ソメイヨシノ(東京都台東区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
「嘘つきは泥棒の始まり」と言います。
「最初は嘘をつく位の軽い悪事でも、悪いことに手を染めた以上、それがエスカレートすれば泥棒までしてしまう」という、
諺の中でもかなり有名なものですよね。
まあそれに違いはないのですが、
私はあまのじゃくなので、「嘘つきは泥棒の始まり」を、ちょっとだけ違う解釈でお話してみようと思います。
嘘をつくリスクって、想像以上に大きいんですね。
たとえばフランスのパリに行って、日本のことを良く知らない現地の人に、
「一昨日、アサクサのトーキョースカイツリーにのぼってきたよ」と話したとします。
しかし、スカイツリーは未完成。
未完成で、見学もしていないものを細部まで話せるハズがありません。
そこで、「嘘」とか「作り話」に登場してもらうわけです。
さて逆に、その直後に現地の人からパリのエッフェル塔について話を聞かせてもらったら、どうでしょう。
作り話を展開してしまうと、相手の言っていることも嘘に聞こえてしまうのです。
いくら本当のことを聞いても、嘘をつくほど信じられなくなってしまうわけです。
これ、紛れも無く自業自得ですよね。
同じく「嘘」に関する諺に「嘘も方便」というのがありますが、
これもさじ加減を間違えると、相手の言っていることが「方便」か「本心」かわかりにくくなってしまうのは、共通して言えることだと思うんです。
さて、嘘をついてついてつきまくったら、
結局、誰ともコミュニケーションが出来なくなってしまいます。
そうなれば、頭の中も自動的に「世の中、見栄と騙しが全てだ」などという考えになってしまう。
そうしたら、仕事らしい仕事も出来なくなってしまう。
で、最後まで「嘘つき」でいると、ついには「泥棒」しか職が残っていませんでした、と相成るわけです。
これが私の考える「嘘つきは泥棒の始まり」の解釈なんですね。
嘘や誇張、作り話の一つや二つなら、話を盛り上げたり物事を丸く収めるにはよいかもしれません。
私が言いたいのは、「嘘」は劇薬であり、用量、用法はきちんと守ることが不可欠だということ。
「嘘をつくな」と言っているわけではないのです。
「嘘」の力は強い。
しかし、「嘘」に頼らない人は、もっと強いのです。