や保険は必要でしょう。
しかし、その「余裕」だとか「保険」の度が過ぎている場合、
言い換えると、抱えているものが「生きていない」ほど、
それは「無駄」と判断される可能性が高くなるわけです。
自分で使い道を把握できていたり、目的がハッキリしていれば、
必要のないむのを無駄に溜め込むこともないのです。
「欲深い人」が嫌われるのも、このためです。
なんらかの目的や向上心があって「あれもこれも」と言うなら、
すすんで応援したくなるし、むしろ清々しさや可愛げすら感じられるものです。
あるいは、「目的がある」ということで無茶をしなくなり、
幸せに成長できるという側面もあります。
しかし、無節操に「あれもこれも」と言って欲ばかりが先走る場合、
人が去っていくわ、足りないものに目が行くわで、
終いには不幸まみれになってしまいます。
「無駄がない」ということばかり考えるあまり、「無駄」という言葉ばかりが独り歩きしているようでは、
結局は本末転倒になりかねません。
「なんのために無駄をなくすのか」
「無駄があるとしたら、それを活かす方法はないか」
などと、一度振り返ってみたほうがいい。
目的さえあれば、そう簡単に「無駄」は出ないものなのですから。