青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

たまにはコーヒーを…

2011年10月29日 23時30分25秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 今日のお話、ちょうどよいくらいの時間が開いたので、
 実はコーヒー屋さんで書いたんです。
 もっと正直に言うと、眠かったのと待ち合わせの都合でコーヒーの一択だったんですよ(笑)


 一人でコーヒー屋さんに入るのは本当に数年振り。
 たまにはいいもんですねヾ(*^▽^*)o

松・竹・梅。

2011年10月29日 17時52分02秒 | 青裸々日記。
ペチュニアの花(東京都港区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 優れたものを持っている人を見ると、自分の価値に疑問を持ってしまうことがあります。
 たとえば、能力とか、人柄とか、持っているものだとか、
 相手が自分より上であるほど、比べたり隣にいるのが嫌になってもしまうもの。
 「あの人はなんでそんなに素晴らしいものを持っているんだろう、それだと隣にいる自分がかすんでしまう」と、
 自分の存在理由に疑問を持ってしまうのも、無理はないのかもしれません。


 ところで、「松竹梅」という言葉を、どこかで耳にしたことはないでしょうか!?
 「松竹梅」というのは料理のランクを示すもので、上から「松→竹→梅」の順になっています。
 そうすると、つい最上位の「松」に目が行ってしまいそうなものですが、
 忘れてはいけない点がひとつ。
 「梅」だって、立派な商品の一つであることには、なんら変わりはないのです。
 「腐っても鯛」というと言葉は悪いですが、一番下の「梅」にも、十分価値はあるのです。


 私達は力を十分に発揮することて、生き甲斐を感じるもの。
 自分の持っているものをできるだけ多く使えば、やれることも出てきますし、助かる人も増えます。
 しかし、劣等感を感じると、せっかく持っているものの価値が、あたかも「0」、つまり全くないように錯覚してしまう。
 この劣等感が、持っているものの価値を見えにくくします。


 でも、本当に価値がなくなったわけではない。
 たまたま側にいる人にちょっと至らないというだけで、自分の能力や価値、実力だって、
 本当はきちんとあるハズなのです。
 そしてまた、至らないものだからと言って出し惜しみしていては、
 本当は出来ることも、できなくなってしまう。
 また例え話になりますが、目の前で泣いている人がいたとして、
 「私はあの人ほど優しくないから」と言って慰めないままでいるか、
 「自分は至らないかもしれないけど、私なんかでも助かるなら」と構ってあげるかでは、
 どちらが人を幸せにできるかは、もう言うまでもないと思うのです。


 「自分はどうせ…」というのはしかたがないにしても、たとえ素晴らしいものがなくても、
 出来る範囲のことを精一杯やるだけで、最後には素晴らしいものができるかもしれない

 料理でも人間でも、「梅だから」と言って腐らすのは、もったいない話だと思うのです。

ゴールデンゼブラ・シグリッド

2011年10月29日 06時16分20秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 バァーッ!!


 はい、朝からすいません(笑)
 魚の顔があまりにユニークなんで、撮ってきました。
 コチラもアクアシティの水槽にいた魚なんですが、
 照明の効果もあり、美しく見えました。

 熱帯魚ってなんか癒されます。


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