青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

後ろキャイ~ンの威力!!

2011年04月19日 22時27分30秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 あまりに肩凝りが酷く、偏頭痛の原因にもなってたっぽいので、
 試しにあるストレッチをやってみました。
 「後ろキャイ~ン」です。

 これ、たしかなんかの美容関係の本に書いてあったやつをアレンジしてみたんですが、
 なんだかやってみたらちょっと楽になれて。
 私は撫で肩で、性格も体質も凝り性なので、
 たまにやってみようと思いました(←誰も聞いてない)。


 やり方は以下のとおりです。
 1.背中の後ろで、両手を組みます
 2.両手を組んだまま、手の平を背中側から回して下にグーッと下げます
 3.そのまま肩を上げ下げします
 4.凝っているほど痛く感じるものですが、無理にやると帰って血が変に通うので適当なところでやめます

 これだけです。


 くれぐれもご自愛くださいまし。

人に好かれるために。

2011年04月19日 19時07分07秒 | 青裸々日記。
小金井公園のチューリップ(東京都小金井市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 人に好かれたいとか、ともすれば異性にモテたいとかいう気持ちは、
 多かれ少なかれ誰しも持っているものです。
 人に嫌われるよりは好かれているに越したことはないし、
 わざわざ人を不愉快にする理由もありませんから、人に好かれようと努力すること自体は素敵な心掛けですし、
 応援したい気持ちにもなります。


 しかし。

 ここを勘違いする人がいて、「人に好かれるには自分の意見を押し通すか、曲げなければいけない」と思う人がいます。

 過剰なアピールや、押し付けとも言える親切。
 他人や世間の風潮に、寸分もズレてはいけないと迎合する態度。
 浮ついた言動や、自分と合わない人の趣味にケチをつける姿勢。

 端から見れば醜いこと請け合いなのに、
 「酔ってしまっている人」ほど、こういう愚に気づかなかったりします。


 私が思うに、人に好かれるための特効薬があると思うこと自体が、どこか勘違いなのではないかという気がしてならないのです。
 利己的な気持ち、つまり「好かれるために」という理由であることをやっているなら、
 好かれないことがハッキリした途端、自分がしてきた人を思う気持ちや言動を、全てバッサリ棄ててしまうのでしょうか!?
 どんな行為であれ、どんな計算をしていようと、
 最後は人の幸せを願う気持ちがあって、はじめて全ては実を結ぶんですよね。
 人の幸せとて、極端な行為が適切なものになるとは、限らないわけです。


 そもそも、わざとらしく振る舞う人は、どこで道を誤ってしまったのでしょうか!?

 …それは、利己的になるあまり「相手の評価」と「相手からの反応」は全く一緒のものという誤解を、どこかでしてしまっているということに集約されるのです。

 他人の反応を見て自分の行動を決めると、他人に左右されやすくなってしまいます。
 世の中、「ありがとう」とか「感謝しています」と言ってくれる人ばかりではありません。
 あるいは、お金を払えば、商売をやっているようなたちは「ありがとうございました」と言ってくれますが、
 逆に言えば、「代償」という考えがあまりにも行き過ぎると、
 「なにか着飾らないと誰も反応したり、目に見える形で感謝を表現してくれない」という強迫観念や不安にかられてしまうのです。
 こうして「自分は人に受け入れられていないのではないか?」と疑心暗鬼になり、
 それが極端な行為へと結び付いていくわけです。
 「人を幸せにするために」というのではなく、「親切」という形を使って、誰かを自分の幸せの道具にしてしまう、
 こんなやり方が破綻しないほうがおかしいのです。
 「人に好かれたい」と言っているような人が、その逆をやってしまうのは、あまりにももったいないと思うのです。



 こういうわけで。


 たとえ形から入っていこうと、人に好かれるためなら、あえて「人が幸せになってくれればそれでいい」とか「見返りや反応なんか、あってもなくてもいい」という気持ちを、
 1mmでも持ったほうがいい。
 そうすれば人に差し向ける言動にも無理が出ませんし、
 嫌がる人がいたり、「幸せになっていそうにない」と思っても、
 スッと手を引っ込めることができます。



 人に好かれるためには、「成果主義」という価値観からは、少し離れたほうがよいのかもしれません。

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