青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

まずは、〇〇の幸せ。

2011年04月12日 23時42分38秒 | 青裸々日記。
東京ミッドタウン(東京都港区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 いつも誰かの幸せを願っているような人を見ると、
 自分が情けなくなることがあるものです。
 人間にはエゴがあり、そうそういつも、他人のことを諸手を挙げて祝ってあげられるわけではないからです。
 そんな自分と、「人格者」とか「出来た人」に映る誰かとを比べたら、
 「自分はなんて器の小さい人間なんだろう」と落ち込んでしまうのも、
 無理のない話です。


 さて、「人間にはエゴがある」と言いました。
 立派な態度でいる誰かさんを尻目に、
 「自分も本当は誰かの幸せを願える位、器の大きい人間になりたいんだ!」と、
 悔しければ悔しいほど、こんどはエゴのない人間を目指そうとする人もいます。
 ある人は禁欲的になり、ある人は宗教を学び、ある人は…、というように、
 「エゴをなくせば立派になれる」とばかりに努力する。
 しかし大抵の場合、それは難しいのです。
 「欲」と言うと凄く悪いイメージで語られることが多いのですが、
 生きていくためにはご飯を食べなくちゃいけないし、
 働いたり眠ったり、またたまには遊んでみることも必要です。
 欲をなくしたいからといって「ご飯もいらないし働きたくもない、眠りたくない…」と言っていたら、これはちょっとおかしい。
 突き詰めれば「人の幸せを祝えるようになるために、私はなにもせず苦しんで、寿命が来るまで座って待ちます」と言っているようなものだからです。
 「やりたいことがある」のに「命を危険にさらす」なんて、どこか矛盾していますよね。


 そこまで突き詰めれば、違った考えも出てくるというもの。
 そう、長々しいお話をしてきましたが、
 結局、人間は自分が幸せじゃないと、他人の幸せを心から祝ってあげられないのです。
 自分を犠牲にするとか、自分にスポットライトが当たっていないのに人に光を当てるとか、
 端からみれば美しい姿かもしれませんが、現実問題、そんなことをずっとしていられるものでしょうか!?
 そこにどんなに愛や優しさと言われるものがあろうと、
 自分ばかり痛い思いをして、そんなアンバランスな関係で辛くならないほうがおかしいのです。
 だいたい、幸せを願ったり祝ったり、力になってあげるにしても、
 それを楽にやれるに越したことはありませんよね。


 自分が幸せでいれば、人の幸せを祝うなんてたやすいこと。
 人様のためにも、自分が幸せでいるほうがよいのです。

 不幸と幸せ、酔えるならどちらが良いか!?ということです。
 頭がこんがらがっている人は、
 もう少しシンプルに考えても良いのかもしれませんね。

ありがたいことです

2011年04月12日 18時09分29秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 どうも最近、いろいろ声をかけてくれる人が増えてうれしいです。
 「声をかける」と言うとなんだか違う意味に取る方もいそうですが、
 「道を教えてください」とか、あと最近はお花見に来ている人から「写真撮って下さい」とか。
 本当にささいなことなんです。

 私は「声を掛けずらい」とか「ものを言いずらい」って、
 結局は人を遠ざけることにしかならないと思ってるんです。
 だから、声をかけてくれたり、簡単な頼み事をしてもらうと、
 勝手に嬉しくなったりするんですね。


 最近特にそういうことが多いですが、
 私もまだまだ捨てたもんではなかったと思いました。

秋物×計算=春物

2011年04月12日 12時59分27秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日皆さん、ありがとうございます。



 最近、私服を長めのカーディガン主体にコーディネートしています。
 このカーディガン、実は晩秋に「秋物大処分市!」と銘打って、
 かなりなお値打ち価格で手に入れたものなんですね。
 もちろん昨年袖を通したのは数回だけだったんですが、
 それも実は、計算尽くのこと。


 春と秋って、気温が同じ位じゃないですか。
 だから、秋に使えなくても、
 温存しておけば春物として使えるわけです。
 半年くらいでは極端に流行が変わることもないし、
 色合いが「秋」らしく暗めでも、明るいものをどこかに取り入れれば、
 かえって華やかな印象も演出できます。


 よけるばご参考になさって下さいまし。

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