こんにちは
今日も皆様、ありがとうございます。
事情があって、今日は床で雑魚寝状態で仮眠してました。
私は床や布団が柔らかいとなかなか落ち着かない体質らしく、
普段も薄手のカーペットと、冬場はホットカーペットをしておしまい、という感じ。
華奢にみられることが多いのですが、その話を友達にしたら、結構驚かれました。
どうやら体はタフみたいでよかったです。

今日も皆様、ありがとうございます。
事情があって、今日は床で雑魚寝状態で仮眠してました。
私は床や布団が柔らかいとなかなか落ち着かない体質らしく、
普段も薄手のカーペットと、冬場はホットカーペットをしておしまい、という感じ。
華奢にみられることが多いのですが、その話を友達にしたら、結構驚かれました。
どうやら体はタフみたいでよかったです。
十字架(東京都内にて)
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「どんなことをしても、あなたは許されます」。
もし神様からこう言われて、ためしにちょっと悪いことをして本当にバチが当たらなかったら、
皆さんはどうしますか!?
日頃の鬱憤を晴らす人もいるでしょう。
不正を働く人もいると思います。
あるいは、趣味が趣味なら、自分を崇拝するように強いることをするかもしれません。
でも。
与えられた自由は、悪いことに使っていられるほどのものではないのです。
あまりに抽象的すぎる言い方ですから、わからない人もいると思います。
わかりやすくかみ砕いて言うと、
「悪いことをやってみたい」
「罪と知っていても突っ込みたい」
こういう「悪いことをしたい欲求」って、必ず衝動的かつ一時的なものなんです。
やったらおしまい。
「悪いことをする行為」が完了したら、実はもう何も残らないのです。
だから、人間は無限の自由が与えられたとすると、
一時期は悪い方向に走っても、最後には必ずよい方向に向かうのです。
「いやいや、それはおかしい。悪いことをする人はいるし、人となりのよくない人だっている」。
そう言われればそうです。
でも、悪いことを繰り返すというのは、
フラストレーションが溜まりやすい環境にあるか、
悪いことしたのにそれを悪いと思わないように、自分を麻痺させるためにやるか、
このどちらかなんです。
特に、後者はよくあるパターン。
たとえば、「いじめを繰り返す子供」というのが問題になりますが、
あれは「自分は理由があって人をいじめるんだ」と思い込みたいわけです。
しかし、平常心というか、落ち着いている間は「いじめは悪いこと、だから自分は悪者なんだ」という心理になる。
そうすると、自分が悪者であるいう図式に耐えられなくなり、
自分を正当化する方法を考えるわけです。
しかし、明らかに悪いことを正当化するのは難しいこと。
そこで、人をいじめている間は「いじめるなりの気持ち」を味わえますから、
自分が悪者だと感じにくくするために、中毒のように繰り返してしまうのです。
しかし。
どんな理由があれ、悪いものは悪い。
しかも、一時的な衝動に駆られて悪いことをすれば、悪い感情は吹き飛ぶのです。
しかし、「フラストレーションが解消された、なんにも悪くない自分」と「悪いことをして、罪を背負った自分」という、
悪さをしでかす前後で釣り合いが取れなくなってしまう。
ここに問題があるのです。
ということは、大元を断ち切るしかない。
そう、悪いことをしたがる大部分は、だいたいくだらない欲求によるものだと自覚し、また省みることです。
人間、本当は愛ある行為を欲する生き物なのです。
悪いことをしてしまうのは、一時的な衝動なり、悪い習慣なりがあるからこそのこと。
そのことを確認することが、悪い衝動に惑わされないために大切なことなのです。
無限の自由があるなら、どんなことをするか。
それを考えれば、きっと自分も小さな存在ではないことがわかるハズです。
こんにちは。
今日も皆様、ありがとうございます。
「どんなことをしても、あなたは許されます」。
もし神様からこう言われて、ためしにちょっと悪いことをして本当にバチが当たらなかったら、
皆さんはどうしますか!?
日頃の鬱憤を晴らす人もいるでしょう。
不正を働く人もいると思います。
あるいは、趣味が趣味なら、自分を崇拝するように強いることをするかもしれません。
でも。
与えられた自由は、悪いことに使っていられるほどのものではないのです。
あまりに抽象的すぎる言い方ですから、わからない人もいると思います。
わかりやすくかみ砕いて言うと、
「悪いことをやってみたい」
「罪と知っていても突っ込みたい」
こういう「悪いことをしたい欲求」って、必ず衝動的かつ一時的なものなんです。
やったらおしまい。
「悪いことをする行為」が完了したら、実はもう何も残らないのです。
だから、人間は無限の自由が与えられたとすると、
一時期は悪い方向に走っても、最後には必ずよい方向に向かうのです。
「いやいや、それはおかしい。悪いことをする人はいるし、人となりのよくない人だっている」。
そう言われればそうです。
でも、悪いことを繰り返すというのは、
フラストレーションが溜まりやすい環境にあるか、
悪いことしたのにそれを悪いと思わないように、自分を麻痺させるためにやるか、
このどちらかなんです。
特に、後者はよくあるパターン。
たとえば、「いじめを繰り返す子供」というのが問題になりますが、
あれは「自分は理由があって人をいじめるんだ」と思い込みたいわけです。
しかし、平常心というか、落ち着いている間は「いじめは悪いこと、だから自分は悪者なんだ」という心理になる。
そうすると、自分が悪者であるいう図式に耐えられなくなり、
自分を正当化する方法を考えるわけです。
しかし、明らかに悪いことを正当化するのは難しいこと。
そこで、人をいじめている間は「いじめるなりの気持ち」を味わえますから、
自分が悪者だと感じにくくするために、中毒のように繰り返してしまうのです。
しかし。
どんな理由があれ、悪いものは悪い。
しかも、一時的な衝動に駆られて悪いことをすれば、悪い感情は吹き飛ぶのです。
しかし、「フラストレーションが解消された、なんにも悪くない自分」と「悪いことをして、罪を背負った自分」という、
悪さをしでかす前後で釣り合いが取れなくなってしまう。
ここに問題があるのです。
ということは、大元を断ち切るしかない。
そう、悪いことをしたがる大部分は、だいたいくだらない欲求によるものだと自覚し、また省みることです。
人間、本当は愛ある行為を欲する生き物なのです。
悪いことをしてしまうのは、一時的な衝動なり、悪い習慣なりがあるからこそのこと。
そのことを確認することが、悪い衝動に惑わされないために大切なことなのです。
無限の自由があるなら、どんなことをするか。
それを考えれば、きっと自分も小さな存在ではないことがわかるハズです。