こんにちは![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_1.gif)
今日も皆様、ありがとうございます。
事情があって、今日は床で雑魚寝状態で仮眠してました。
私は床や布団が柔らかいとなかなか落ち着かない体質らしく、
普段も薄手のカーペットと、冬場はホットカーペットをしておしまい、という感じ。
華奢にみられることが多いのですが、その話を友達にしたら、結構驚かれました。
どうやら体はタフみたいでよかったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hamster_1.gif)
今日も皆様、ありがとうございます。
事情があって、今日は床で雑魚寝状態で仮眠してました。
私は床や布団が柔らかいとなかなか落ち着かない体質らしく、
普段も薄手のカーペットと、冬場はホットカーペットをしておしまい、という感じ。
華奢にみられることが多いのですが、その話を友達にしたら、結構驚かれました。
どうやら体はタフみたいでよかったです。
十字架(東京都内にて)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「どんなことをしても、あなたは許されます」。
もし神様からこう言われて、ためしにちょっと悪いことをして本当にバチが当たらなかったら、
皆さんはどうしますか!?
日頃の鬱憤を晴らす人もいるでしょう。
不正を働く人もいると思います。
あるいは、趣味が趣味なら、自分を崇拝するように強いることをするかもしれません。
でも。
与えられた自由は、悪いことに使っていられるほどのものではないのです。
あまりに抽象的すぎる言い方ですから、わからない人もいると思います。
わかりやすくかみ砕いて言うと、
「悪いことをやってみたい」
「罪と知っていても突っ込みたい」
こういう「悪いことをしたい欲求」って、必ず衝動的かつ一時的なものなんです。
やったらおしまい。
「悪いことをする行為」が完了したら、実はもう何も残らないのです。
だから、人間は無限の自由が与えられたとすると、
一時期は悪い方向に走っても、最後には必ずよい方向に向かうのです。
「いやいや、それはおかしい。悪いことをする人はいるし、人となりのよくない人だっている」。
そう言われればそうです。
でも、悪いことを繰り返すというのは、
フラストレーションが溜まりやすい環境にあるか、
悪いことしたのにそれを悪いと思わないように、自分を麻痺させるためにやるか、
このどちらかなんです。
特に、後者はよくあるパターン。
たとえば、「いじめを繰り返す子供」というのが問題になりますが、
あれは「自分は理由があって人をいじめるんだ」と思い込みたいわけです。
しかし、平常心というか、落ち着いている間は「いじめは悪いこと、だから自分は悪者なんだ」という心理になる。
そうすると、自分が悪者であるいう図式に耐えられなくなり、
自分を正当化する方法を考えるわけです。
しかし、明らかに悪いことを正当化するのは難しいこと。
そこで、人をいじめている間は「いじめるなりの気持ち」を味わえますから、
自分が悪者だと感じにくくするために、中毒のように繰り返してしまうのです。
しかし。
どんな理由があれ、悪いものは悪い。
しかも、一時的な衝動に駆られて悪いことをすれば、悪い感情は吹き飛ぶのです。
しかし、「フラストレーションが解消された、なんにも悪くない自分」と「悪いことをして、罪を背負った自分」という、
悪さをしでかす前後で釣り合いが取れなくなってしまう。
ここに問題があるのです。
ということは、大元を断ち切るしかない。
そう、悪いことをしたがる大部分は、だいたいくだらない欲求によるものだと自覚し、また省みることです。
人間、本当は愛ある行為を欲する生き物なのです。
悪いことをしてしまうのは、一時的な衝動なり、悪い習慣なりがあるからこそのこと。
そのことを確認することが、悪い衝動に惑わされないために大切なことなのです。
無限の自由があるなら、どんなことをするか。
それを考えれば、きっと自分も小さな存在ではないことがわかるハズです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「どんなことをしても、あなたは許されます」。
もし神様からこう言われて、ためしにちょっと悪いことをして本当にバチが当たらなかったら、
皆さんはどうしますか!?
日頃の鬱憤を晴らす人もいるでしょう。
不正を働く人もいると思います。
あるいは、趣味が趣味なら、自分を崇拝するように強いることをするかもしれません。
でも。
与えられた自由は、悪いことに使っていられるほどのものではないのです。
あまりに抽象的すぎる言い方ですから、わからない人もいると思います。
わかりやすくかみ砕いて言うと、
「悪いことをやってみたい」
「罪と知っていても突っ込みたい」
こういう「悪いことをしたい欲求」って、必ず衝動的かつ一時的なものなんです。
やったらおしまい。
「悪いことをする行為」が完了したら、実はもう何も残らないのです。
だから、人間は無限の自由が与えられたとすると、
一時期は悪い方向に走っても、最後には必ずよい方向に向かうのです。
「いやいや、それはおかしい。悪いことをする人はいるし、人となりのよくない人だっている」。
そう言われればそうです。
でも、悪いことを繰り返すというのは、
フラストレーションが溜まりやすい環境にあるか、
悪いことしたのにそれを悪いと思わないように、自分を麻痺させるためにやるか、
このどちらかなんです。
特に、後者はよくあるパターン。
たとえば、「いじめを繰り返す子供」というのが問題になりますが、
あれは「自分は理由があって人をいじめるんだ」と思い込みたいわけです。
しかし、平常心というか、落ち着いている間は「いじめは悪いこと、だから自分は悪者なんだ」という心理になる。
そうすると、自分が悪者であるいう図式に耐えられなくなり、
自分を正当化する方法を考えるわけです。
しかし、明らかに悪いことを正当化するのは難しいこと。
そこで、人をいじめている間は「いじめるなりの気持ち」を味わえますから、
自分が悪者だと感じにくくするために、中毒のように繰り返してしまうのです。
しかし。
どんな理由があれ、悪いものは悪い。
しかも、一時的な衝動に駆られて悪いことをすれば、悪い感情は吹き飛ぶのです。
しかし、「フラストレーションが解消された、なんにも悪くない自分」と「悪いことをして、罪を背負った自分」という、
悪さをしでかす前後で釣り合いが取れなくなってしまう。
ここに問題があるのです。
ということは、大元を断ち切るしかない。
そう、悪いことをしたがる大部分は、だいたいくだらない欲求によるものだと自覚し、また省みることです。
人間、本当は愛ある行為を欲する生き物なのです。
悪いことをしてしまうのは、一時的な衝動なり、悪い習慣なりがあるからこそのこと。
そのことを確認することが、悪い衝動に惑わされないために大切なことなのです。
無限の自由があるなら、どんなことをするか。
それを考えれば、きっと自分も小さな存在ではないことがわかるハズです。