こぶた部屋の住人

訪問看護師で、妻で、母で、嫁です。
在宅緩和ケアのお話や、日々のあれこれを書き留めます。
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万年人手不足

2014-09-24 23:44:37 | 訪問看護、緩和ケア
この業界、万年人手不足で看護師さんは金の卵状態です。

大きな病院の人事担当者は、地方の看護学校まで青田刈りに出かけ、結構な支度金を積んで勧誘するなんて話も聞いたことがあります。

そんな現状をビジネスに変えて、医療職の就職斡旋会社がひっきりなしに電話をかけてくるし、お金あげるから転職しよーよ!みたいなCM作ったりもしています。

おかげで、働きながら他のもっと条件のいいところはないかなーと待っているNSは結構いるのかもしれません。
登録しておけば、好条件で支度金までつけて話を持ってきてくれるわけで、売り手市場のこの業界では結構な登録数になるんじゃないかと思います。

でも、でも・・・
うちが求めているのは、訪問看護をやりたい人なわけで、優先順位が好条件一番の人では、たぶん難しいと思うのです。

そこで求められるのは、スキルはもとより強い志なわけです。

訪問すれば1対1で向き合わなければならないし、そこに正しい知識と経験とスキルがなければ、患者さんを危険な方向に導く可能性もあるし、深く傷つけてしまう可能性だってあります。

でも、それを恐れて向き合えないのであれば、これはもう訪問看護はできません。
怖い怖い、わからない、不安、自信がない。
では済まないのがこの仕事です。

それでもなぜ、この現場で頑張っている訪問看護師がいるのかといえば、それは魅力的だからです。
たくさんの出会いのなかで得られる、熱い思いであったり、深く考える時間であったり、看護をするという喜びであったりするわけで、その場所が在宅にあることで、その関わりはさらに患者さんを取り巻く人々にも広がっていくからです。

なーんて理屈っぽくなりましたが、要するに訪問看護をやってみたい!やりたい!という人が欲しいのです。
斡旋会社は一度利用しましたが、やはり短期で止められてしまい、もう二度と使う気にはなれません。
人を介してではなく、自分で扉をたたいて欲しいのです。
訪問看護がやりたくて扉を自分で叩いた人で、訪問看護が嫌いになった人は今までうちの職場ではいませんでした。
うちを退職しても、どこかで訪問看護を続けています。

訪問看護がやりたい人、手を挙げてくださいな。

孤独の受け止めは人それぞれ

2014-09-24 00:01:50 | 訪問看護、緩和ケア
ひとりで暮らすこと、ましてや一人で死ぬことはどれほど不安なのだろうか。
絶対に怖いし、不安だし、さみしいに違いない・・と、ついつい思ってしまうのだけれど、最後まで一人の方が楽な人だっている。

うん十年前、私は6年ほど一人暮らしをしていて、そりゃあ、気は楽だったし今から思えばストレスなんてほとんどなかったように思える。
でもその間に恋人と別れたりして、一人の生活が続くに連れて「私って悲しいほど自由だわ・・」なんて浜省の歌の題名を自分のテーマにして自虐ネタにしていたりした。
つまり私には、到底一人で死んでいくなんて事はできっこない。

これまでだって、何人かの独居の方のお見取りもしてきたけれど、みなヘルパーさんが入っていたり、近所の人が顔を覗かせてくれたり、縁者が来てくれたりしていた。

でも、看護師と医師以外は来て欲しくなくて、ずっと一人でフラフラになっても洗濯したりタバコを吸ったりしていて、毎日吐血や下血をしても、放っておいてほしくて、看護師にも用が済んだらとっとと帰って欲しくて・・・そして一人で逝ってしまった人がいたときに、最後が一人は悲しい話ではないのだと納得した。

もちろん不安はあったと思うけれど、それよりも一人でいることを選んだのは、やっぱりひとりが良かったのだろうとしか思えない。

選択肢はいっぱいあったし、経済的にも問題はなかった。

ただ、頼れる人はいなかったのだと思う。

誰かに委ねるということは存外難しくて、赤の他人に特に体を晒すことや、家の中で活動されることは、やはり抵抗はあるのだろう。
突発的に倒れて亡くなる場合は別として、これから近い将来の死に方を考える時に、なかなか選択するのは勇気がいるとは思うのだけれど。

そうは言っても、私なんて入院中は恥ずかしいより痛いほうがずっと勝っていて、座薬は毎晩お願いしていたので、これも気力の問題なのかな・・。

などなど、いろんな過去を背負って生きてきた人と縁あって出会って、その人の最後の時間そばにいさせてもらう仕事をしていると、毎回色々と考えてしまう。

先日100歳近いおばあちゃんが、いよいよ老衰で危ないという時に、ふと目を覚まして「お迎えが来たけど、断っておいたよ。」と言って笑った。
それから、おばあちゃんは何日もあちらとこちらを行ったり来たりしているけれど、いまだに頑張れているのは、基礎体力なのか気力なのか、家族の力なのか・・。
本当にすごいことだと思う。

ちなみに、先日在宅皮膚科勉強会で管理栄養士の先生がこんなことを話してくれた。
「高齢者は糖はほとんど使わないのよ。よく寝たきりの人でやせ細っていて、食事も取れず点滴もろくにしていないのに、ずっと頑張っている人がいますよね。
あれは、ケトンを使っているんです。だから高齢者に糖はいりません。炭水化物はいらないからタンパク質と脂肪が大事!」

みんなで顔を見合わせて納得。
なるほど-。目からウロコが・・。

日野原先生も食事で炭水化物はほとんどとっていないのだそうです。
そしてステーキを食べて今日も元気。

話が飛んでいるけれど、老衰と言われる域に達すると、死は悲壮感が薄れ、大切な儀式のような、どこか優しい時間のなかに置かれているような気がするのは私だけなのか・・。


死を前にすると、たくさんのことを考えてしまいます。