青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

酢橘(すだち)の意外な魅力!

2011年10月22日 23時29分23秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 6月に「サッパリしていていいですよ!」という触れ込みでご紹介した「酢橘(すだち)」ですが、
 なんと、私の大好きな効果があるらしいんです!

 実はコレ、またもや産経新聞で知りました。
 なんだ、今日の産経新聞は私の心にヒットする記事が多い(笑)

  ☆ 以下、産経新聞より引用 ☆
  徳島県名産として知られるスダチの皮が、メタボリック症候群の患者の体重減少に効果がある-こんな研究結果を、地元徳島大の赤池雅史教授(循環器内科)のグループがまとめた。

 スダチ生産農家の大仲保さんは「果汁を搾ればいや応なく皮が残る。有効活用して、みんなに喜んでもらえたらうれしい」と期待している。

 グループは、メタボリック症候群などと判定された男女計39人のうち、19人にスダチの皮の粉末が入った錠剤、残りに皮の入っていない錠剤を、それぞれ毎日5錠、約3カ月間与えた。

 その結果、皮の入った錠剤を飲んだ19人のうち中性脂肪値が100ミリリットル当たり120ミリグラム以上だった9人の中性脂肪値が最大144ミリグラム下がり、うち8人の体重が減った。皮の入っていない錠剤を飲んだ人は全員、中性脂肪値や体重に特別な変化がなかった。

 ☆ 引用、おわり ☆


 明日はスーパーから酢橘がなくなるんでしょうか(笑)

全く同意見です!

2011年10月22日 22時59分04秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 なんかこう、すっごく共感する記事があったのでご紹介します。
 私もちょうどこんなことを思ってました。

 ☆ 以下、産経新聞より引用 ☆
 【相談】

 私は男性を信じることができません。怖いというより、嫌い。話をしてもつまらない、頼りにならない、といった感情です。

 東日本大震災の影響で不安が募り、若い男女に結婚志願者が増えているといいます。私はそれを聞き、「なぜ?」と思いました。知識を得ていけば、男性に求めなければいけないことなどそれほどないのではないかと思ってしまいました。

 昔の日本男児だらけの日本であればそうは思わないと思いますが、現代男性のように打てば崩れる人たちに何かを求めようとは思えなくなってしまいました。現在お付き合いしてくれる方がいますが、全くと言っていいほど普通のコミュニケーションを取ることを自分で制御してしまいます。 

 頼りにできない人間と結婚という形を取るのか、尼さんになることも手なのかもしれない。この状況を打開できる方法を教えてください。(静岡県 30代女性)

【回答】

 男性に対する期待値が異様に高いため、自縄自爆で苦しんでおられる。それが、文面を拝見しての第一印象です。

 男性に対して端的に興味がない人は、わざわざ「嫌い」とも感じませんし、「打てば崩れそうで頼りないからダメ」と、ことさらに否定したくもなりません。

 「自分を楽しませられるよう、会話をリードすべきだ!」「頼りがいがあって、ただ一方的に自分を守ってくれる人であるべきだ!」。そうして幼児みたいに庇護されたい欲望を持っておられるがゆえにこそ、それを満たせない現実の異性に嫌悪感を抱かれているのでしょう。

 けれども、よくよく考えてみれば、「頼りにできない人間と結婚かあ…」と迷っておられる傲慢さ以外に、いったいご自身は相手に何を差し出しているのでしょうか。

 かつての「日本男児」ですら、徹底的な男尊女卑の特権を得ることといわば交換に、女性を庇護していたのです。現代のように男女平準化した時代に、何も差し出さずに「ただ勇ましく庇護してほしいよー」と駄々をこねても、そんな人を心から愛し守ろうと思える聖人君子は、この世にいません。

 ご自身の陥っている状況を客観視するには、反対側から考えてみるのが役立つかもしれません。すなわち、「近頃の女性は、女らしいおしとやかさも、かれんさもないから好きじゃない」とスネている男性に対して、あなたはやさしく、ないしは女らしく振る舞おう、という気になるでしょうか。

 「他人の過ちを大げさに取り上げることにより、イカサマ師は自分の過ちを見えなくしてしまう」とは、『法句経』に残る釈迦の言葉です。

 「頼りがいのある男性に出会えないのは、自分の性格ゆえでは?」と、視線を180度転回してはいかがでしょうか。

■回答者・小池龍之介

 月読寺(東京都世田谷区)住職。32歳。最新刊に『3・11後の世界の心の守り方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

 ☆ 引用、おわり ☆


 どんな時も、まずは自分から、ですよね!

期待は劇薬。

2011年10月22日 21時11分47秒 | 青裸々日記。
サルビアの花(東京都武蔵野市)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 自分のことを待ってくれている人がいると、嬉しい気のひとつもするものです。
 意識はしなくても、「自分の価値」を自覚できると、人間は元気になる。
 心理学ではこの感覚を「自己重要感」といって、「生き甲斐や活力に結び付くものだから、大切にするといいですよ」と言っています。
 とにもかくにも、自分を待ってくれている人はありがたいものです。


 しかし。

 この「期待」というのは、時と場合によっては毒になる場合もあるのです。

 「未来への期待を込めて、厳しい採点にします」。
 こんな言葉、どこかで聞いたことはないでしょうか!?
 意訳をすれば「たしかにいいものだけど、満足できないからもっとがんばってね」ということになりますが、
 仮に100%、120%の努力をしたあとで「期待を込めて厳しく…」と言われたら、皆さんはどんな気持ちになるでしょうか!?

 そう、期待は期待でも、過剰な期待、本人の力を越えた期待は、
 裏を返せば「不満やプレッシャー、文句」という伝わり方しかしないのです。

 期待は適当でいいのです。
 まかり間違っても、大真面目な期待は不幸の元です。
 過剰な期待が結果として不満として伝わってしまうなら、いくら愛情があっても、大切にしたい相手の力を奪うことにもなりかねません。
 「待っている人がいる」というのであれば元気になる人がいるのは事実ですが、してはいけない期待もあることも、きちんと知っておいたほうがいいのです。
 「期待」とは「足りていない部分」がないと、なかなか出来ないものだからです

 人に向けていいのは、あくまでも「気持ちいい期待」だけです。
 人間は完璧ではありません。
 完璧でないのが当たり前なのに、「いつも満点を取ってほしい」がごとく過剰な期待ばかりされていては、つぶれてしまいます。
 せいぜい期待していいのは「努力する姿勢」そのものです。
 やる気が力を伸ばし、結果的に完璧に近づき、自分をも満たしてくれるのです。


 そしてまた、人に期待されているのは自分も同じです。
 誰からも期待されなければ自分の価値を疑いたくもなりますが、
 逆に、期待ばかりされても耐え兼ねてしまうでしょう。
 だから、まずは自分自身がどれくらい期待されていることが気持ちいいと思えるか、しっかり知っておくことです
 気持ちいいレベルがわかれば、きっと人に向ける期待も気持ちいいものになっていきます
 それに、自分が期待に応える側にいれば、人に無茶な期待をする余裕や意識も使わなくなるのです。



 期待は劇薬、ほんの少しで十分に効果が出るもので、
 普通に使っては逆効果です。
 「気持ちいい期待」を追求すること、それが人にも自分にも優しくすることではないでしょうか。

「そうそう、よくわかります」。

2011年10月22日 17時50分42秒 | 青裸々日記。
日比谷公園から(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 絶望を感じると、どこまでも止まらなくなってしまうことがあります。
 「一生、自分は報われない」と、頭がいっぱいになってしまうのです。

 例えばの話、本気で好きになった相手に失恋したとしましょう。
 そうすると、「私なんかこの先、誰からも好かれないし、誰も待っていてはくれない」という気持ちに駆られる場合があります。

 もちろん未来の全てを知ることは不可能ですから、この「一生好かれない」というのは、客観的に見れば明らかにおかしいことがわかりますよね。
 しかし、本人の頭には「世の中=好きだった人」という図式ができてしまっていますから、絶望するなというほうが無理な話です。
 しかも、仮に他の誰かが好意を持ってくれたとしても、あまり嬉しくは感じないことだってあるのです。
 さらに言えば、自分勝手すぎて、しかも自堕落の限りを尽くすようなことをしている人は、さすがに誰からも好かれはしません。
 そして、実際がどうであれ、本人そこまで酷い人と同類と思わずにはいられない位の罪悪感を抱えてしまっていることもあるのです。


 さて。

 ここまで暗い話をしてきて何を言いたいのかと言うと、「絶望感は暴走しやすい」ということです。
 もちろんこれは失恋に限ったことではなく、絶望感は様々な場面で私達を襲ってきます。
 「未来のことはわからないから、客観的に見ればおかしい」と先に書きましたが、
 絶望感が覆いかぶさってしまうと、自分を見る目が狂ってしまい、立ち直りも遅くなってしまいます。

 実はこの「自分を見る目が狂う」ということを理解すると、絶望している人への接し方がわかり、また自分が挫折した時も立ち直りが早くなるのです。
 「うつの人に「がんばって」はダメだよ」というのは通説になっていますが、絶望感も似たようなもの。
 挫折感のある時、たとえば「たまたま上手くいかなかっただけで、あなたには実力も魅力も十分にあるんですよ」と激励されると、
 「できるならやっているし、あなたの言うとおりの力があるなら失敗はしていない」と、
 かえっつ自分の挫折を意識させてしまい、本人の苦しみをさらに強くしてしまうのです。

 それなら、どうすればいいか。
 答えはひとつで、落ち込んだ相手を救うのは共感のみなのです。
 人の心を癒すものにカウンセリングというものがありますが、
 このカウンセリングの極意のひとつとして、「相手の言うことは絶対に否定してはいけない」というものがあります。
 ただただ、表に出てくる感情や表情、そして仕種を受け止めてあげる
 「表現できないこと」が心に溜まるとストレスになりますが、
 自由に表現させてあげることで、あれほど背負っていた絶望感が溶けていくのです

 その結果としてものを見る目も客観性を取り戻せるので、立ち直っていけるようになる
 そう、否定せずになんでも言わせてあげることが、本来の相手を取り戻し、立ち直りを早めるのです。


 絶望は一度で癒せるとは限りません。
 もし身の回り、あるいは自分自身が絶望感の罠にかかったら、場所と時間を選んで、自由に吐き出すことが大切です。
 心が軽くなること、心が明るくなる方法、
 そのひとつが「全てを受け止めてあげる」という態度なのです。

そらたかく

2011年10月22日 11時50分43秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。
 今日の東京は雨、かなり広い範囲で雨になりますので、どうぞご自愛下さいませ。



 さて、そういう日だからこそ、そんな雨のユウウツが晴れるような一枚を。
 天気が悪い日は悪いなりの過ごし方を、
 晴れの日は晴れの日の過ごし方をすればいいだけです。

 …って、あれっ!?
 なんか変に真面目な話になってしまいました(笑)
 もちろん私は晴れの日が好きですよ。


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