東京ミッドタウン(東京都港区)
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
いつも誰かの幸せを願っているような人を見ると、
自分が情けなくなることがあるものです。
人間にはエゴがあり、そうそういつも、他人のことを諸手を挙げて祝ってあげられるわけではないからです。
そんな自分と、「人格者」とか「出来た人」に映る誰かとを比べたら、
「自分はなんて器の小さい人間なんだろう」と落ち込んでしまうのも、
無理のない話です。
さて、「人間にはエゴがある」と言いました。
立派な態度でいる誰かさんを尻目に、
「自分も本当は誰かの幸せを願える位、器の大きい人間になりたいんだ!」と、
悔しければ悔しいほど、こんどはエゴのない人間を目指そうとする人もいます。
ある人は禁欲的になり、ある人は宗教を学び、ある人は…、というように、
「エゴをなくせば立派になれる」とばかりに努力する。
しかし大抵の場合、それは難しいのです。
「欲」と言うと凄く悪いイメージで語られることが多いのですが、
生きていくためにはご飯を食べなくちゃいけないし、
働いたり眠ったり、またたまには遊んでみることも必要です。
欲をなくしたいからといって「ご飯もいらないし働きたくもない、眠りたくない…」と言っていたら、これはちょっとおかしい。
突き詰めれば「人の幸せを祝えるようになるために、私はなにもせず苦しんで、寿命が来るまで座って待ちます」と言っているようなものだからです。
「やりたいことがある」のに「命を危険にさらす」なんて、どこか矛盾していますよね。
そこまで突き詰めれば、違った考えも出てくるというもの。
そう、長々しいお話をしてきましたが、
結局、人間は自分が幸せじゃないと、他人の幸せを心から祝ってあげられないのです。
自分を犠牲にするとか、自分にスポットライトが当たっていないのに人に光を当てるとか、
端からみれば美しい姿かもしれませんが、現実問題、そんなことをずっとしていられるものでしょうか!?
そこにどんなに愛や優しさと言われるものがあろうと、
自分ばかり痛い思いをして、そんなアンバランスな関係で辛くならないほうがおかしいのです。
だいたい、幸せを願ったり祝ったり、力になってあげるにしても、
それを楽にやれるに越したことはありませんよね。
自分が幸せでいれば、人の幸せを祝うなんてたやすいこと。
人様のためにも、自分が幸せでいるほうがよいのです。
不幸と幸せ、酔えるならどちらが良いか!?ということです。
頭がこんがらがっている人は、
もう少しシンプルに考えても良いのかもしれませんね。
こんにちは。
今日も皆さん、ありがとうございます。
いつも誰かの幸せを願っているような人を見ると、
自分が情けなくなることがあるものです。
人間にはエゴがあり、そうそういつも、他人のことを諸手を挙げて祝ってあげられるわけではないからです。
そんな自分と、「人格者」とか「出来た人」に映る誰かとを比べたら、
「自分はなんて器の小さい人間なんだろう」と落ち込んでしまうのも、
無理のない話です。
さて、「人間にはエゴがある」と言いました。
立派な態度でいる誰かさんを尻目に、
「自分も本当は誰かの幸せを願える位、器の大きい人間になりたいんだ!」と、
悔しければ悔しいほど、こんどはエゴのない人間を目指そうとする人もいます。
ある人は禁欲的になり、ある人は宗教を学び、ある人は…、というように、
「エゴをなくせば立派になれる」とばかりに努力する。
しかし大抵の場合、それは難しいのです。
「欲」と言うと凄く悪いイメージで語られることが多いのですが、
生きていくためにはご飯を食べなくちゃいけないし、
働いたり眠ったり、またたまには遊んでみることも必要です。
欲をなくしたいからといって「ご飯もいらないし働きたくもない、眠りたくない…」と言っていたら、これはちょっとおかしい。
突き詰めれば「人の幸せを祝えるようになるために、私はなにもせず苦しんで、寿命が来るまで座って待ちます」と言っているようなものだからです。
「やりたいことがある」のに「命を危険にさらす」なんて、どこか矛盾していますよね。
そこまで突き詰めれば、違った考えも出てくるというもの。
そう、長々しいお話をしてきましたが、
結局、人間は自分が幸せじゃないと、他人の幸せを心から祝ってあげられないのです。
自分を犠牲にするとか、自分にスポットライトが当たっていないのに人に光を当てるとか、
端からみれば美しい姿かもしれませんが、現実問題、そんなことをずっとしていられるものでしょうか!?
そこにどんなに愛や優しさと言われるものがあろうと、
自分ばかり痛い思いをして、そんなアンバランスな関係で辛くならないほうがおかしいのです。
だいたい、幸せを願ったり祝ったり、力になってあげるにしても、
それを楽にやれるに越したことはありませんよね。
自分が幸せでいれば、人の幸せを祝うなんてたやすいこと。
人様のためにも、自分が幸せでいるほうがよいのです。
不幸と幸せ、酔えるならどちらが良いか!?ということです。
頭がこんがらがっている人は、
もう少しシンプルに考えても良いのかもしれませんね。