青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

偉い人は、偉ぶらない。

2011年04月04日 23時12分33秒 | 青裸々日記。
雪柳(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「偉い人」って、いるじゃないですか。
 地位や財産、能力のある人。
 様々な経験が豊かで、人格が抜きん出ている人。
 特技や個性がハッキリしていて、なんらかの役に立っている人。
 だいたいこんなところが、「偉い人」の代表格ですよね。

 これに対して、「偉そうな人」というのもいます。
 たしかに凄いことは凄いけど、どこか厚かましかったり、高圧的だったりと、
 わざわざ壁を作って、高いところから言おうと躍起になっているわけです。


 ここで少し考えてみましょう。
 同じ位の地位があるのに、偉そうに感じる人とそうでない人がいます。
 さて、この差はどこから来るのでしょうか!?

 答えはいくつもあると思いますが、端的に言えば自分の地位に胡座(あぐら)をかいて、自分で物を言うのではなく、地位にモノを言わせているという特徴があると思うんですね。

 どんなものを持っていようが、結局はみんな、血の通った一人の人間であることに変わりはありません
 そこを忘れて、自分で意識しているかは別にして「〇〇がない人は人で無し」という気持ちがどこかにあるから、
 人様を小さく見たりしてしまうのです。
 「相手も人間なんだ」と思えることが大切なのです。
 自分も相手も同じ人間、自分がどんなに上にいようが、
 どんな相手に対しても誠実に向き合えるものです。

 もちろん、あまりにも道徳心がなかったり歪んでいるとか、未熟と思わずにはいられない人も、いるかもしれません。
 「一人の人間」として見たくないような人だっているわけだし、
 限られた時間で、いちいち相手をしていられない場合だってある。
 しかし、時間も精神的な余裕もあって、なおかつ相手が十分に誠実にしているにもかかわらず偉ぶる人がいるなら、
 結局、その「偉さ」も薄っぺらいものになってしまうだけではないでしょうか!?
 本当に偉かったら、そんな安っぽい優越感でも満たされるのでしょうか!?


 自分が人より上に出るだけのものを持っていても、
 それをよいことに偉そうにするなら、結局はその人にあやかったり尊敬する気にはなりにくい。
 偉そうな態度は、本当の意味での偉さを打ち消してしまうのです。


 偉そうな人になって、人から敬遠されるか。
 誰かしらは認めてくれないかもしれないが、人に好かれて役に立つ人でいるか。

 どちらも自由なんですよ。
 でも、見抜く人は絶対に見抜くんです。
 それが「大切な人」だったら、一体どうします!?



 だからこそ、偉ぶらない人は強いのです。

顔面体操

2011年04月04日 10時12分21秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 私は「男性も出来るなら身だしなみに気を配るべき」という立場。
 まあ、男性がすると「男は強さだ、無駄なことをするな!」とか、
 ひどい場合は「ナルシスト」とまで後ろ指を指されるわけですが、
 結局、わけのわからない表情をして人も自分も嫌な気分になる位なら、
 きちんとルックスも整えて、人も自分もよい気分になったほうが断然良いですよね。


 過去かなり取り上げてきているので詳しい記事は「ルックス向上委員会」のカテゴリーに譲りますが、
 実は人間の頭や顔にあるツボって、指がしっかりはまり込むような窪みになっていることが多いんですね。
 すごい不思議です。

 出来るだけ整えて、いつも笑顔でいたいです。

「感想」と、コメントのありがたさ。

2011年04月04日 01時14分53秒 | about this blog
雪柳(東京都渋谷区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 なんか無駄話なんですけど、どうも胸につっかえているものがあるので、
 お暇な方は聞いていただけますか??

 ☆ ☆ ☆

 「自分から言ったら負けなこと」って、あるじゃないですか。
 私は、クリエイティブなことをやっている人には、「感想下さい」という言葉は禁句だと思っているんですね。
 だって、なんらかの要求をされた時点で「自然な気持ちで出てきた感想」なんて、言えなくなる
 鑑賞してもらった人たちから「自発的に」感想が出なかったら、しょせんその作品はそんな程度のものでしかないと思うんです。
 もちろん、「手広く感想を求めて、それを改良点にしていずれは…」という考えも一つですし、
 世の中には価値観や考え方がいくつもあるので、
 「感想を求めたい」という考えは理解できますし、尊重します。


 …しかし、私には苦い経験があって、
 そこから来ているんですね。

 私は昔、寝る間も惜しんで作曲に勤しんでいた…というより、血道を挙げていた時期があったんです。
 でも、どう頑張っても、好きな曲をオマージュしたような、二番煎じみたいなものがほとんどだった。
 そこで、いろんな友達に聞いてもらってたんです。
 …でも、反応は鈍いし、痺れを切らして感想を催促しても、
 結局「何度も味あわせてもらって、それでじんわりと来るものだから、もう少し待って」というのがほとんど。
 「作曲」って簡単に言いますけど、人に聞かせられる最低限のアレンジをするためには、
 私の場合、だいたいトータルで10時間はかかるわけです。
 それも好きだったから、年に数十曲書いても苦にはならなかったし、反応が鈍かろうが楽しんでいられた。
 でも結局、自分の書いてきたものに対する反応がないことに嫌気がさして、
 つまり、人の反応を気にし過ぎるようになって、「自分が好きかどうか」よりも「誰かしらの反応」に意識を消耗するようになって、
 「好きな気持ち」という原動力がなくなってしまったことがハッキリして、作曲が苦痛になっちゃったわけです。


 …で、話を戻すと、「コメント下さい」みたいなことを言ってしまうと、
 結局は作曲と同じように、感想や反応を求めたいがあまり、読者様の顔色ばかり伺うようなことになる。
 もちろん私だって人間だから、いろんな方のブログで心を打たれる記事があっても、
 疲れていてコメントしたくても出来ない日とか、
 あるいは適当な言葉が見つからないこともあります。
 だから、人様のブログに対して「コメントやアクセスが乏しい投稿=魅力がない投稿」というわけでは、決してありません。
 でも、主観的な話をすると、「創作的なこと」ってただでさえ勝手に疑心暗鬼になる要素があるのに、
 自分からわざわざその種を蒔いて回るような真似は、したくないんです。


 だからこそ、このブログはそれなりに真面目に本気を出して書いているつもりなので、
 冷やかしではないコメントを下さる皆さんには頭が上がらないし、
 あと、何ページも何ページも、熱心に読んで下さる方のアクセスには、飛び上がるほどうれしくなるんですね。



 こういうわけで、これからもマイペースでやっていきます。
 ふう、読んで下さった皆さん、疲れたでしょ!?
 私は疲れました(笑)


 一人でも多くの人に力を与えるブログに、もっともっと育てていきたいです。
 いつも感謝しています。
 ありがとうございます。

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