研究とはさせられるものではない。
常に解決したい課題をもち、それに継続して取り組むものである。
私には毎年多くの大学院生がくる。嬉しいことである。
最初の頃の院生は私が2年間のスケジュールを決めて、それに進ませていた。
院生は真面目に取り組み、よい論文を書いて修士を修了してくれた。
2年間のスケジュールを決めた理由は、修了後も同じようなリズムで研究に取り組んでくれるだろうと思ったからである。
しかし、予想は大きく外れ、ほとんどの修了生は、自分では研究を行わずに部下の指導にまわっている。
私の指導方法は間違っていた。 反省する毎日である。
自ら積極的に研究人生を歩んで欲しいものである。
常に解決したい課題をもち、それに継続して取り組むものである。
私には毎年多くの大学院生がくる。嬉しいことである。
最初の頃の院生は私が2年間のスケジュールを決めて、それに進ませていた。
院生は真面目に取り組み、よい論文を書いて修士を修了してくれた。
2年間のスケジュールを決めた理由は、修了後も同じようなリズムで研究に取り組んでくれるだろうと思ったからである。
しかし、予想は大きく外れ、ほとんどの修了生は、自分では研究を行わずに部下の指導にまわっている。
私の指導方法は間違っていた。 反省する毎日である。
自ら積極的に研究人生を歩んで欲しいものである。