青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

どんぐりころころ

2011年10月28日 05時48分16秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 懐かしさのあまり、撮ってしまいました。

 公園を歩いていたら、たくさんのどんぐりがあったので、
 この時ばかりは子供魂に火が付いて…
 夢中で見てました(笑)


 見ていると意外と気分がよくなりますよ、どんぐりって。

 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

骨盤マッサージしてバイバイバイ

2011年10月27日 23時17分54秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 私は健康のために、骨盤と腹筋だけは鍛えたりストレッチして寝るようにしています。
 健康は資本、自分がしっかりしていれば、人助けもしやすいですカラ。


 あっ、「最近メールで絵文字を使いすぎている話」をしわすれちゃった…。
 ちょっと深い話なので、明日にさせて下さい。


 それではまた明日、おやすみなさいまし。

再起動に次ぐ再起動…

2011年10月27日 22時22分14秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 パソコンでかなり重たいソフトを使ってるんですが、
 すぐアプリケーションがシャットダウンしてしまうので、かなり集中力が要ります(笑)
 いやー、一時間ずっとそれの繰り返しで進歩がない…


 せめていい思い出になればと思います。

メタ認知。

2011年10月27日 19時25分06秒 | 青裸々日記。
レインボーブリッジ(東京都港区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 心理学で「メタ認知」と呼ばれる便利な能力があるのですが、
 最近どうも、私もその「メタ認知力」が付いたようなのです。
 そこで、皆さんにお伝えしたいこともあり、レポートの意味も兼ねてお話ししていきますね。


 ☆ ☆ ☆ ☆

 心理学になじみがない方は、「「メタ認知」なんて言葉はなかなか聞き慣れないし、はじめて耳にした」と思われるでしょうが、
 仕組みはすごく簡単です。
 「メタ認知」というのは、一言で言えば自分をモニタリングすることを言うのです。
 ちょうどカメラで撮られているがごとく、
 外から、他人から、周りからだと自分はどう映っているか、
 ムービーのごとく客観的な自分の映像がわかること
 これが、「メタ認知」なのです。
 私は眉の上あたりからカメラで撮られている感覚で、この「メタ認知」の能力開発をやっています。


 さて、この「メタ認知」ができるとどんなメリットがあるのか、
 皆さんはお分かりになりますか!?

 「他人の身体と入れ代われたら」と思うこと、皆さんも一度や二度はあるハズです。
 だいたい「うまくいっていない」時、
 たとえば「傷つけた/傷ついた」、「わかり合えない」、「気分を害した」ということになると、
 その原因を探ることで、相手の気持ちがわかって解決できることも多い。
 しかし、それが出来ないから苦しいのですよね。

 そこで、です。

 他人と入れ代わったり、誰かになりきってしまうのは無理ですが、
 せめて、「どういう印象を与えているか」がわかれば、相手がどうしてそういう反応に至ったのかの「いきさつ」がわかります。
 「いきさつ」がわかれば、悪く思わせない言動も逆算で出せる。
 …というわけで、「メタ認知」ができると、印象をよくしたり意を汲んだり、反対に激しにくくなったり、
 あるいは自分の言動を磨くことが格段にしやすくなるのです


 ちなみに私が気づいたのは昨日のことで、
 人と話している時、自分をモニタリングした姿がハッと頭に現れたのです。
 そこで、「ああ、ついに自分もメタ認知ができるようになったのか」と知ったのでした。


 自分の姿を客観的に描くのは、練習をすれば、できる人は簡単にできるハズです。
 ブログを書くでもいいし、自分のムービーを見るでもいい、
 要は「自分を記録する」要素があることを繰り返しやっていると、
 メタ認知力もだんだんとついてくる気がします。


 「自分を客観的に見る」というのは素晴らしいことかもしれませんが、
 その言葉には具体性がありません。
 「客観的に見る」には、メタ認知が一番。
 皆さんもメタ認知力、磨いてみませんか!?

レインボーブリッジから

2011年10月27日 05時14分39秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 レインボーブリッジは歩いていてとても気持ちいい橋です。
 揺れや突風こそ激しい時もありますが、
 東京湾が一望できて、空を散歩しているような気持ち良さを感じられます。


 東京にいらしたら、ぜひ一度はレインボーブリッジへどうぞ。
 芝浦ふ頭まで来れば、入り口も近いですよ。

 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

「欠点のほうが多い」。

2011年10月26日 23時29分08秒 | 青裸々日記。
レインボーブリッジから(東京都港区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「私は欠点のほうが多い人間ですから」。

 謙遜している人、反省している人がよく言うセリフです。
 しかし、この「欠点のほうが多い」というのは、本当は至極当たり前の話ではないかと思うのです。


 人間の性格はいろいろあります。
 そして、完璧な人間なんて一人もいません。
 …ということは、そもそも人間は欠点のほうが多い生き物なのかもしれません。
 欠点より長所が多かったら、人間関係で悩む人もいないし、歴史をさかのぼって見ても、失敗や対立が起こることも、現実よりぐっと少なくなるのではないでしょうか!?
 それに、長所と短所は表裏一体ですから、見せ方や場面によっては、まるまる悪く思われてしまうことだってあるかもしれません。


 四六時中、誰に対してもそんなにソツのない振る舞いをできる人なんていません。
 人間関係でもなんでも、たいていは誤解やすれ違い、挫折があるものです。
 そうすると、自分の小ささに愕然としてしまうこともある。

 だからこそ、「短所が多い」ということに目を向ける必要があるのです。
 自分の至らなさを意識することは、一見、すごく辛いように思えます。
 しかし、短所が多いのは自分だけではないのです。

 ただ、ちょっと待って下さい。
 短所が多ければ多いほど、自分の持っている長所に希少価値が出てくる、
 これもまた、事実ではないでしょうか

 それならば、数少ない長所ぐらいはせめて守ろう、
 こんな意識になりませんか!?

 取り柄の少なさだけを見れば嫌気がさすことがあるのかもわからない。
 しかし、誰もが短所のほうが多いというのなら、
 積極的に、長所を見ていく姿勢になってもいいハズです。


 それに、「短所のほうが多い」とわかれば、
 人にも自分にも、きっときつい要求はしなくなると思うのです。
 あたかも「ものすごく出来た人格者」がいるかのように思うから、
 どんどん焦りが出てきてしまうのです。
 短所が多い同士、少ない取り柄をなんとか持ち寄って生きている、
 このことに感動する心が大切なのです。


 いちいち自分や他人の粗は探さないこと。
 粗はあって当たり前、それでもなんとか活かせる部分がないか探ることのほうが、
 短所の数より重いのです。

そらたかく・5

2011年10月26日 05時07分03秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 ささやかな連載も、今日でおしまい。
 天気が優れないので「せめて青空を」との気持ちでやってみたのですが、
 私は気持ち良かったです。


 さて、最後を飾るのはお台場のモニュメント「マルク・クチュリエ「自由の炎」」です。
 お台場でもこのあたりは穏やかでしたよ。
 夜のライトアップもなかなか綺麗です。

 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

損得勘定。

2011年10月25日 22時00分19秒 | 青裸々日記。
ハイイロリス(東京都江戸川区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 「積極的になりなさい」。

 なにを知ってか、チャレンジ精神の素晴らしさに酔っているかのような人は、
 どこに行ってもいるものです。
 「チャレンジしなければ成功はない」だとか、「自分から声をかけないと恋愛はできない」だとか、
 いろいろ言うわけです。

 しかし、積極的にチャレンジすれば、それだけ人を傷つけることも増えます。
 たとえば、「人とうまく話せるようになりたいから」と、
 いろんな人にしゃべりかけるとします。
 そうすると、「いろんな人」の中には忙しい人もいれば繊細な人もいるわけです。
 普通に考えて、「気軽に話し掛けないほうがいい人」だって、たくさんいるわけです。
 そこを、「自分は話し方の勉強がしたいから」と言っているようでは、
 迷惑になる人、傷つく人も出てしまいます。

 これは極端な例にしても、「善意の押し売り」とか「人の痛みに鈍感な性格」など、
 積極的であるがゆえに、かえって迷惑がられる、あるいは煙たがられる人もいる、
 これが現実なのです。
 そう、「なんでも積極的ならいい」ということはないのです。


 しかし。

 「じゃあ、消極的な人になればいいじゃないか」というのも、ちょっとズレてしまうことが多い。
 具体的には、自分が力を出せば助かる人がいるのになんにもしないとか、
 夢を叶えることで大勢の人を幸せにできるのになぜか腰が重いとか、
 消極的であるがゆえに、人を傷つけてしまうことも、実は多いのです。



 これではどちらが正しいのかがわかりませんよね。
 しかし、核心の問題はひとつです。
 「自分がどちらに動くとどれくらい人を傷つけるのか」を考える、
 これだけを考えればよいのです。

 積極的だろうが消極的だろうが、どっちみち人を傷つける場合、
 後味の良いほうを選ぶに越したことはありません
 たとえば「言いたいことを我慢する場面」というのは誰しも経験したことがあると思いますが、
 じゃあ、どうすればいいのかが問題になりますが、実はそこに、人となりが顕れるのです。
 そこで、「言いたいことはやっぱり言う」か「言わないほうが得だ」の二択で選ぶなら、まだまだです。
 本当は、「どの線までどのくらいの表現で言おうか」まで考えられて、
 はじめてどれだけの人にどのくらい迷惑がかかるか、傷つけてしまうかまで計算ができる。
 つまり、損得勘定というのは、字とは裏腹にものすごくグレーゾーンが広いのです。


 二択問題の選択肢は、たいてい大まかなもの。
 意を決めたら、あとは自分のやり方でやってもよいのではないでしょうか!?

体育の秋。

2011年10月25日 18時11分40秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 ちょっとしたカミングアウトなんですが…、

 私は副交感神経が弱いのか、
 寝起きにとんでもない絶望感を感じることがあります
 (現在はピンピンした健康体ながら、数年前、自律神経失調症をわずらったことがあるのです)。
 普段、言いたい放題たまに毒を混ぜつつ書いている割に、意外でしょ!?

 しかし、それが自律神経の働きがしっかりさせれば良くなる傾向があるとわかり、
 部屋で簡単かつ少しハードな運動をしています。

 私は運動自体は好きなのですが、球技と体育会系の空気が大のニガテなんですね。
 そしてまた、運動をするよりも、写真や作曲、そしてブログに時間を使いたい…というか、使ってしまう人なんです。

 ただまあ、「身体や心のためなら」と、
 小学生の頃、少しだけやっていたものを…と、一番肝心な種目は伏せましょうか。
 変なイメージとか持たれても嫌ですし(笑)
 まあ、今なら絶対にやらない明らかに「体育会系の種目」なんですけどね。

 短時間で、マイペースにできるのが私のツボだったらしく、
 10分としない内に汗だくになります。
 ここまでをヒントにしましょう。



 ともかく、運動をすると自律神経系が強化されるみたいなので、
 試しに続けています。
 「寝起きの体調」ぐらいで人の力を借りるような発想だと際限なく甘えるのが関の山だし、
 自分の面倒は自分で見るしかありませんから。

 元気にやりますね☆

そらたかく・4

2011年10月25日 05時53分41秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 あと2回…ということで、今日も空のお写真。
 コチラはレインボーブリッジから空を見上げた写真です。
 青々とした感じがたまらないでしょう!?

 上を向いていれば、いいことありますよ☆


 ↓クリックしてどうぞお持ち帰り下さい(著作権は放棄していません)↓
 

亀戸天神社・菊まつり(10/23版)

2011年10月24日 22時51分18秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 私が個人的にすっごくご利益を感じていることもあり、
 昨日は亀戸天神社の菊まつりに行ってきました。


 まだ咲きはじめで見頃はこれからですが、
 繊細な様子にはいつも感動します。
 

 ちなみにこんなものも…
 


 また来月の頭にでも参拝しに行こうと思います。
 

ぎしんあんき。

2011年10月24日 21時53分54秒 | 青裸々日記。
ケイトウの花(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆さん、ありがとうございます。



 疑いだすとキリのないこと。
 正解をひとつに決めようがないもの。
 見えないハードル。

 こういった「手探りでしか前に進めない時」や「疑うことが多すぎること」に出くわすと、
 誰だって、不安に怯えるのではないでしょうか!?
 難しい言葉で「疑心暗鬼」というものがありますが、
 世の中のあらゆることは、疑い出すと止まらなくなります。
 人間に限らず、どんなものでも完璧ということはありませんから、
 どうしたって至らない部分が残るわけです。


 さて、疑心暗鬼になる時は、問題にする点を間違えてしまっている場合がほとんどです。
 疑って疑って、それで元気になったり何かが解決するのなら、別にそれでいいのかもしれません。
 しかし、自分や他人、違和感などを疑うあまり、心を病んだり問題が解決されないようでは、
 そもそもなんのために疑問点を解決しているのか、ということにもなってしまいます
 疑ってかかるにしても、それは問題を解決し、安心を得るためという理由があるからではないでしょうか!?

 そうであれば、とめどなく出てくる疑いの波も、本当は意味がないものですから、
 どこかで疑うことをやめたほうがいい。
 意味もなく心をすりへらす理由は、どこにもないのです。


 しかし。

 そう言って簡単に疑いの連鎖を抑えられるなら、誰だって苦労はしません。
 現に不安があるから、疑うように気が向いてしまうのです。
 ということは、疑心暗鬼になる理由が不安なのですから、どこかで安心感を得られるようにするしかありません。

 さて、先に「世の中に完璧はない」と言いましたが、
 それは不安も同じなんですね。
 100%安心できることがなければ、100%不安なこともない。
 これを応用するのです。
 具体的には、自分の来ている部分や長所にもきっちり目を向けてみるのです。
 そうすると、疑いたくなる気持ちはあっても、安心感も一緒についてきますから、
 心を乱すことも少なくなる。
 「不安でいてもたってもいられない」が「不安だけど、安心なところもある」に変わるのです。
 それに、問題点だって全く克服できないということはなく、
 だいたい1%ぐらいずつ、解決されていく場合がほとんどです。
 つまり、出来ている1%を見て「解決されている、克服している」とわかれば、
 あれほど気になっていた疑心暗鬼も、だんだん縮んでくれるのです。


 安心を少しずつ増やせば、心も平静を取り戻します
 疑心暗鬼とは不安の連鎖、安心があるほど、疑心暗鬼で怯えることもなくなるのです。

ポイント募金で東日本大震災復興支援!